第7話:隠された二枚目
修復された手紙の右半分は、刃物で切り取られたわけでも、経年で破れ落ちたわけでもなかった。
和紙の繊維が不自然にむしり取られた痕跡――それは明らかに、誰かが意図的に力任せに引き破った破断面だった。
『綾子さん。私は、この店で君の帰りを待つ。だから――』
そこでプツリと途切れた言葉。
「どうして……おじい様は、一番肝心な部分を破り捨ててしまったんでしょうか」
ランプの明かりの下、結衣は破断面を虫眼鏡でのぞき込みながら、首を傾げた。
「いや……待てよ」
蓮は腕を組み、深く考え込んだ。
「もし祖父が自分で破ったのだとしたら、なぜ破り取った残りの半分を桐箱に一緒に残さなかったんだ? それに、この手紙は結衣さんのおばあちゃんが大切に持っていたものだろう?」
「……あ」
結衣が小さく声を漏らし、ハッと息をのんだ。
「そう……です。この手紙は、祖母の遺品の中から見つかったもの。もしおじい様が投函していない(送っていない)のだとしたら、なぜ祖母の手元にこの破れた手紙があったのか……」
「手紙は、届いていたんだ」
蓮ははっきりと口にした。
「祖父は手紙を出した。でも……届いた手紙は、すでに破られていた。あるいは、受け取った側――綾子さんが破ったのか……?」
「そんな……」
結衣の顔からすっと血の気が引いていく。
「祖母が……おじい様の想いを拒絶して、破り捨てたってことですか……?」
「わからない。でも、もう一度祖父の日記を調べてみよう」
二人は必死になって、昭和三十八年の日記のページを繰った。
立春が過ぎ、二月中旬から三月にかけてのページ。そこには、それまでの力強い筆跡とは打って変わり、酷く乱れた文字で短い記述が続いていた。
『三月十二日。雨。
東京から一通の封筒が届く。中に入っていたのは、私が送ったはずの手紙の『片割れ』だった。
言葉は半分に裂かれ、彼女の返事は一言も添えられていなかった。
これが彼女の出した答えなのだろう。私は二度と、彼女にペンを走らせることはない。』
「片割れ……」
結衣の声が震えた。
「おじい様は、破られて送り返されてきた手紙を見て『拒絶された』と思い込んだんだ。だから、ずっと宛名のないまま、その手紙を店の中に仕舞い込んでいた……」
「でも、おかしいよ」
蓮は日記を指差した。
「綾子さんが拒絶したのなら、どうして結衣さんのおばあちゃんの手元に、この『破られたもう半分』が残っていたんだ? 拒絶したなら、捨てるはずだろ?」
二人の頭の中で、いくつもの疑念が交錯する。
手紙はなぜ破られたのか。
誰が、何のために二人の言葉を切り裂いたのか。
その時だった。
結衣が持ち込んでいた祖母の黒いアルバム――その裏表紙の台紙と革の間に、わずかな「厚み」があることに蓮が気づいた。
「春野さん、ちょっとアルバムを見せて」
「え? あ、はい……」
蓮は慎重にアルバムの裏表紙を裏返し、経年劣化で剥がれかけていた角の紙をそっとめくった。
そこには、アルバムの台紙の隙間に硬く折りたたまれて押し込まれていた、小さな和紙の破片があった。
結衣が息をのむ。
蓮がピンセットで慎重に取り出し、作業台の上に広げる。
黄ばんだ和紙、手紙と同じギザギザの破断面。
そこに書かれていたのは、祖父の文字ではなかった。
繊細で、どこか震えるような女性の筆跡――綾子さんの文字だった。
『勝造さん。
ごめんなさい。この手紙を破ったのは私ではありません。
私の父が、あなたからの手紙を見つけて破り捨ててしまったのです。
父は私を東京の親戚の元へ無理やり送り出し、あなたとの連絡を一切断たせようとしています。
破られた手紙の半分は、父の隙を見て拾い集めました。
勝造さん、どうか諦めないでください。
私は東京で、自分の足で立ちます。そしていつか、あなたが作ってくれたあのノートに、私の本当の言葉を書いて、あなたに届けにいきます。
だから――私を忘れないで。』
「……おばあちゃん……!」
結衣の目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
二人は拒絶し合ったのではなかった。
引き裂かれ、言葉を奪われながらも、お互いがお互いを想い続けていたのだ。
だが、すれ違いの運命と誤解によって、その誓いは半世紀以上もの間、暗闇の中に閉じ込められたままになってしまった。
「届いていたんだ……」
蓮は胸が熱くなり、声が詰まった。
「祖父の想いも、綾子さんの想いも……ずっと、ここにあったんだ」
結衣は溢れる涙を拭いもせず、二つの破片――祖父の手紙と、祖母が隠し持っていた破片を並べた。
ピッタリと重なり合う和紙の繊維。
半世紀の時を経て、破られた言葉が、いま静かに一つに繋がった。
しかし、二人がその感動に浸る間もなく、結衣のスマートフォンのバイブレーションが鋭く鳴り響いた。
画面に表示された表示を見て、結衣の表情が凍りつく。
『東京・修復事務所』
「……はい、春野です」
電話に出た結衣の顔から、急速に色が失われていく。
通話を終えた結衣は、ゆっくりと蓮の方を振り返った。その瞳には、せっかく繋がった光を消してしまうかのような、深い悲しみが宿っていた。
「夏目さん……私、明日……東京に帰らなきゃいけなくなりました」




