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春立つ日ちぬ  作者: 夜名
第4章:春立つ日に(クライマックス〜未来へ)

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第15話:未来へ繋ぐバトン

ナツメ堂の解体工事が始まってから、ちょうど三週間が過ぎた。

重機の音が去ったあとの敷地は綺麗に整地され、ぽっかりと空いた四角い空間に、あたたかな春の光が注ぎ込んでいる。

老朽化した木造建築は姿を消したが、商店街の通りには、どこか晴れやかで優しい空気が漂っていた。

「夏目くん、順調かい?」

通りがかりに声をかけてきたのは、商店街の会長だ。

「ええ、おかげさまで。来週には内装の柱が入ります」

蓮は工事用シートで囲まれた隣接する小さな空き店舗の前で、図面を広げて微笑んだ。

ナツメ堂という建物はなくなった。けれど、蓮はこの街を離れなかった。

商店街の一角にあった元喫茶店の小さな物件を借り受け、新たな店舗を作る準備を進めていたのだ。

店の新しい名前は――「ナツメ書房 & 紙修復室」。

古き良き文房具や手漉き和紙、厳選した本を扱う文具書店であり、奥には春野結衣の「紙の修復工房」を併設する、世界にひとつだけの小さな空間だ。

「よし……これで下準備は完璧だな」

蓮が額の汗を拭っていると、背後から軽やかな足音が近づいてきた。

「夏目さん!」

振り返ると、大きな段ボール箱を抱えた結衣が走ってくるのが見えた。

髪を後ろでひとつに結び、エプロン姿の彼女の表情は、冬に出会った頃の寂しげな影が嘘のように生き生きと輝いている。

東京での仕事をすべて整理し、正式にこの街へ移住してきた結衣は、今や蓮の公私ともにかけがえのないパートナーだった。

「春野さん、そんな重いもの持っちゃダメだって」

「大丈夫ですよ。中身は大事な『紙』なんですから」

結衣は大事そうに箱をカウンター(となる予定の木台)の上に置くと、ふーっと嬉しそうに息をついた。

箱の中から彼女が取り出したのは、一枚の木製の小さな看板だった。

そこには、温もりのある手書きの文字でこう刻まれていた。

『ナツメ書房』

「これ、近所の木工職人さんが作ってくださったんです。『勝造さんの孫が新しい店を始めるなら、俺に看板を作らせろ』って」

「……じいちゃんの仲間か。ありがたいな」

蓮はその看板を愛おしそうになぞった。

祖父・勝造が守り抜いたナツメ堂。

事故で記憶を失った綾子さんを想い、一生をかけて言葉と紙を守り続けた祖父。

そして、その想いの破片を集め、半世紀の時を超えて繋ぎ合わせてくれた結衣。

(バトンは、ちゃんと繋がったんだ)

過去の喪失や傷を「ただ元に戻す」のではない。

傷ついた記憶を抱きしめたまま、新しく芽吹く未来へと繋いでいく。それが、自分たち二人が見つけた答えだった。

「夏目さん、これ……」

結衣がポケットから、丁寧に透明なケースに保管された「あの一通の手紙」を取り出した。

修復され、二つの破片が重なり合った昭和三十八年の手紙。

『綾子さん。私は、この店で君の帰りを待つ。だから――私を忘れないで。』

「この手紙、新しいお店の奥に飾ろうと思うんです。言葉を大切にする、私たちの誓いの印として」

「うん、それがいい」

蓮は結衣の肩を抱き寄せ、静かにうなずいた。

窓の外では、通りを歩く人々が足を止め、新しい店の看板を興味深そうに眺めている。

小さな子供がガラス越しに手を振り、近所のおばあちゃんが「楽しみに敷してるよ」と声をかけてくれた。

止まっていた時間が動き出し、止まっていた街の記憶が、新しく息を吹き返していく。

「夏目さん」

「ん?」

「私、今すごく幸せです」

結衣が蓮の胸にそっと額を預け、愛おしそうに囁いた。

「私もです。……ううん、これからは『僕たち』の幸せを、ここで作っていこう」

蓮は結衣の手をしっかりと握り返した。

春の柔らかな風が吹き抜け、真新しい木材の香りと、懐かしい紙の匂いを優しく包み込んでいくのだった。

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