18.違和感のはじまり
「殿下ぁ~! おはようございます!」
翌日。
校舎へ移動している最中に、突撃の勢いで駆け寄ってきたのはアウトナー男爵令嬢だ。
「と、止まりなさいっ」
当然、護衛が咄嗟に間に入って止めたのだが、どすんっとわりと強めな音を立ててぶつかったアウトナー男爵令嬢……シェリリエは「痛ったあぃ」とよろめいて眉根を下げた。
「もうっ、なんで邪魔するんですか? 殿下にご挨拶しに来ただけなのに……」
挨拶だけであんなに勢いをつける必要があるだろうか。どちらかというとぶつかりに来たような速度だったが。
その感想は護衛たちも同じだったようで、困惑した様子で顔を見合せている。
俺はため息を飲み込みながら「邪魔をした訳ではない」と説明をしてやった。
「伝令でもない者が急に接近すれば、警戒するのは当たり前だろう。危険人物だったらどうする」
「ええ? あたし、危険人物なんかじゃないですよっ! ひどいです!」
「そういうことではなくてだな、」
「またあのメイドさんの仕業ですか?!」
いや、なんでそうなるんだ。
ぽかんとしていると、俺の言葉を遮ったことで、護衛や周囲の空気がさっと冷えていくのに気付いていないのか、シェリリエは器用に目を潤ませた。
「あたしが殿下と仲良くなるのが、気に入らないんだ……」
ぐすんぐすんと、子供が泣くような態度で俯いてしまったシェリリエに、護衛は再度顔を見合わせ、俺の後ろにいるメイラは盛大にため息を吐き出した。
「殿下、教育棟へ」
「あ、ああ」
冷たく刺々しいメイラの珍しい声に内心で驚きながらも、俺は護衛たちと先を急いだ。教育棟への入り口は、保安や利便性など諸々の問題で王族と高位貴族だけの専用口がある。
「あっ、殿下ぁ!」
後ろから声がしたが、足音が近付いて来ないのでメイラが止めてくれているのだろう。専用口付近は学院の警備が並んでいるためさすがの彼女も付いてこられないので、いったん距離ができたことにホッとする。
まあ、級が一緒なのですぐに教室で顔をあわせることになったのだが。
「あのメイドさんが傍にいるんじゃ、息が詰まっちゃいますよね」
教室に入ってくるなり勝手に隣に座ってくると、シェリリエはそんなことを言いながら俺の肩に頭をのせてきた。重いからやめろと言ったのだが、そうすると今度は腕にぴっとりとくっついてくる。
こうなると迂闊に腕を振り払って怪我させてしまうわけにもいかず、諦めてそのままにしている、とシェリリエはメイラのことを「堅苦しい」だの「融通がきかない」と言って口を尖らせた。
「節度節度って、殿下にだって好きにしたいことたくさんあるはずでしょう? それとも殿下を横取りされると思ってるんですかね。メイドさんの片想いとか悲恋ものとしてはテンプレって感じ」
「…………」
節度を求められているのはお前の方で俺じゃないと思うし、何度言ってもメイドと侍女の区別がつかないようで、説明するのも面倒になってきた。
うんざりする気持ちが表に出ていたのだろうか。
「はーいちょっとゴメンよー」
ドサッと大きな音を立てて、ザナンがシェリリエの前に教科書を置いた。
「悪いけど、そこ、どいてもらっていいッスか? 俺の席なんで」
ザナンはにっこりと笑っているが、普段に比べて声の押しが強い。シェリリエは一瞬びっくりしたような顔をして反射的に立ち上がったが、すぐに目をきらきらさせてザナンを見上げた。
「あっ、ねぇじゃあこの席、あたしの席と……」
「授業が始まるから、席に戻ったほうがいいですよ」
明らかに席を交換してくれと言いかけていた彼女の声を遮ったのはカールだ。しれっとした物言いだが、交渉の余地はないと断ち切る響きをしている。
「こないだの講義どこまでだっけ。デデン? 将軍が出たのは覚えてるんッスけど」
「デドン将軍だろ……変なリズムつけるなよ」
「カール先生キビシー!」
その隙で自分の席に収まったザナンは、もうシェリリエを見ていない。さすがにその拒絶の空気を読んだのか、それとも授業の鐘が聞こえたからか、シェリリエが自分の席に戻っていくのに、俺は思わず息をついた。
「……すまん。助かった」
「いやぁー、あんなわかりやすいのも凄いッスね」
ザナンはからからと笑っているが、カールはチラリとシェリリエの戻っていった方にできている人だかりを見て呆れたように溜め息を吐き出す。
「あれを可愛いって思ってるやつらの気が知れない」
「見た目は可愛いからなぁ。免疫がないんじゃないッスかね」
「免疫?」
「オレら、こんなんでも貴族ッスからね」
ザナンが目を細めて「オレらの知ってる範囲の女の子って、メイドか淑女しかいないじゃないッスか」と肩を竦める。
「そこにきてあんな風に大袈裟なくらい愛想ふりまかれたり、女の子ですよってアピールされたら好意があるって思っちゃうんッス。あの子もそれ狙いじゃないッスかね」
いつも明るい彼の思いの外冷ややかな評価に目を瞬かせていると、ザナンはぺらぺらと教科書をめくりながら苦笑した。
「……婿入り先の商会、平民向けなんッスよ。ああいう店員はまぁ、珍しくはないッスね」
「だが、それは仕事だからそうするんだろう? あれとは意味合いがだいぶ違わないか」
そう言うと、ザナンは少し目を瞬かせ、ようやくいつものように「そッスね」と笑い、カールは再び息をついた。
「……まったく、命知らずだよ」
彼のその小さな呟きの意味は、その時はよく分からなかった。
***
「……はぁ」
王子宮へ戻り、自室のソファに腰を下ろすと同時に反射的に溜め息が漏れて出た。
「なんだったんだ、あれは……」
「あまりに非常識でございます」
思わずぼやくと、メイラは食い気味に言った。よほど腹に据えかねているらしく、いつもほとんど動かない表情に苛立ちが滲んでいる。
「あれでは、平民あがりと揶揄されてもしかたがありません。使用人のくせにでしゃばるなだとか、余計なお世話だとか……彼女ご自身は使用人にすらなれませんでしょうよ」
「そうだろうな」
「あんな恥知らずを放置するなど、貴族としては致命的でございます。アウトナー男爵はなにを考えて……」
シェリリエのあれは、礼儀作法以前の問題だ。俺ですらそう思うのだから、メイラにしてみれば憤慨もひとしおだろう。声の熱が更に少しあがったところで、ようやく少し落ち着いたのか「……失礼しました」と息を吐き出したので、俺は少し気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、カールがシェリリエを"命知らず"だと言っていたが、どういう意味だと思う?」
「それはそうでございましょう。殿下のご婚約者様は、ヴェリアルデ・ヒーデル侯爵令嬢でございますよ」
返ってきた言葉に俺が目を瞬かせると、メイラはゆっくり続けた。
「ヴェリアルデ嬢の婚約者に対して色目……異性を強調して接触するというのは、我が国きっての大貴族、ヒーデル侯爵家に喧嘩を売るも同然でございます」
貴族の婚約というのは家と家を繋ぐ契約だ。いずれは結婚し、その後の人生を共にする相手として、信頼と親愛を与えあうものだと、いつかシレーが言っていた。
そして、同時に男女の結びつきでもある。
メイラの説明によると、その片方に向けて異性の魅力をアピールするというのは、婚約関係への破綻を狙うことであり、シェリリエの行為は極端に言えば「あんな女より私の方が素敵でしょ?」と公然と言ったも同然なのだそうだ。あのヴェリアルデに。
「……それは、命知らずにも程があるな」
思わず言うと、メイラは深く頷いた。
ヴェリアルデは最上位級での授業が忙しいらしく、久しく登校を共にしていないが、彼女がいればシェリリエにあんな態度取らせないのに、とメイラは嘆く。俺もそう思う。
実際、あれはない。
何度も俺の前に立っては、話の通じない相手とやりとりしなければならないメイラの大変さに申し訳なくなった。
「……苦労をかけてすまないな」
「! いえ……」
労うと、メイラは少し頬の色を赤くして頭を下げた。
「……取り乱したところをお見せし、申し訳ございません」
自分の苛立ちを隠せなかったことを恥じているらしい。いつも冷静で淡々と職務をこなしている彼女の珍しい態度に、俺は思わず目を細めた。
「お前でも怒ることがあるとわかったのは良かったな」
「殿下っ」
更に顔を赤くしたメイラはなんだか新鮮で、俺はちょっと笑ってしまった。
だが、そんな穏やかな気持ちは、この日を境に消えて失せることになった。
***
異変が起きたのは翌日。
いつものように馬車留めから通路を通って校舎に向かっていると、ぱたぱたと駆け寄る足音が近付いてきた。
(またか。懲りないな……)
どうせ止められるのに、と思っていたのだが、周りの護衛たちは動こうとしない。
「……ん?」
そうこうしている内に、駆け寄ってきたシェリリエが俺の腕を掴んで「おはようございます!」と笑った。
(どういうことだ、これは)
困惑と共に振り返ると、後ろに控えていたメイラは青い顔で俯いていた。
「……メイラ?」
驚いて瞬きした、その刹那。シェリリエはほんの一瞬勝ち誇ったような目をメイラに向けていたのが見えた。
(……何なんだ、いったい)
それが引っ掛かって、シェリリエが俺の腕を捕まえながらいつものような妙に間延びした声色で何か言っていたらしいのは、まったく頭に残らなかった。
「おい、お前たち」
何故シェリリエを止めないのかと、声と目線で強く咎めたが、護衛たちは互いに顔を見合わせると、ひどく言いづらそうに口を開いた。
「……その……王妃殿下の、指示でございまして……」
「………………は?」
何故その名が出てくるのか、意味がわからなかった。何故、シェリリエの行動を母——王妃という立場の人間が認めるのか。ヒーデル侯爵家を敵に回すような振る舞いを、許すのか。
意図はまったくわからないが、王妃が「そうせよ」と言うならば、俺に逆らう権利はない。
「殿下、今日はお昼もご一緒できますよねっ」
腕に絡みつくと同時に押し当てられた体のやわらかな感触は、ひどく生々しくて生暖かくて、ぞわりと背中が引き攣るのを感じたのだった。




