17.シェリリエ・アウトナー
シェリリエ・アウトナー男爵令嬢。
アウトナー男爵に引き取られた庶子だと言うシェリリエ嬢は、なんと言うか、これまで見たことのないような生徒だった。
「もう! 殿下はもうちょっと、女の子にニコッとかしてアピったほうがいいですよっ!」
礼儀作法は正直、俺でもびっくりするくらいできていないし、喋り方ひとつでも聞いたことのない言葉を使うので、外国人か? とも思ったが違うらしい。耳馴染みのないそれらは彼女いわく平民言葉なのだそうだ。
「平民言葉……ッスか? 婚約者の関係で平民の知り合いは多いッスけど、ああいうのは少し違う気がするッスね」
ザナンは何とも言えない顔をしてがりがりと頭をかいた。確かにザナンの口調も貴族としてはだいぶ砕けてはいるが、それとは種類が違うような気がする。
最下位級は下位貴族も多いので、ザナンの例を見ればわかるように上位級と比較すればだいぶ緩くはあるが、それでも貴族としての最低限のルールやマナーがある。
かつての俺のようにお茶会で皿をひっくり返すのは論外だが、話しかけかたひとつでも相手をされなくなるのが貴族だ。
とは言え、この級はそのあたりに拘らない人間も多い。よく言って寛大、悪く言えばその程度の知識もない残念な者がこの級に集まっているとも言える。
なので、アウトナー男爵令嬢がこの最下位級に入ったのは「まあそうだろうな」と言う感じだが、それはそれで納得がいかない、と眉をよせるのはカールだ。
「こんな時期に編入しながらこの級なんて、意味がわからない。アウトナー男爵も何を考えてるのか……」
「嫁入りのための花嫁修行とか?」
「それなら家庭教師の方がいいだろ。あれじゃ、単語しか分からないのに異国語の本を読むようなものじゃないか」
カールの喩えに思わず苦笑した。
学院への途中編入は、すでに決定したスケジュールや授業計画に割り込ませるため、通常の入学よりかなり金が必要なのだそうだ。そもそめ入学年齢に制限もないのだから翌年に回せば良いだけなのにわざわざ編入させるメリットはほとんど無い。
稀に、急遽結婚の決まった令嬢が、嫁ぎ先に対して格が足りないからと箔付けのために編入したりするらしいが、それだってある程度は教養を身に付けてからの編入だ。
カールの言うように、基礎もわからないのに応用の教科書を読んでもわかるわけがない。わからないことを詰め込まれても理解なんて出来るわけがない。それは俺自身が身をもって知っている。
「まあ確かにそうッスね。最下位級じゃ、最年少入学したって付く箔もたかが知れてるし」
「ああ。一年くらい誤差だろう。きちんと勉強してから入ってきた方が本人のためだと思うよな」
「…………」
年齢のくだりは、なんとも言えず沈黙した。
本人は「殿下と同い年です!」などと言っていたが、たぶん五歳くらい年上だと思う。教室のなかでも上の方にあたると思うんだが、なんで誰も気付かないのかが不思議だ。頭の中のヴェリアルデが「デリカシー!」と叫ぶので口に出すのは控えたが。
「まぁいずれにしろ、ちょっとお付き合いすんのは難しそうッスね」
「お前がそんな風に言うのは珍しいな」
誰とでもだいたい軽く話し掛けに行くザナンの評価に目を瞬かせていると、小さく苦笑が返った。
「んー……俺自身はあんま気にしないッスけど、たぶんあっちが避けるんじゃねーかなって」
「……そもそも、婚約者がいる令息は異性にあまり積極的には関わりませんよ」
ザナンが濁したように言うのに、カールも珍しく追及を防いできた。悪意を感じなかったので、俺に聞かせたくないような何かだろうと思ったのだが——それはすぐにわかった。
「殿下~! 食堂までご一緒してもいいですかぁ?」
教室を出ようとしたところで、アウトナー男爵令嬢が声をかけてきた。猫なで声、というらしい高く間延びした声かけは妙に耳につく上、許可もなく腕に抱きついてきたのには驚いてしまう。
振り払おうとしたが、体格差があるので転倒させてしまう気がして躊躇した。のが、よろしくなかったのかもしれない。
歩きにくいな、と思いながら授業棟を出たところで俺の到着を待つメイラたちが見えた。ついほっと肩から力が緩んだところで、メイラはこちらに近付きながらすっと目を細め、アウトナー男爵令嬢の腕をべりっと剥がして「失礼します」と壁になるような形で俺の前へ出る。
「こちらをどなたと心得ておいでですか。距離をわきまえてくださいませ」
メイラの声は低く冷たい。それでも手を出さないでいるのは学院内で事を荒立てないための気遣いだろう。だというのに、だ。
「ちょっとぉ! メイドのくせに、邪魔しないでくださいよ!」
「よせ」
むっと目を尖らせ、メイラに食って掛かろうとしたアウトナー男爵令嬢の肩を咄嗟に掴んで止める。
「邪魔をしたのではない。彼女の職務だ」
「メイドなんかを庇うなんて、殿下ってお優しいんですね!」
とたんにくるりとこちらを見上げて目尻を下げながら微笑まれたが、言っている意味がまるでわからない。
「メイドではなく侍女だ。王子宮の侍女筆頭だぞ」
「でも使用人でしょう?」
それはそうだが、そう言うことではない。メイラは確かに立場こそ使用人だが、王宮に勤められるのは最低でも子爵位以上の令嬢だ。
そして王子宮の侍女、つまり「俺の侍女」ともなれば、大臣相手でも略礼で許される立場である。直答も許されないような男爵令嬢、更には学生の身分でしかない彼女とはまるで地位が違うのである。
そんな常識もないのだろうか、と呆れより驚きのほうが大きかった。メイラには家庭の事情があるものの、普通なら実家から抗議が入るだろう。
「使用人のくせに、殿下の前にでしゃばるなんておかしいですよ。あたし、殿下と仲良くなりたいだけですのに……ね。殿下?」
周囲の空気が冷えていくのにまったく気付いていないのか、うさぎかなにかの物真似でもするような顔でこちらを見上げてくるアウトナー男爵令嬢に、ザナンの言う「あっちが避ける」の意味が理解されて何とも言えない気持ちにはなった。なるほど、これが身分に媚びるという態度か。
俺は掴まれかけた腕をするりと抜いた。
「でしゃばるなと言うならお前もそうだ。俺は腕を掴んでいいと許可はしていない」
「あっ……すいません。殿下って、照れ屋さんなんですねっ」
「そうではなく……」
「じゃあ、腕は我慢しますから、お昼は一緒に食べましょうよ!」
どうやったらそう言う話になるのかまったく分からず、苛立ちよりも困惑が勝った。どう対処しろっていうんだこれ。
思わず助けを求めるような視線を送ってしまうと、メイラは頷いて護衛たちに目配りする。すっと音もなく動いた護衛たちが男爵令嬢の両脇についた。
「王室の保安上の問題により、殿下は学生のみなさまとはご一緒されません」
王族は毒などの混入を避けるために不特定多数の人間が立ち入れる場所で食事はしない。というか出来ない。一度昼食に誘ってくれたザナンたちは、そこまで説明するまでもなく「ッスよねー」と納得してくれたんだが、彼女は斜め上の回答をよこした。
「ええー? そんなの寂しいじゃないですか。食事はみんなでとるのが楽しいですよ!」
「繰り返しますが、保安上の問題です」
「うるさいなぁ、メイドさんには聞いてないんですけど!」
一声ごとに声色が変わっていくのを、器用だなと無駄に感心してしまっている間に、護衛たちが間に入ってじりじりとアウトナー男爵令嬢を遠ざけていく。
メイラがちらりとこちらを見て頷いたので、その間に足を早めた、その時だ。
「……どうかなさいましたの?」
聞き慣れた声に視線をやると、俺たちが来たのと逆方向からヴェリアルデが首をかしげていた。彼女の位置からは護衛たちが壁になって見えないらしいのに、何故かほっとする。
「殿下、ここは我々に任せて、エスコートを」
メイラの声に背中を押され、早足で近付くと流石にもうしっかりと慣れたエスコートの姿勢でヴェリアルデの手を取った。その途端。
「は……? なに、あの人だって学生じゃないの! なんでよ! おかしいじゃん!」
背中から聞こえてきたなんとも刺々しい声にうんざりして、俺は食堂室へ向かう足を早めた。
「……ええと……?」
「…………」
ヴェリアルデは困ったような顔をしたが、俺もなんと説明していいのやらだ。
結局、ヴェリアルデとはこれまで通りに婚約者として昼食を共にしたが、その日のことも彼女のことも説明することはなかった。
このシェリリエとトリアンリートがなんでああなるんだ?
と思いながらその後の話を楽しんでいただけると幸いです




