16.友人、なのか
学院での生活は、想像していたよりも騒々しく、思いもよらないことの連続だった。
「その法律を施行したのは三人目ではなく四人目の方だ」
「いや、だからさ、その名前が分かんねえんっスよ」
「お前な。殿下になんて口の聞き方してるんだ」
「ええ? でも学生だったら無礼講ッスよね?」
「限度があるだろうが!」
俺の両隣でやいのやいのとしているのは、子爵と男爵の三男たちだ。たまたま席が隣になった彼らだが、年齢は俺より少し上らしい。ちなみに、調子が良いのが子爵の出だ。
「てっかさー、別に歴史とかわかんねーでも困らなくないッスかね。俺、卒業したら商家に婿入りなんで、経済とかのが気になるんッスけど」
「婿入り先がもう決まっているのか?」
「貴族の三男ってそういうもんじゃないッスか?」
思わず尋ねた俺に、彼——ザナン・ヤリテノン子爵令息はけらけらと笑った。
「まあうちのは、昔っから取引ある商会との繋がりなんで、幼馴染みがそのまんま婚約者になった感じッスけど」
「付き合いは長いのか」
「赤ん坊くらいちっちぇー頃からの付き合いッス。俺より頭ひとつ低いんですけどね、会いに行くとほっそい手をぱたぱたさせるとことか、見上げてくる目がころんってしててめっちゃ可愛いんッス」
放っておくと幼馴染みが可愛い、という話ばかりするそれを世間では「惚気」と言うらしい。
「てーか、殿下も婚約者いるんっしょ? どんな方なんッスか?」
「おい、いい加減にしろ!」
ずいと半身を乗り出してきたザナンに、カール・ブナン男爵令息が声を尖らせた。
「殿下の婚約者はヴェリアルデ・ヒーデル侯爵令嬢だ。そんなことも知らないのかお前は」
「いーじゃんか、王子さまの婚約者自慢とか聞いてみたいじゃん」
「自慢話」
思わぬ言葉に目を瞬かせていると、ザナンとカールがこちらを向いた。それ以上咎めないあたり、なんのかんのカールの方も好奇心はあるらしい。
「……自慢話というのは何を話せばよいのだ」
「そりゃー、凄いと思うとことか、好きなとこじゃないッスか!」
言われて、ふむ、と考える。好きなところと言われるとまず苦手なところが出てきてしまうが、凄いというのならばまあ、ある。
「そうだな……根性がある」
「根性?」
カールが驚いたように目を瞬かせた。
「それにしぶとい。諦めが悪い」
「女の子ッスよね?」
ザナンまでが困惑したように首を傾げる。何かおかしなことを言っただろうか。
「女に決まっているだろう。目付きは鋭いが水晶のような目は長い睫で彩られていて、顔立ちは美しく整っている。艶やかな銀の髪も、指先まで手入れの行き届いた肌も、立ち振舞いまで一級品の淑女だぞ。あれが女でなければ学院の生徒のほとんどは男になる」
単なる事実を並べたつもりだったのだが、ザナンとカールは「わぁ」と声を揃えた。
「ベタ惚れじゃん」
「惚れてはいない」
「めちゃくちゃ褒めますね……」
「褒めているのではなくて事実だ」
すぐに否定しているのにふたりとも聞こえていないかのように顔を見合わせたかと思うと、妙ににこにこと嬉しそうにする。なんでいきなり仲良くなっているんだこいつら。
そうこうしている内に授業が始まって会話はそこでお開きになったが、ふたりとはそれからも度々そうやって話すようになった。
ザナンの方は気さくな態度がそうさせるのか、級のなかですぐに友人を作ったようでいつも誰かしらと喋っている。その中の何人かを紹介してくることもあった。
カールのほうは休憩時間もずっと机にかじりついて勉強していて、俺がやることもなく座っている時などはたまに質問を投げてくることがある。俺の学力に期待しているのではなく、俺が持ち帰ってシレーに尋ねるところまで見越してのことだ。不敬がどうとか言う割にはちゃっかりしている奴である。
そう、シレーはいくらか渋ったらしいものの結局相談役として王子宮に残ることになった。
渋った理由について本人は「私は教育係なので、暇を持て余すくらいなら教鞭を取るか遊学をしていたいんですよ」と語っているが、では何故残ってくれたのか尋ねると細い目を糸のようにして笑った。
「それはまあ、大人の事情というものでございますよ」
「給与か?」
「……殿下もなかなか世知辛い返しをされるようになられましたな」
かくん、と首を折ったシレーだったが、どこまで本気なのか分からないまま表情を戻すと「まあ、そんなことはさておき」と話題を変えた。
「こちら、ブナン男爵令息からの質問でございますね。んふふ……仮にも王子付きの教育係を使おうなどとは、なかなか度胸のあるご友人でございますな」
「友人」
どこか楽しげに卓上へ教科書類を並べたシレーに、俺は思わず引っ掛かった言葉を繰り返した。
「友人、なのか」
「休憩時間に他愛のないお喋りをなさってるんでしょう? それに、殿下の身分についてこだわっている様子もない。聞いている限り、ご友人で間違いないと思いますがね」
シレーはにこりと彼にしては柔らかく笑った。
「友人となる相手を見極めろ、などと無粋なことは申し上げません。殿下ご自身で選ぶことにこそ、価値があると思いますよ」
「……ヴェリアルデとは違うことを言うのだな」
ヴェリアルデは、王子という身分に群がる人間もいるので付き合う相手は良く見極めろと言っていた。
シレーは、それも間違ってはいませんが、と意味深に笑う。
「人は常に見た目どおりではありません。ヴェリアルデ嬢の危惧も尤もなことだと思います。しかし、だからといって初めからすべて正しく仕分けてしまうのは健全ではないと私は思うのですよ」
言いながらペラペラと教科書をめくっていき、シレーはどこか楽しげな調子で続けた。
「出会いを善きものにするか、悪きものにするのかはご自身でございます。殿下にとって彼らがどのような存在になるのか楽しみですな」
***
シレーに言われたからでもないが、最近周りにいる生徒たちを観察していると、色々と考えることが増えた。
ザナンは雑だ。
挨拶も勉強も適当だし、身分差や派閥も気にしていないらしく、いつも誰かに話しかけているが相手を選ぶ気配はない。俺に話しかけてくるのも、席が近いから、ぐらいの認識しかないようだ。
だが、軽快で調子のいいザナンもただ意味もなくそうしているのではないらしい。
「将来は商会に入るんで、ちょっとでもコネ作っときたいって言うか、みんなに顔覚えといてもらっとくんッスよ」
と、案外したたかだ。
カールは真面目な男で、来年はもっと上の級へ編入するのだと意気込んでいる。俺のことを王子と認識して丁寧に振る舞っている割には、他の生徒たちのように緊張している様子は全くない。
「私は、文官を目指しているんです」
下位貴族である男爵の三男坊となれば、支度金などの問題で良家との結婚は望めない。かといって家はその内長男夫婦が後を継ぐので居場所がない。
学院を卒業したらひとりで身を立てなければならず、そのためには手に職をつけたいのだと、カールは兄からのお下がりだと言うずいぶんと使い込まれたペンを見つめた。
「学院に入学させてもらえただけ、恵まれていると思います」
家の経済状況によっては次男までしか学院に入れない者もおり、上の兄弟の家庭教師から読み書きを教わって、どこかの家の使用人にでもなれれば御の字。四男、五男になってくると騎士団に入るか市井に降りるかしか生計を立てる手段はないのだそうだ。
「文官であれば、才能次第で高給取りも狙えますからね。最上位は無理でも、中間くらいには食らいつきたいんですよ」
「……文官も家柄を見られるのではないのか?」
思わず言ったが、カールは「知ってます」とあっさり頷いた。
「家柄とコネクションの有無は大きいと。でも、本当にそれだけなら学院は要らないでしょう。この学院の存在が、優秀であれば必要とされることの証明なんですよ」
自分の将来を疑わない自信に溢れたその顔は、なんだかヴェリアルデを思わせた。
(……自分の力で生きているんだな)
これまで、物語で読んだことのある登場人物のような人々が実際にこうして目の前にいる。メイラの言う、得るものというのはこういうことなのかもしれない。
彼らは、俺が王子であってもなくても、きっとこんな風に話しかけてきては、同じように答えただろう。ヴェリアルデのいる最上位級——要するに、高位貴族として礼節を知る者たちの中にいたら、味わうことのなかっただろう雑な扱いに、俺は不思議な居心地のよさを感じていた。
——のだが。
変化が起こったのは、入学してから一月ほど経ってからのことだ。
「殿下、おはようございます!」
高い声が教育に響き、ぱたぱたと駆け寄る足音がした後で、俺の腕にずしりと重みがかかった。
シェリリエ・アウトナー男爵令嬢。
彼女との出会いこそが、その後の俺を大きく変化させることになると、この時はまだ思いもよらないことだった。




