15.ヴェリアルデとメイラと祝いの言葉
それから何やかんやと色々ありながらも、とうとうマンナーカノ国立貴族学院へ入学する日がやって来た。
「よろしいですか? 姿勢よく真っ直ぐにですわよ」
「わかっている。わかっているから、お前の方が落ち着け」
「わたくしは落ち着いておりましてよ」
「嘘をつけ」
保安上の問題もあって、馬車で向かっている初登校の道すがら、ヴェリアルデはうるさいくらいに注意事項を繰り返してきた。
最初はムカついて「わかっている」「うるさい」と声を荒げていたのだが、ヴェリアルデの言動は、俺がちゃんと出来ないと思っているからしつこく言い聞かせているのではなく、心配が勝って繰り返しているのだとわかると気にならなくなった。
というか、段々と面倒になってきた。なんでこいつは俺のことで俺より緊張しているんだ。
「別に、お前はいつも通りやればいいだけだろう」
そう言うと、ヴェリアルデは少し驚いたように目を瞬かせた。
「……殿下は落ち着いておられますのね」
「お前が落ち着きなさすぎるんだ。いつもの調子はどうした」
思わず溜め息を吐き出して、俺は窓の外を見やった。滅多に王子宮を離れることのない俺にとって、王都の町並みの方が余程気になる。
シレーかメイラがいれば店の名前を尋ねたりも出来ただろうが、残念ながら馬車に同乗できるのは身分的にもヴェリアルデだけだ。
「お前は普段通り振る舞えば良いだろう。俺は、今更何を言われようがどうだっていい」
「殿下」
投げやりな俺の言葉を、ヴェリアルデはぴしゃりと絶った。
「こういったことは最初が肝心なのですわ。殿下の良い印象を植え付けておけば、後は相手が勝手に解釈してくださるものです」
ヴェリアルデの言いたいことはわからないでもない。多少作法がましなってきても、母上——王妃のなかでの俺が、永遠に出来損ないであるように、最初の印象というものを覆すのは難しいのだろう。
だが、ヴェリアルデが拵えた薄っぺらな皮一枚で、どこまで誤魔化せるものか。
全く期待はしていなかったが、気合いと不安に何度も深呼吸をするヴェリアルデに、それを口にするのはさすがに控えたのだった。
***
その後の入学式典は、ヴェリアルデの努力のかいあってつつがなく終わった。
俺は在学中唯一の王族となるため、全員の前で口上を述べる必要があったのだが、たいして中身のない話しなど長々と聞きたくもないだろうと短く打ち切ったのは案外好評だったらしい。
「生徒たちがそれぞれの家の入学祝いに早くから帰れるとお礼を申しておりましたわ」
わたくしも有り難く思います、とヴェリアルデも喜んでいた。こいつ、最初からそれが狙いだったんじゃないのか? まあ機嫌が良さそうなので、言わないが。
そうして、肩の荷が降りたと言わんばかりのヴェリアルデを送り届けて王子宮へ戻ると、王家に近しい各貴族家から届けられた品々や、王家とお近づきになりたい家々からの花々が、玄関ホールに積み上げられていた。
どうせどれも知らない他人だし"俺"を祝っている訳ではないのだ。俺が対応しなければマズい相手以外には適当に代筆するように言付けた。
「殿下の御入学、大変御目出たく存じます。陛下より、祝いの席を設けられずにすまないと、言付けを賜っております」
エイデンを通じて父上から届いた祝いの品は光沢の美しいペン軸だ。メッセージカードに書かれた短い祝辞は、代筆に任せなかったのか、よほど急いだらしく少し筆致が乱れていた。
「……なんだかな」
俺の学院への入学は、そんな風に周囲の方がよほど盛り上がっていて、俺自身は何と言うか、地に足のついていないような不思議な感覚を少し持て余していた。
「どうされました?」
着替えを済ませ、ソファにもたれ掛かりながら呟くと、お茶を淹れていたメイラが控えめに声をかけてきた。
いつもと変わらないその静かな態度に、俺の中で塞いでいた名前の付かないものがほどける。
「……学院へ入るというだけで、そんなに大騒ぎするようなことなのか?」
子供から学生という身分に変わる、ひとつの区切りには違いない。それはわかる。
だが、大人たちがまるで人生の一大事かのように扱う理由は、正直よくわからない。
王子としてマンナーカノ国立貴族学院への入学は義務も同然だ。仕方なく参加する式典の類いと大差ない。
「新年も、誕生日も、みんながめでたいと言うが……俺には、何がめでたいことなのか……よくわからん」
明確にその感覚を表す言葉が見つからなくて、ぽつぽつと呟くように吐き出される俺の言葉を静かに聞いていたメイラは、少しの沈黙の後で口を開いた。
「祝われるのは、嬉しくないですか」
「嬉しくないわけじゃない。ただ、こう、収まりどころがわからない」
祝おうとしてくれるその行為は、ありがたいと思う。たくさんの義務の中に混ざって、自分のためにわざわざ用意された祝辞を嬉しいとは思っている。
ただ、そのお祝いの根拠がわからなくて、ありがたいと思うほど、どういう嬉しさとして受け止めればいいのか、胸のあたりでふわふわ収まりどころのないまま揺らいでいるのだ。
「節目を祝うのは、激励とご褒美のようなものではないでしょうか」
「うん……?」
「一年を乗り越えたことへのご褒美、そして、次の一年を頑張って欲しいという激励。そして入学のお祝いは、これから先の学院での生活へ向けた、餞のようなものとわたしは思います」
そう言ってメイラはすっと背筋を伸ばすと、お仕着せの侍女の空気からひとりの令嬢の姿勢に変わると、上品なお辞儀で頭を下げた。
「学院は学びの場であると同時に、大きく世界の開ける場所です。勉学のみならず、多くのことを知ることになるでしょう。殿下にとって、善き学びを得られることをお祈り申し上げます」
俺の借り物の口上よりよほど心を打つその言葉に、俺はようやくはみ出したままだった気持ちを胸の中に収めたのだった。
***
入学式典の後、実際の授業が始まるまでの数日は、着なれない制服を着る練習や、教科書を自分で持って歩く練習をしたりしていた。
我が国は他国に比べれば平穏な世情であるし、学院も厳重な安全対策は行っているものの、貴族の子息をまったく無防備にはさせられない。
そのため、従者や護衛の同行は許されてはいるが、学生はなるべく公平であるべきという理念から、授業を受ける本校舎へは連れて入れない。
となると、普段は自分で着替えたり荷物を持ったりしない王公貴族も、自分で出来るようにならねばならないからだ。
俺が文句も言わずに鞄に教科書類を詰め込んでいるのを見て、教育係のシレーが「私の役目もここまでですねぇ」と感慨深げに涙ぐんだ。
ちなみに、シレーは王宮からの要望で教育係から王子宮の相談役として残るよう要請が出ているらしいが、まだ頷いたという話は聞いていない。
俺としては残ってほしいが、俺が言うと強要も同然なのではないかという考えがよぎって、シレーの自由に任せている。
そうして迎えた、授業初日。
「殿下、よろしいですか。教室の態度は練習の通りに、何かあれば深呼吸ですわよ。わたくしは教室が違いますから付いてはいけませんので」
「……お前、シレーに過保護だと言われたのを忘れたのか?」
「殿下の評価は、わたくしの評価にも繋がるのですもの。心配するのは当然でございましてよ」
「チッ……本当にお前は可愛げがないな」
成績順に分けられる級は、当然のようにヴェリアルデが最上位級で、俺は最下位級に振り分けられた。そのため、登校以降は別行動となるのだ。
ヴェリアルデにとって、自分の目が届かなくなることが不安なのだろう。実のところ俺の方も不安はなくもなかったが、様子がおかしい他人がいるとかえって落ち着くものだ。
「お前の教室は階が違うだろう。ここまでで良いから、さっさと行け」
「では後程」
さすがに動作にまでは出さないが追い払うように言うと、ヴェリアルデは「はぁ」と諦めの溜め息を吐き出すと一転、淑女の見本と言っても過言ではない美しいお辞儀を残して遠ざかって行く。
そういう、いちいち完璧なところがムカつくところだが、一度だけ未練がましく振り返ったのだけは、笑いそうだった。
***
教室に入った俺は、思いもよらない光景に少し目を瞬かせた。
(これが学院の最下位級か……)
俺が言うのもなんだが、同じ級の生徒たちは頭の悪そうなのばっかりで、学院を運営する人間たちの公平さがうかがえた。
俺だったら、授業開始前から机に突っ伏して寝るような奴や、教科書の隅に落書きをしているような奴、爵位が高いからと言って優秀者の級には入れたくない。
もちろん真面目そうな生徒も何人かいる。それで何故最下位級なのかと言えば、恐らく家庭教師もつけられないような家格の下位貴族か、その三男以下の子だろうと後にメイラに教わった。
年齢も思っていたよりバラバラだ。
元より学院は入学するのに年齢の縛りはない。本来は基礎教養や金銭的な面で十分学べるようになってから入学するものなのだ。
だから、俺より年上の者たちは何かしらの事情があってこの時期に入学したのだろう。
それなら俺だって、もっと不安のないほどに学んでからの入学で良かったろうと思う。
だが、王族や高位貴族は、自らの子息女に"幼いながらに優秀"という箔をつけるために、入学できる最低年齢となった年に入学するのが慣習だ。
見栄を張らねば貴族ではない、と名言を残した大貴族がいたとシレーに教わったが、そんなものを名言だと思う方がどうかしてるんじゃないかと思う。
とにかく、おそらくここはそんな理由で押し込まれたために最下位と組分けられた者たちの多くいる教室だ。
後からやって来た教師に促され、俺の名も知らないのであろう面々の前に立つ。
「……トリアンリート・マンナーカノだ。級友として、よしなに頼む」
どよめきとまばらな拍手に迎えられて、俺の学院での生活は始まったのだった。




