14.俺でなくてもいいのじゃないかって
ヴェリアルデが俺の世界に現れてからと言うもの、時間はずいぶんと早く過ぎるようになった気がする。
「背筋を伸ばされませ! こう、顎を引いてぐっと胸を反らすんですのよ。それから視線はわたくしに。にっこり微笑んで見せれば完璧ですわ……あ、お待ちになって、口元が引きつっておられます」
「ああもう、いっぺんに言うな!」
特訓の時間は今日も賑やかで、部屋の隅で使用人たちがはらはらしながら見守っていて、俺が声をあげるとびくりと体を竦ませる。
だが肝心のヴェリアルデは、風が頬を撫でたかしらほども反応はない。こういうのは図太いというのだろうか。
「もう少し自然な笑みになればよろしいのですけれど」
「楽しくもないのに笑えるものか」
「それでも笑うのが貴族と言うものでしてよ?」
そう言って、ヴェリアルデはまるでお手本のように微笑みを浮かべた。初めて顔をあわせた頃よりも大人びてきた彼女がそうやって笑うと、陳腐だか花が咲いたような、というのがぴったりなくらい華やかだ。
とはいえ、よく見ると目の奥に強気が隠せていないので、その瞳の色である菫のような可憐さはまったく無く、どちらかというと銀で作った薔薇という印象だが。
「お前こそもう少し優しそうに笑えないのか」
「優しい気分になれば自然とそうなりましてよ」
「なら俺の前では生涯無理だな」
「またそのように仰る」
ヴェリアルデは一瞬きゅっと眉を寄せたが、すぐににっこりと笑い直した。
「わたくしだって、殿下のことを微笑ましいと感じることもございましてよ?」
「何?」
本を読んでいらっしゃる時は、穏やかな顔をされていますよ。そう言われて、そうなのか、と思う。
穏やか、と言われるのは初めてで、頬のあたりを無意識にさすっていると、ヴェリアルデはフフッと笑った。
「さ、雑談はここまでにして、続けますわよ」
くるりと裾を翻す彼女の手を渋々と取って、エスコートからのダンスへの流れに再び戻っていく。
「次は建国式典とその祝典ですから、気合いを入れなくては」
張り切るヴェリアルデとは逆に、俺は億劫さで足が重かった。
新年の挨拶も二度目を過ぎ、ヴェリアルデが参加できるという条件付きではあるものの、本来王子の出るべき式典や宴席のほとんどに参加するようになった。
それに伴って使用人も増え、長く勤めた乳母の代わりに王子宮の女性使用人をまとめる女官長が設けられることになったが、この人事についてはひと悶着あったらしい。
最初は母上のご実家であるエラーソナ公爵家から来た者が勤めていたが、ヒーデル侯爵から連れて来ていたヴェリアルデの侍女を追い出そうとしたとか。
結局その使用人は直ぐに暇を出されたのだが、それからも何かと揉め事の話が聞こえてきた。
さすがに彼らがヒーデル侯爵家によって消されたというのは尾ひれのついた噂だろうが、俺の周囲で立て続けに使用人が入れ替わったのは事実だ。
最終的に俺とヴェリアルデと縁の近い家から使用人を出さないことになって、チューリッツ侯爵家の縁者に入れ替わることで一旦落ち着きを見せたという。
なんでそんなことになるんだと思ったが、ある日そう尋ねるとシレーは苦笑した。
「貴族には、派閥と言うものがあるのです」
マンナーカノ王国で特に力を持っているのは、王族を除くと三つの公爵家と四つの大侯爵家。その力関係は複雑で、簡単に言えばふたつの対立派閥とひとつの中立派閥で拮抗しているのだと、シレーは黒板に三角を描いた。
各家が独立して力を持つことを重視する貴族派と、王を頂点として貴族は組織として動くべきとする王政派は長く対立していて、それぞれの派閥で最も力があるのがエラーソナ公爵家とヒーデル侯爵家なのだという。
要するにヴェリアルデ、つまり、ヒーデル侯爵家との婚姻は母上の一族にはあまり都合が良くないということだ。
では何故彼女が俺の婚約者なのか、というのはシレーが尋ねられたら困るなという顔をしていたので察した。
俺の足りぬところを補助するために選ばれた、というのが掛け値なしに事実だということなのだろう。派閥を考慮していられないほど、俺のできが悪かったと言うようなものだものな。
実際、パーティーに出るようになって気付いたが、同じ年頃の普通の高位貴族令嬢は、俺が視線をやると怯えるか緊張するかのどちらかだ。
俺の評判を知っているのか、あるいはかつてお茶会で同席したことがあったか。いずれにしろ、ヴェリアルデのように「背筋を伸ばされませ!」などとは言い出しそうにない。
他の令嬢の例を知らないから比較のしようもないが、シレーが何かにつけて称賛するところからして、あらゆる方面に優秀であるのもわかっている。
つまり俺は、そんな彼女がいなければまともな王子ではいられない、逆を言えば、ヴェリアルデがいればそれなりに"王子らしい"顔をしていられる。
そこまで考えて、ふと思った。
俺が俺である意味は、本当に血筋にしかないということ。
そして彼女がいれば、と——かつてヴェリアルデと出会う前にも抱いていたものが、再びぽつりと浮かび上がらせたのだった。
俺でなくても、良いのではないか、と。
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「父上!」
止める衛兵たちを振り切って、国王陛下の執務室へ飛び込んだ。
事の起こりは些細なものだった。
新しく入った使用人たちは、これまで勤めていた者たちに比べていくらか穏やかな性格なようで、廊下などで聞こえる雑談などもギスギスとしたものではなく趣味や食べ物などののんびりした話が多かった。
そんな中で、彼女たちが最近熱心に語っていたのがある物語だった。
話題となった本を手に入れた侍女と、彼女に貸し出しを乞う声がきゃあきゃあと楽しげだったこと。それから、王子と公女の恋が云々と言うのが何故だか妙に気になって取り寄せたその本の中に、廃嫡という言葉があった。
それを、いつものようにシレーに尋ねたのがまずかったのだ。
王子を辞められるのか、とそんな他愛の無い話のつもりだったのに、その場に居合わせた使用人の口から、俺が廃嫡を望んでいるのではないか、と噂になったからだ。
噂はシレーが俺によからぬことを吹き込んだからだと言うところまで発展し、そこから解任の話が出るまではすぐだった。
俺は先触れを向かわせるのもそこそこに、王宮に飛び込んだ。
「陛下、シレーは関係ないことです。解任は、どうか……っ」
「落ち着きなさい」
父……陛下は周囲を下がらせると、俺を手招いてソファに座らせると、対面に腰掛けて「トリアンリート」と名を呼ばれた。
「そなたは、何を言ったのか自覚はあるのか」
冷ややかな声だった。
ぐっと腹の辺りを押さえつけられるような圧に、身体が縮まりそうになるが、なんとか頷いて口を開く。
「……軽々しく口に出して良いことではないと、理解はしています。私の迂闊さについては、申し開きもございません」
ぎゅう、と拳を握りしめ、ばくばくとうるさい心臓の音に抗う。
「ですが、それはあくまで私の失態であって、シレーは無関係です。おれ……私が疑問に思うことを、いつもちゃんと答えてくれるのは、あいつだけだから、つい……尋ねてしまっただけで」
だんだんと口上が崩れていくが、今話すのを止めたら口が動かなくなってしまう気がしてひたすらに続けた。
「シレーは、ただ疑問に答えてくれただけで、あいつはいつも、それだけなんです。だから、罰なら、俺が受けるべきで……」
「もう良い」
尚も言い募ろうとした俺を、陛下は手で制した。
「そなたの言い分は理解した。だが、教育係という立場であれば、まずそなたを咎めねばならなかったという事実は無くならぬ」
「……っ」
陛下の言葉に血の気が引いたが、その手はまだ俺を制したままだ。
「しかし、教育係を罷免としてそなたに咎めなしであるのもまた、事実に対し公平性が足らぬ。よって、双方に一週間の謹慎を沙汰する」
「……! はい、ありがとうございます! あ、いえ、謹んでお受けいたします」
喜びのあまり思わず声をあげたのを謝罪して頭を下げると、少しして「ふ」と短く息の漏れる音がした。
顔をあげると、陛下の目が僅かに和らいでいる。首をかしげると「そなたも変わったものだと思うてな」と懐かしむような声が返った。
「……忌憚なきことを申してみよ。今は父より他に聞く者はおらぬ。廃嫡という言葉を聞いて、それを尋ねようとしたのは……ただの興味ではあるまい?」
すっと細められた目は、偽りを許さない強さをしているが、その声は陛下としてではなくて父上として聞くと告げている。
俺は少し躊躇いながらも「はい」と頷いた。
「……父上も、承知されているものと思いますが、私は……かねてより、自分がいかに王子として相応しくないのか、理解しておりました」
顔だけは良い出来損ないの王子様。
今はさすがに聞こえるところで言うものは居なくなったが、その言葉はずっと俺の中で燻り続けていた。
物覚えは悪く、短気で、要領も良くない。馬鹿にされればムカついて怒鳴り、面倒だと態度が言えばつい頭に血が上って手を上げそうになる。
シレーやメイラ、ヴェリアルデがいれば多少は衝動的なところは収まるが、無くなったわけではない。
そう言うところも含めて、俺が王子としていかに足りていないか、自分でも良くわかっているのだ。
「……ヴェリアルデだって、相手が俺じゃなければ、こんな苦労しないのじゃないか、って……」
彼女が俺の婚約者なのは、俺がこの通りだからだが、もしそれが俺より優秀な相手ならもっともっとその才能を活かせたのではないか。
黙ったまま遮ることなく俺のとりとめのない言葉を聞いてくれた父上は、その上で「すまんな」と目を伏せた。
「世が帝国の王ほどに王権を持つならば、そなたに相応しい場所を与えてやれたかもしれん」
ぽつりと言う。
「しかし、マンナーカノ国王として、それはならぬと言わねばならぬ。そなたは我が国唯一の嫡子であることは揺るがぬし、廃嫡とは死も同義であるがゆえに、我が血を途絶えさせること罷り成らぬと心得よ」
「わかっています」
俺は即答した。
もう、そこまでガキではないのだ。王子になんかなりたくないとわめいたところで、どうにもならないことは良くわかっていた。
「……ですが、父上に聞いてもらえて、嬉しかったです」
本心からそう言えた。
口に出すことも憚られるような気持ちを、吐き出させてくれただけでも、ほっとする。
どうせ、これまでとこれからは何も変わることはないのだとわかっている。
ただぼんやりと、体の奥の方で重たくて鈍い何かがゆっくりと色をなくしていったくらいで。




