13.善き婚約者とは?
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差し替えたつもりでしたが18時まで差し替えになっていなかった可能性があり……大変申し訳ございません
「……最近は、毎日楽しそうでございますね」
ある日、ぽつりとメイラがそんなことを言った。
普段はこちらから話しかけなければ口を開かない彼女だが、他に誰も居ない時はたまにこうして話し掛けて来ることがある。
とは言え、基本的には本の話ばかりなのでこういう世間話っぽい話題は珍しくて、俺は目を瞬かせた。
「メイラにはそう見えるのか?」
「はい。殿下は……いつも、つまらなそうな顔をされていらっしゃいましたので」
言われてみると、そうかもしれない、と思う。
王子宮の使用人は俺に怯えるか、でなければ馬鹿にしたような目を向けてくる奴ばかりだったし、授業はわからないことだらけ。
礼儀作法もできず、いつ暴れだすかわからない俺には乳母兄弟や年の近い相手との交流は敬遠されていたから、ほとんどの日、ほとんどの時間がひとりで黙っているだけで、やることがなければ庭園を歩くだけ。
そんな、ただただ退屈な毎日だった。
メイラが本を教えてくれてから、退屈そのものは無くなった。基本的には無口な彼女ではあるが、本を通じれば会話が弾む。
シレーの授業は嫌いじゃない。放っておくと延々しゃべるところはどうかと思うが、少なくとも他の教育係たちとは違って、ちゃんと話ができるし、何より彼が携えてくる本は、今では俺のいちばんの教科書になっている。
そしてヴェリアルデ。
黙っていればあんなにおしとやかな美人なのに、中身は図鑑で見た虎みたいに獰猛な婚約者。そのくせ振る舞いだけは完璧なので周りの評価は高いのがムカつく。
礼儀作法にうるさくて、あれが違うこれが違うとしつこくて、何かと特訓だのと、俺を引っ張り回す女の子。
けれど、ふたりのお茶会の時間になると、ヴェリアルデはいつも静かだ。
「殿下も、いちいち挨拶やらお話を考えたりなさるのは面倒でしょう? わたくしも不毛な会話は好きませんし、休憩時間のようなものと思って、お互い好きに過ごしません?」
と彼女が言い出したのはいつだったか。
俺にも少しずつ公務が与えられるようになり、ヴェリアルデは王子妃教育がはじまり、シレーの授業だけを受けているわけにはいかなくなっていた。
本を読む時間が減っていたせいか、俺が癇癪を起こしてしまう頻度があがっていたのに気付いたのかもしれない。
「わたくしは、美味しいお茶とお菓子と何もしないでいい時間があれば十分ですわ。いえ、むしろいちばん欲しいものですわね」
休憩時間にするならと言葉通りに受け取って、俺が本を持ち込んだ日。メイラ以外の使用人たちが眉をひそめ「ご令嬢の前でそれは」と咎めた従者に、ヴェリアルデはそう言って笑った。
そして、従者たちを遠くまで下げさせてからヴェリアルデは「ふぅ」と溜め息をついた。
「わたくしたちだって、いつも紳士淑女であり続けるのは大変なんですもの。ご褒美休憩タイムくらいあってしかるべきですわ。そうは思いませんこと?」
その悪戯っぽくニッと浮かべられた笑みは、以前読んだ悪い魔法使いを思わせ、顔だけは綺麗なのにこいつは、と思わず笑ってしまったのを覚えている。
「……まあ、つまらないと感じる暇が無い、しな」
その顔を思い出して、俺がふっと口を緩めると、メイラも表情を和らげた。
「善き婚約者を得られましたね」
「ん……」
メイラはそう言うが、正直、ヴェリアルデとは初めて出来た同世代の仲間という印象しかなく、婚約者と言われるとどうにもピンとこない。
仮にも王族である俺の至らぬところを補佐するためには、婚約者という地位が相応しいというのはわかっている。そして婚約者とはいずれ結婚する相手だということもわかっている。
けれどそもそもの話、結婚というものが俺にはよくわかっていない。
物語では、夫婦というのは仲睦まじいものと描かれていたが、父上と母上は普段別々の宮殿にいらっしゃるし、公式の場くらいでしか姿をお見かけしないが、あまり視線を合わせる感じもない。なんなら俺とヴェリアルデよりもなんというか距離がある。
メイラに聞いてみようかと思ったが、後妻に家を追い出されたという彼女にその質問はどうなのか、と思いとどまった。
結局、翌日シレーに尋ねてみたが、いつものように口がするする動くかと思われた彼は「……あー」と思ったより微妙な顔をした。
「えー……貴族の結婚とは一種の契約です。特に王族ともなれば、政治とは切り離せないものでして」
「そのようなことはわかっている」
妙に歯切れの悪い物言いに、苛立ちが先だってゴンっと床を踏むとシレーは「ううん」と唸った。
「……誤魔化したいわけではありませんが、知らなくても良いことというのはございますよ? 夢や希望というのは知らないから持っていられるわけでございますし、」
「お前は何を言ってるんだ」
どうも何か勘違いをしているようなので、ごにょごにょと続く言葉をぶった切る。
「夢だの希望だのはどうでもいい。結婚というものの役割を聞いている」
「えー……そっちですかぁ……」
「お前は何を期待していたんだ……」
途端にがっかりした様子を見せるのは本当になんなんだ。
イライラしながら待っていると、盛大に溜め息を吐き出したシレーはようやくいつもの調子で話はじめる。
「先程も申し上げましたが、結婚とは契約であり、婚姻は制度でございます。男女が生計を共にし、他に侵されざる関係であると公的な記録にすることが結婚。それによって社会的な責任を負担し合うことができ、そして行政による管理と福祉によって家庭を安定させ、より善き社会を育むことが目的の制度が婚姻制度ですな」
「制度」
怒涛の単語に困惑しながらとりあえず気になった言葉を口にすれば「元々は慣習であったものをきちんと法的に基準を定めたわけですな」とシレーは解説をはじめた。
「結婚という概念は制度ができるよりも前からあり、相手を生涯の伴侶とすることを神と自らと周囲に誓い、同時に他者からの侵害を防ぐ目的で行われておりました」
「侵害……?」
「俺の女に手を出すな、というやつです」
「……はあ」
どうにもピンとこないので生返事しか返せない俺に、シレーは眉を寄せると、珍しく言葉を探すように「あー……」と間延びした声を漏らす。
「そうですねえ……相手が決まっていない方を取り合って争いが起こる、と言うのはわかりますか?」
「知っている。王子宮でも揉めている奴を見たことがある」
「うわぁ……まあ、相手を決めないとそういう揉め事が起こることがありますし、昔は特定の相手がいても、横から奪おうとする者もおりまして。それで、そういった事態を防ぐために"ふたりは結ばれている"ということを周囲に知らせるのが、結婚という儀式のはじまりでございますね」
説明しながらようやく調子も戻ってきたのか「そして現代における結婚とは何か、ということですが」と教師の顔で続ける。
「結婚とは、生涯お互いを愛し、大切にするという誓いによって確かな絆を作るもの、とされていますが、私から言わせれば本質は契約です。夫婦という共同体として、子や土地、役割と財産を共にすること、そしてそれを誠実に守ることを互いと社会に約束する。それが結婚であり、その契約が成されている間は夫婦の権利を保証するのが制度ですな」
「所有の届け出をするようなものか」
土地の権利というものは、誰それが管理しているという届け出を出すことでその利益を受け取ることを許され、同時にその管理責任が発生する、というのは俺も知っている。
だがそう言うと、シレーは顔をしわっとさせて不満げに「まあ……そうとも言えるのですけどお……」と呻いた。馬鹿にしているわけではなさそうだが、自分で説明しておいてその反応はなんなんだ。
「殿下の例えはわりと正鵠を射てるんですけど……それを所有とか言ってしまうと本当に夢も希望も……それで、ええ……何の話でしたっけ」
「だから、結婚の役割を教えろと言った」
「そうそう、そうでしたね……役目のほうですね……要するに健全な社会を継続させるため、というのが結論ですが、貴族の結婚についても、一応説明をしておきますか……」
いったい何が気に入らないのか、ぼそぼそと力の入っていない声が言う。だから、その夢とか希望はなんの話だ。
「貴族、そして王族には国を運営する責任がございますので、結婚が持つ役割には、縁を結ぶこと、そして"血の継続"というものがございます」
「家族を増やすということか?」
「確かに家族を増やすための手段です。が、家族が増えることで得られるものが実際の目的です。例えば何があると思いますか?」
「財産、権力、土地……血筋?」
「左様です」
やり取りをしていく内にまた元の調子を取り戻したシレーは、静かに目を細めた。
「貴族はその血で名と歴史を繋ぎ、継いでいきます。そして、名はその家の財産と土地、そしてその土地に生きる人々の生活の責任を継ぐものでもあります——王族ともなれば、その血は国そのもの」
不意に細くなったシレーの目は、俺の背筋をひやりと撫でた。
「どの名と血を繋ぎ、権力を取り込み、あるいは与えるのか。それによって貴族の権力図が如何様にも動く、国事であり政治そのもの。それが王族の結婚でございます」
王族の結婚は、国を治めるための役目。
つまり、ヴェリアルデが俺に婚約者として宛がわれたのはそれが理由ということだ。
俺の"補佐"というのは、別に礼儀作法だのなんだのだけではなくて、国を統べるために必要な支えということなのか。
なるほど、とシレーの説明は、腑に落ちた。
のだが。
「……とは言え」
シレーはふと表情を緩めた。
「私としましては、それが政治の起因であったとしても、愛情を諦める理由にはならないとは思うのですがね」
「ん?」
「お茶会の趣旨の通りでございますよ。政略による婚姻であろうとも、親密であるに越したことはない、と言うことです」
「……ふん」
言いたいことは何となくわかったが、俺は答えようもなくて鼻を鳴らすしかない。
「あんな奴、親密になどなれるわけがないだろう」
「そうですかねぇ」
「あいつだって、俺の相手など面倒だと思ってるに決まっている」
「うーん、どうですかねぇ」
シレーは「そうでもないと思いますけど」とぶつくさと言っているが、ヴェリアルデにとって婚約は役目だ。
そうでなければ、今まで王子宮にいた使用人たちのようにとっとと逃げ出していたに違いない。
……あの勝ち気な目は、もしかしたらずっと変わらないのかもしれないと思うのは、気のせいだ。
とは言え、父上の定めた婚約である以上、いずれヴェリアルデと結婚することになるのは間違いない。
ヴェリアルデと俺が、父上や母上のように玉座に並んで座り、その隣で俺たちの子どもが並んだりするのだろうか。
やはりまだ、そんな光景は全く想像のつかない未来だった。




