12.変わりはじめた世界
特訓の話はおそらく居合わせた侍女あたりから漏れたのだろう。お茶会の趣旨をお忘れにならないように、と父上の側近——エイデルが苦笑いしながら俺たちふたりに言った。
「特訓は勝手にこいつが」
「わたくしは、わたくしの役目を果たそうとしたまでにございますわ」
俺が口を尖らせる横で、ヴェリアルデがしゃきりと言い返す。
「恐れながら今のままでは、サポートにも限界がございます。殿下には、わたくしが手を伸ばせる範囲までになっていただかなければ」
「ヒーデル侯爵令嬢」
エイデルは咎めるように名を呼び、俺の方をちらりと見た。その目が何を懸念したのかは明らかだったが、これほど正面から「なっていない」と言われているのに、俺の中に大きな苛立ちはなかった。
たぶん、ヴェリアルデの言葉には、ただ事実の指摘だけがあったからだろう。シレーと同じだ。ムカつかないわけではないが、俺だって自分の出来なさ具合ぐらい自覚はしている。
何より、ヴェリアルデからの挑戦を俺から投げだす方が腹立たしかった。
「……王室典範でお茶会をせよと定められている理由は、婚姻を結ぶ同士、親睦を深めよというものだろう。なら別に、内容が変わるぐらい問題ないはずだ」
俺が言うと、部屋中の人間がびっくりしたような目をしてこちらを見た。らしくはなかったかもしれないが、おかしなことは言っていないだろう。
俺が「なんだ」と視線を尖らせると、いち早く我に返ったエイデルが難しい顔をした。
「しかし……んん」
「……回数を増やせばいい話ではありませんの?」
そんな中、首をかしげたのはヴェリアルデだった。
「最低限の期間……月に一度程度というのは規定ですけれど、多い分には禁止事項はないのではありませんこと?」
「それは……そう、ですね?」
エイデルは何とも言えない顔で俺をちらと見た。
どうせ最終的にそれを「良し」とするか「無し」かは母上のご意向で決まるのだ。俺の意見など聞いても仕方がないだろうと思うが、どうでもいいと言うわけにはいかないのも、わかってはいる。
「……致し方ないとは言え、お前と何度も顔を合わせねばならんとは、不愉快極まるな」
「そこは諦めてくださいませ」
問題ない、と答える代わりに、面倒だが仕方がない、というニュアンスでくるんだつもりだったが、今にして思えばもう少し言い方があったような気はする。
だが、ヴェリアルデからの返答は何となく伝わっているようであったし、きらりと光った目はむしろ言質を取ったぞと言わんばかりだ。
俺たちふたりのやりとりを交互に見比べたエイデルは、更にメイラに目配せしてから「かしこまりました」と頷いた。
「シレーにも相談して、詳細を詰めることにいたしましょつ」
その後の各方面の相談と検討の結果、本来のお茶会はお互いの授業後に行うこと、そして特訓については王族教育の一環として別に時間が取られることとなった。
そして、本来の予定より頻繁に王子宮を訪れなくてはならなくなったヴェリアルデは、ヒーデル侯爵家が所有する王都のタウンハウスとは別に、滞在用の部屋を王子宮内に用意されるのだそうだ。
「いずれは王子妃として宮殿に入るのだから、その予行演習としても良いだろう」
とは父上の談であるが、本当の目的は違うのだろうなとは、俺も薄々感じてはいた。
——ただ、その目的について察したのは、もっとずっと後になってからのことだった。
***
それからの時間はあっという間に過ぎて行った。
「ヒーデル侯爵家より、ヴェルシュナー・ヒーデル侯爵、並びにリルディア・ヒーデル夫人、ヴェリアルデ・ヒーデル嬢ご来場」
新年の鐘が王都に五回響いたその日。
王宮の広間の最奥にある玉座、その段下で、盛装した俺の前にやって来たヴェリアルデが優雅な礼を取った。
深い緑の上に新緑のレースが覆う優美なドレスの上に、銀の髪がさらりと降りる。
「雪解けの清けき水面へ差す陽も美しき日に、新たなる年の始まりの祝いを共にできること、大変光栄に存じます」
「……いまだ遠い春の先駆けの訪れは、何よりの祝いと歓迎する」
ゆっくりとした抑揚と共に、差し出した手にヴェリアルデの細い指が重なり、そのまま腕まで誘導したあとは段上の玉座の横までエスコートしていく。
ヴェリアルデとのしつこいくらいの特訓もあって、その年の新年の祝祭はそんな風にしてつつがなく始められた。
とはいえ、こんな口上を俺が考えられるわけはないので、ヴェリアルデとシレーがああでもないこうでもないと練ったものを丸暗記して口から出しているだけだが。
ともあれ、エスコートに差し出した手の高さは合っていたはずだし、視線の高さも特訓の通りに出来たはずだ。
そうしてはじめて正面から見た大広間の光景は、今まで見たこともないものだった。
よく通る視界の中で、普段なら変わらない表情で目だけ冷たく尖る大臣たちがぽかんと口を開けている。夫人たちの口元は扇子で隠されていても、ぎょっと開かれた目は驚きが隠せていない。
見たことのない反応に、俺のほうが戸惑いそうになって視線を横へやると、隣ではヴェリアルデが口元をむにゃむにゃとさせているのに気付いた。
「何がおかしい」
大半が淑女らしい表情をしている彼女にしてはめずらしく、隠せずに滲んだ喜色に思わず小声で声をかけた。
すると「だって」と潜められた声が言った。
「貴族の模範たらんといつも厳つい顔をされるおじさまたちが、わたくしたちを見て一喜一憂なさるのが面白くて。ご覧くださいませ、手前の大臣なんてお口がまん丸で、雛鳥のようではございません?」
「ふっ」
ヴェリアルデの喩えはなんとも的確で、本当に彼らがそのように見えて思わず笑う息が漏れる。
すると、正面からは低くどよめく声がした。俺が笑うのはそんなに珍しいのだろうか。
「その調子ですわ殿下。良い笑顔でしてよ」
そう思っていると、ヴェリアルデが珍しく褒めてきたが、その調子と言われても、自分では今の顔がわからない。
返答しかねていると、俺の腕をぎゅっと掴んでヴェリアルデはにやりと笑った。
「皆さまの度肝を抜いて差し上げましょう」
「何故そなたのほうが自慢気なのだ」
ついそう返したが、きらきらと目を輝かせながら、まるで一緒にいたずらを考える仲間かのように俺を見るものだから、腹の内がくすぐられるような心地になる。
「だが、まあ、そうだな」
そこで、その気持ちをきちんと飲み込むことができていれば、もしかしたら何か違ったのかも知れない。
けれど俺の口からはどうしたって、ひねくれた物言いしか出て来なかった。
「せいぜい驚いてもらわねば、お前に散々嫌みを言われた甲斐がない」
「ふふ」
その言葉に、小さく笑ったヴェリアルデの楽しげな顔は、綺麗というよりは可愛いというのが近かったが、俺はついぞ彼女にそのことを教えることはなかった。
——そのことを後悔することになるとは、その頃の俺はまるで想像もしていなかったのだった。




