11.婚約者ヴェリアルデ・ヒーデル
空は曇りなく快晴。
眩しいほどの日差しが庭園の草木を彩る中で、婚約者との顔合わせが行われた。
母上曰く「両者の相性を見るために、直に声を交わす機会を設けるべきであろう」とのことだが、別にこんな風にわざわざ顔なんて合わせたりなんてしなくとも、決定事項が覆るわけでなし。
何となくではあるが、この顔合わせは失敗に終わるだろうという嘲笑的な期待のようなものが透けてもいて、俺は内心で「だったら最初からしなければいいのに」と不満でいっぱいだった
が、それは婚約者として選ばれてしまった彼女、ヴェリアルデ・ヒーデル嬢にとってもそうだっただろう。
俺のような出来損ないの王子に宛がわれるなんて、運のないことだと思う。
だが、庭園の中央に設えられた東屋を訪れたヴェリアルデ嬢は、嫌な顔ひとつせずに俺の前で微笑んだ。
良く磨かれたカトラリーのように陽を受けて輝く銀の髪。鮮やかな菫色の瞳。庭園の花々を背に、絵画から抜け出してきたかのような少女の姿に、お姫様みたいだな、と一瞬目を奪われた自分に、なんだかムカッとしてしまう。
「……俺はそなたのような女を婚約者とは認めんからな」
「殿下に認めていただかずとも婚約者ですわ」
挨拶もそこそこについ声を尖らせたが、返ってくる声もつんっとしていた。なんだよ、可愛げがないな、とムスッとした気持ちは濃くなったが、珍しく刺々しいものに変化することはなく、彼女の声は涼やかに耳を通っていく。
とはいえ、だから仲良く会話できるかと言えば。まあそんなはずはなかった。
「お互いの思うところはどうあれ、わたくしたちは婚約者同士となったのですから、お互いに歩み寄るべきでは?」
「必要ない」
「ですが、公式の場では常に行動を共にするのですから、お互いのことをもっとよく知るべきで……」
「お前のことなど知りたくもない」
後になって考えれば、当時の俺は同世代とのつきあい方なんてまるで知らなかったから、突然に貴族の子供の見本みたいな相手と向かい合ったことで緊張していたのだろうと思う。
何しろこの頃、俺の話相手なんて父上とメイラとシレーくらいしかいなかったから、誰かと対等に会話をするなんて未知の領域だった。
以前のお茶会のように、下手に分からない話になって暴れだしたりしないように、俺だって気を遣っていたのである。
「…………」
「…………」
ヴェリアルデはなんとか話題作ろうとして何度も話を振って来たが、そのたびについ会話を拒むようにぶったぎっていったものだから、その内ついに沈黙が落ちた。
「……なんだ、急に黙り込んで」
自分で拒んだくせに黙られると気になるもので、つい口を開くと、ゆったりとした仕草でカップを傾けながら、ヴェリアルデはしれっと微笑んだ。
「殿下はわたくしとの会話をお望みではないようなので、お茶を楽しむことにいたしましたの。せっかく最上級の茶葉を堪能できるのですもの」
ムッと反射的に眉が寄ったけれど、やはりそれも、不思議と怒りになるまでには至らなかった。
俺に向かってペチンと扇子で叩くような返しをしてきたのは、彼女が初めてだったから、興味のほうが勝っていたのかもしれない。
「茶など、どれも同じであろう」
「あら、そんなことはございませんわ。種類や産地、時期によっても風味も香りも全く違うのです」
そんな風に雑に扱わず、きちんと味わってみればよろしいのに、と暗に含めたのがわかって、俺はつい「ふん」と鼻を鳴らした。
「王子相手に意見するとは、生意気な女だな」
「……わたくしはヴェリアルデ・ヒーデルという名前がございますわ、殿下」
すると、さっきまでは緩やかに流れていた声が僅かに固い響きを持った。
「どれほど不本意であっても、わたくしは殿下の婚約者ですもの。名前で呼んでいただきとうございます」
ぴんと伸びた背中に、凛と強い声は何というか凄みがあって、さっきまでお姫様みたいだった少女は、なんだか騎士みたいな迫力があった。
「どうせお前も、すぐ俺の前から消えることになるんだ。女で十分だろう」
「あら」
こう言うのを売り言葉に買い言葉と言うのだろうか。
というより、妙な反発心のようなものに背中を押されるようにして思わず口から突いて出たのは、ちょっと前に読んだ話の台詞だった気がする。
それを聞いて、ヴェリアルデは少しだけ驚いたようにまたたきした後、ゆっくり笑みを深めた。
「わたくし、いただいた役目を投げ出したりはいたしませんわ」
そう言って微笑むヴェリアルデの目は、まっすぐ挑むような強さで、俺を見ていた。
「どうだかな」
宝石みたいにきらきらした目にほんの少しどきりとしてしまったのが妙に悔しくて、俺はふんっと鼻を鳴らして誤魔化した。
「そなたのような高慢な女、すぐにでも根をあげるであろうよ」
まさか俺のこの言葉が、彼女に火を点けたなんて、その時はまったく思いも寄らないことだった。
******
「さあ殿下、特訓の時間ですわ!」
「帰れ!」
「お断りいたしますわ!」
王子宮の客間に、ふたりぶんの声が響きわたった。
王族の結婚というものはどうしたって政略的なものになるが、将来を共に過ごす相手になるのだから親密であることに越したことはない、ということで、王族が婚約者を得ると必ず一定間隔でお茶会をしなければならないという王室典範がある。
そんなわけで、今日はその婚約者同士の定例茶会のはずだったのだが、いざ始まってみると、お茶もそこそこにエスコート練習会になっていた。
「次の新年の祝祭までに仕上げて参りますわよ」
「そんなもの、出る必要はない」
「そうも参りませんわ。わたくしは、婚約者となった意味を果たさねばなりませんの」
新年の祝祭というと、どうしたって初めてのお茶会のことを思い出してしまう。
同世代の子供たちが、まだそんなこともできないのかと信じられないものを見るような目をし、呆れ、眉をひそめていた。
あれから、更に引き離されたであろうことは想像に難くないし、今度は大人たちが相手となれば、俺の出来の悪さを王族の恥として晒すくらいなら引っ込んでいたほうが余程良い。
要するに、とうせ馬鹿にされるのだから嫌だ、ということなのだが、さすがにそれを口に出すほど俺も愚かではない。
「お前の都合など知ったことか。祝祭など出んし、エスコートなどするつもりはない。帰れ」
「あら、わたくしは構いませんけれど、殿下はよろしいんですの?」
諦めろ、と言ったつもりだったのだが、ヴェリアルデはそれで引っ込むような少女ではなかった。
ことさら挑発的に言われて、俺は思わずぎろりとヴェリアルデを睨んだ。
「何がだ」
「わたくしより先に根をあげることになりましてよ?」
それは、先日の顔合わせで俺が放った言葉に対する揶揄、いや反撃だとすぐにわかった。
(こいつ……っ)
ムカッと腹が立ってきたが、それはいつもの頭を真っ赤にさせるそれではなくて、痺れる何かが体中を走り抜けていく感覚だった。
ヴェリアルデの紫水晶のような目の中に、俺の緑の目が写りこむ。睨みあうというよりぶつけ合うというのが正しいくらい、ばちばちとお互いの間で視線の音が聞こえそうだ。
おろおろと戸惑った様子の従者たちに見守られながら、何秒くらいそうしていたのか。悔しいことに、先に根負けしたのは俺だった。
「……本当に生意気な女だな、お前は」
俺は舌打ちしながらも、帰れ、の言葉を飲み込んだ。
それを言うと負けたような気がしたからだが、ヴェリアルデはパンッと軽やかに手を叩いてにっこりと晴れやかな目で笑った。
「では! まずは挨拶からですわね! ――よろしくお願いいたしますわ、殿下」
途端に、さっきまでの強気な態度をさらっと消して、これぞ見本というような丁寧にカーテシーをするヴェリアルデに、俺もしぶしぶながら姿勢を正し、覚えている範囲のぎこちない礼を取ったのだった。
後からメイラに聞いた話では、俺が怒り出すこともなく礼を取ったことで、一緒にいた侍女や従者が手から銀盆を滑り落としたり、目を白黒させていていたそうだ。
なんだそれ。




