表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鍛冶屋から一歩も出ていないのに、気づいたら国を救っていた件 〜鍛冶屋アルダーの年代記〜  作者: 鈴野シン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/55

第四十六話 守り続けた思いの、結果

通路の中で、フェンリルが光った。


最初は、襟元だった。


白い光がぽっと灯った。小さな火のような光だった。十五年の間、ずっと首にぶら下がっていた小さな骨——仔犬のフェンが遺した骨——が光に包まれながら首元に現れた。同時に手元にあった砕けた剣は光のチリと化した。今夜、遠くの広場で唱えられた一つの願いに応えて、骨の首輪が脈打ちながら、革紐を伝い、フェンリルの胸の中心に流れた。次に、肩から、腕から、手の先へと広がった。全身が、内側から光り始めた。


「——!」


ノーマンは振り下ろす寸前だった湾刀を、咄嗟に手から離した。


離さざるを得なかった。光が強すぎた。肉眼で見ていられるものではなかった。通路の燭台の炎が、その光の前では、どれも影にしか見えなかった。


後退した。石壁に背中がついた。手を顔の前に上げた。眩しさから目を守るように。


光が、通路中を満たした。


その中心で、フェンリルの輪郭が溶けていった。犬の耳が消えた。尻尾が消えた。帽子のつばが消えた。犬の体格が、人間の体格に変わっていった。溶けて、整って、別の形になった。ノーマンが飲ませたスープによって塗り重ねられてきた呪いが、一枚ずつ、光の中で剥がされていくようだった。


光が、ゆっくりと引いた。


あとには——一人の青年が立っていた。


銀に近い金色の髪が肩まで流れていた。肌は白く、整った顔立ちには、あどけなさと凛々しさが同居していた。身にまとっていたのはシンプルな旅装だった。腰には、細く鋭いレイピアが吊ってあった。首には、細い革紐の先に小さな骨が揺れていた——欠けて、ひびの入った、小さな白い骨。


金色の目だけが、以前と同じだった。


しかし、その目の色が、違った。


悲しかった。


若い男の——いや、王子の目だった。自分がこれまで何者として生きてきたのか、そして今、目の前に誰が立っているのかを、すべて思い出した者の目だった。フェンリルとして過ごした記憶が、たった今、一呼吸の間に戻ってきたばかりの目だった。記憶が戻っても、そのあいだに起きたことは消せない。その重さが、まだ整理のつかないまま、瞳の奥に沈んでいた。


エルウィン王子は、静かに立っていた。


石畳に、砕けた骨の剣の欠片が転がっていた。王子はそれを見た。


それから、顔を上げた。


ノーマンを見た。



ノーマンは壁際で、湾刀を拾い直していた。


光から目を守るために一度湾刀を離したが、体は動いていた。拾う動作そのものは条件反射だった。しかし——刃を構え直した腕が、動きをやめた。


正面に、青年がいた。


金色の目。首の骨の首輪。それは紛れもなく、十五年近く前に彼自身が拵えた首輪だった。あのとき、あの夜、泣き続けた五歳の子供の首にかけた、素人の工作の首輪。その成れの果てが、欠けたまま、割れたまま、まだそこにぶら下がっていた。自分の手の形が、この十五年の長さを経て、今、目の前に戻ってきていた。


エルウィンが、腰のレイピアを抜いた。


細く、鋭い刃だった。儀礼用ではなかった。刃紋がはっきりとしており、切先は針のように磨かれていた。重心は柄に近く、突きに特化した王家の剣。王族の男子に代々受け継がれてきた形の剣であることを、ノーマンは一目で見て取った。


ノーマンは後退した。


壁が背中にあった。もう下がれなかった。それでも足が、勝手に下がろうとした。光に目をやられた名残で、視界の端が白く滲んでいた。湾刀の柄を握る手が、先ほどとは別の意味で、震えていた。葬ったはずの過去が、青年の姿をして目の前に立っていた。七年間ずっと踏みつけてきた死体が、足元で静かに起き上がった感覚だった。


エルウィンは、一歩踏み出した。


音がしなかった。通路の石畳を、まるで触れないように歩いた。距離が一歩で詰まった。もう一歩で、さらに詰まった。王家に伝わる歩法だった。剣術の最初ではなく、もっとあとで習うものだった。王の身辺に侍して長かったノーマンには、その歩の運びの線が、どこから出ているかが分かった。間違えようのない線だった。ノーマンは湾刀を構えようとした。構えたつもりだった。しかし刃が上がる前に、もうエルウィンの顔が目の前にあった。


金色の目が、至近で自分を見ていた。


悲しかった。


怒りでも、憎しみでもなかった。ただ、悲しい目だった。


エルウィンのレイピアが、動いた。


見えなかった。湾刀を構えるノーマンには、その突きの予備動作が見えなかった。六十を過ぎているとはいえ、長年の鍛錬を積んだノーマンの目をもってしても、反応できなかった。王家の剣術の、名乗りの構えから、そのまま流れるように放たれた一突きだった。


レイピアの切先が、ノーマンの胸を、真っ直ぐに貫いた。


軽い音だった。


ノーマンの体が、一瞬だけ硬直した。それから、ゆっくりと、力が抜けた。湾刀を持った手が下がり、刃先が石畳にかちりと当たった。口を開いた。何か言おうとしたかもしれない。言葉にはならなかった。


膝が折れた。


エルウィンは、レイピアを引き抜いた。


引き抜く動作にも、迷いがなかった。血が一筋、刃を伝って石畳に落ちた。一滴、また一滴。


ノーマンの体が、壁にもたれるようにして崩れていった。


エルウィンは、倒れたノーマンを見下ろして、静かに言った。


「この国の王子として——」


声は、震えていなかった。それは、王子がまだ王子らしい声を持っていた頃に、侍従のノーマン自身が日々聞き続けていた声でもあった。


「——そして、フェンリル・アイアンファングの代理として」


一呼吸。


「反逆者にして、王国の敵なり。安らかに、眠れ」


王家の裁きの定型文だった。代々の王が、玉座の間で、反逆者に向けて口にしてきた言葉。その同じ言葉を、今、通路の石畳の上で、二十歳になったばかりの若い声が、誰の立ち会いもなく静かに口にしていた。


石畳に、血が広がっていった。


遠くで、広場の方向から、重い地鳴りのような声がまだ続いていた。大蛇の声。黄金の目。三つの願い。その一つ目が、たった今、叶えられたのだ。


エルウィンは、レイピアを鞘に戻した。


そのままその手で、首の骨の首輪に触れた。


ひびが入っていた。欠けていた。それでも、まだそこにあった。骨は微かに温かかった。十五年の間、彼の胸の上で、別の命の温度を預かり続けていた温かさだった。


「……すまなかった、フェン」


小さく、彼は言った。


「守って、もらってばかりだった」


仔犬の頃の、あの小さな体の体当たり。


獣人としての、古い剣を携えた長い旅。


そのどちらもが、自分ひとりのためだった。その重みを、ようやく、受け取る側の自分が、受け取れる体になった。十五年かかったのだ、と彼は思った。


通路の奥で、燭台の炎が、静かに燃えていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、ブックマーク・★評価で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ