第三十九話 五本の剣が、一つの音で止まった
王宮への階段は、石でできていた。
幅は広く、段は緩やかで、普段は衛兵が等間隔に並ぶ場所だった。今夜は違った。衛兵は屋内に引いていた。ヴォルターが手を打っておいた結果だった。正騎士団長という立場なら、宮廷の警備配置を動かすのは難しくなかった。祭りの夜だからと理由をつければ、疑う者もいない。
石段を登っていた六人が足を止めた。
正面の踊り場に、人影があった。
「……なんだ、あれ」
反乱軍の一人が呟いた。声に、ほんの少しだけ驚きが滲んでいた。
人に近い形をしているが、何かが違う。犬のような見た目で、こちらを真っ直ぐに見ていた。手に持っているのは剣だが——骨だった。骨を削り出して作られた、白い剣。月明かりを吸って、刃が少し光って見えた。人間が作る武器ではない。見た者が足を止めずにいられない種類の武器だった。
「グゥ……」
低い唸り声が石段に反響した。フェンリルは踊り場の上に立ち、骨の剣を構えていた。両目はひとつの場所だけを見ていた。ヴォルター、とその目が言っていた。迷いのない視線だった。
ヴォルターは一秒も迷わなかった。
「邪魔者は殺せ」
五人の戦士が動いた。
フェンリルは動じなかった。
最初の一撃を骨の剣で弾き、二撃目を半歩引いて躱した。三人目が左から仕掛けてきたところに肘を合わせ、動きを一瞬乱す。四人目と五人目が挟み込む形で来たところで、フェンリルは後退を選んだ。
石段を三段、四段と下る。
五人がついてくる。
フェンリルは悟っていた。五人を捌けている。捌けているが——押されている。じりじりと後退させられていた。踊り場の端に追いつめられれば、下に落とされる。包囲が完成すれば、終わりだ。この五人は、精鋭だった。一対一ならそれぞれを仕留められる。だが五人同時の網は違う。網というものは、一点を破っても残りが絞まる。
背後が壁際に近づいた。
背後から足が来た。
低い体勢でしゃがんだまま踏み込んだ男の足が、フェンリルの足首を払った。バランスが崩れた。膝をついた。
その瞬間、五人が一斉に剣を上げた。
上から押しつぶすように五本の剣が落ちてくる。フェンリルは目を閉じなかった。最後まで見届けるのが、犬獣人の流儀だった。
金属が、金属に当たった。
五つの音が、ひとつに重なった。
フェンリルの前に、しゃがんだ人間がいた。体の前に剣を構え、五本の剣すべてを受け止めていた。太い腕に、白い息が混じる。剣を受け止めた腕は動いていない。揺れてもいない。膝をつく音さえしなかった。
「無事か?」
かすれた声だった。だが確かに聞こえた。酒で嗄れたはずの声の奥に、別の何かがあった。
◆
「かたじけない」
フェンリルは立ち上がった。膝についた石の埃を払い、骨の剣を握り直した。
ヴォルターが、ガランを見た。
感情の色がほとんどない目だった。驚きも、動揺も、再会の感傷もない。ただ計算している目だった。かつての戦友を見る目ではなかった。戦場で予定外の要素が出てきたときに、その要素を処理するための時間を計算する——そういう目だった。
「これは、これは」ヴォルターは言った。「酒に逃げた臆病者のお出ましか。今更、何しに来た」
「ヴォルター。なんのマネだ」
「この国の本来あるべき姿に変える——それだけですよ」ヴォルターは答えた。声に温度がなかった。「長年、酒に溺れていたあなたには理解できないでしょうが」
ガランはそれ以上言わなかった。言葉のやりとりに意味がないことを知っていた。この男にこの瞬間に何を言っても、届かない。届くなら、もっと前に届いていた。
「こいつらは俺が相手する」ガランはフェンリルに向かって言った。「奴を止めろ」
フェンリルは頷いた。
ヴォルターに向き直った瞬間——何かが空気を切った。
本能だった。
フェンリルは頭を横に傾けた。金属の何かが頭の横をかすめ、背後の石壁に当たり、乾いた音を立てて地面に落ちた。
鉄の針だった。親指ほどの長さの、細い針。先端に黒ずんだ何かが塗ってあった。
「あなたの相手は、私がします」
ノーマンが正面に立っていた。両手を胸の前で交差させ、指の隙間から複数の針が見えていた。一本一本に、同じ黒い染みがある。毒だ。宰相の細い指が、そういう武器を扱うのに妙に慣れていた。
「ヴォルター様、王の始末をお願いします。ここは私が」
ヴォルターは頷いた。迷わなかった。たった一人で石段を上り、王宮へと向かった。マントの裾が石段を擦る音が、ひとつ、またひとつと遠ざかっていった。
ガランが追おうとした。できなかった。まだ五本の剣が彼に向いていた。フェンリルが追いかけようとした瞬間、ノーマンがまた針を投げた。フェンリルは飛び退き、踊り場の横の細い通路に滑り込んだ。ノーマンが後を追う。
ガランとフェンリルは引き離された。
ガランは五人に向き直った。五人が囲む。剣を構える。
ガランは剣を低く構えた。膝を少し落とし、重心を下げ、足を踏み固めた。三十年前に覚えた構えだ。錆びついたかもしれないが、体は覚えていた。酒で曇っていた長い年月の向こう側から、若い頃の自分がゆっくりと戻ってきていた。
五人との間に張り詰めた空気が生まれた。
先に動いたのは反乱の戦士だった。右から一人が踏み込む。ガランはそれを待っていた。受けない、避けない——踏み込みに合わせて半歩前に出て、剣の内側に入った。肘が男の顎に入る。男が崩れた。
残り四人。
ガランは片膝をついた。
四人分の剣圧が腕にかかっていた。じわじわと押し込まれてくる。腕に力を込める。石段が膝に硬い。関節が、久しぶりに仕事をしていた。若い頃は毎日この重さを受けていたのだ、と思い出した。思い出すのに、三十年かかっていた。
「錆びたもんだ」
ガランは呟いた。それでも口の端に、かすかな笑みがあった。
一気に振り払った。
四人が吹き飛んだ。石段に転がった者、壁に背中を打った者、それぞれが崩れた。ガランは立ち上がり、剣を握り直した。
五人は崩れたが、まだ動いていた。起き上がろうとする肩が見え、石段に落ちた剣を拾おうとする手が動いていた。まだ終わっていない。それでも、最初に来たときの勢いはもうなかった。五人が顔を見合わせ、ひとり、またひとりと、剣の持ち方を直し始めていた。警戒が、攻撃の前に立っていた。警戒が立つということは、相手に格を認めたということだ。ガランは低い構えに戻り、一歩も引く気のない闘気で向かい合った。
酒の匂いが、汗の下に沈んでいた。その下に、別の匂いがあった。硬く、乾いた、砥石の匂い。若い頃のガランの体から抜けきっていなかった匂いが、今夜、ゆっくりと表に出てきていた。石段の上に月明かりが落ちていた。その光の下で、ガランは自分の影を見た。影の形が、思っていたより大きかった。もう何年も、この形の影を見ていなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、ブックマーク・★評価で応援いただけると嬉しいです。




