第三十八話 街中の戦闘に、見覚のものが
石畳に血が散った。
正確には鼻血だった。反乱軍の一人が腕を振り回したところに、グロームの肘が入った。骨と肉が鈍く鳴る音がして、男の鼻が折れていた。慌てて後退した男が仲間と衝突し、列が乱れる。後ろの二人が釣られて半歩下がる。戦列というのは、ひとりの乱れが三人分の乱れになるものだ。グロームはその崩れを見逃さなかった。
トッドはその隙間を縫うように動いた。
「こっち、こっち——!」
彼の役割は戦闘ではない。怪我をした冒険者を引っ張り、路地の外へ誘導することだ。慣れない剣は腰にある。抜いたことはあるが、抜いた途端に持て余し、邪魔になって戻した。剣の扱いは苦手だった。剣を振るより、負傷者の脇に肩を入れるほうが、よほど役に立つと自分で知っていた。
だがトッドの足は速かった。路地の形は頭の中に入っていた。どこに曲がり角があり、どこが行き止まりで、どの道が広場に抜けるか——それを無意識に把握していた。補給係というのは街のあらゆる裏道を覚えているものだ。今夜はそれが役に立っていた。
正騎士団の兵士たちも必死だった。
十名では少なすぎる。それでも腰は引けていなかった。訓練された動きで反乱軍の前進を遅らせ、仲間が崩れれば別の者が補った。ひとつの意識で動く集団の強みだった。声をかけ合う余裕はもうなかった。だが目配せと、足の角度と、剣を引くタイミングで、言葉なしに補い合っていた。
グロームは違う戦い方をしていた。
調理器具の武器を両手に持ち、前に出る。一対一の技術では精鋭の反乱軍に及ばないかもしれない。だがグロームには圧倒的な膂力と、戦場で叩き込まれた体の使い方があった。剣を受け、鍔を掴んで押し込む。力で制するやり方だ。三人集まっても、それぞれを順番に潰していく。膝でひとり、肘でひとり、武器の柄でひとり——同時に来た三人を、短い拍子で畳んでいった。
ただ——。
「……ふぅ」
グロームが短く息を吐いた。
四方を囲まれる。一人倒せば次が前に出る。休まず来る。それがじわじわと効いてきていた。息は上がっていないが、腕の動きが少しだけ重くなっていた。アンデッドとの戦いで、まだ十分に回復していない体だ。その自覚が、動きを雑にさせない抑止になっていた。
反乱軍の一人が苛立った声を上げた。
「時間を食いすぎだ!ヴォルター様と合流しなければならない、早くしろ!」
その声を聞いて、グロームの口の端が少しだけ上がった。時間を食わされている、と相手が言った。それはこちら側の勝利条件だった。勝ちに行く必要はない。時間を食わせるだけで、この戦いはこちらの勝ちになる。グロームはそれを、調理器具の武器を握り直すことで確認した。握りの感触が、そのまま作戦の確認になった。
そのとき——路地の後方から、重い車輪の音がした。
ゆっくりと、それは現れた。
荷車のように見えた。だがただの荷車ではない。台座の中央に鉄の機構が組まれており、人の背丈ほどある槍を番えるための溝が走っていた。左右には太い管が固定され、その中に何かが詰まっているのが見てとれた。後ろで松明を持った男が、火をその機構の近くに待機させていた。これが発射されれば——炎を纏った槍が放たれ、着弾と同時に焔油が広がり爆ぜる。狭い路地で使うには十分すぎる兵器だった。
反乱軍の士気が上がった。前に出ていた者たちが一斉に後退し、機械の後ろへ集結した。巻き添えを避けるためだ。整然とした動きだった。兵器の扱いを知っている者たちの動きだった。
正騎士団がどよめいた。冒険者たちが顔を見合わせた。
グロームは動かなかった。目を細めてその機械を見た。
トッドは必死に笑いをこらえていた。口の端が引きつり、目が笑っていた。
「グロームさん」とトッドが囁いた。「あれ、僕が壊してしまったのをアルダーさんが見た目だけ忠実に再現した物です」
油が投入されるのを見て、グロームは前を向き、大声で叫んだ。
「引け!」
◆
全員が後退した。
正騎士団も冒険者も、指示の意味を聞き返す間もなく、グロームの声の力だけで動いた。十歩、二十歩と後ろに下がり、角を曲がり、壁に背中をつけた。理由はわからない。だがあのオークが引けと言ったら、引く。体のほうが先に従っていた。
反乱軍が叫んだ。
「逃がすな!打てっ!!」
点火された。
「伏せて〜!」
トッドの声に、全員が石畳に伏せた。顔が石に触れる。煤と埃の匂いがした。祭りの日のはずの石畳が、妙に冷たかった。
一瞬の静寂があった。
それから——路地が揺れた。
爆発音というより破裂音だった。空気が膨張し、石畳を震動が走り、路地の空気が一度に押し出された。その直後に炎の音と、男たちの悲鳴が重なった。内側から壊れた兵器というのは、外に撃つより内側を吹き飛ばすものだ。アルダーはそう作っていた、見た目だけ忠実に。
煙が流れてきた。
グロームはゆっくりと頭を上げた。路地の向こうが白くなっていた。炎の欠片が舞い上がり、弾き飛ばされた木片がどこかに当たって落ちる。機械の近くにいた者たちが地面に転がっていた。動いている者もいるが、立ち上がれていない。遠くで誰かが呻いた。
トッドが先に立ち上がった。
膝の埃を払い、煙の向こうを見て——
「勝った〜!!」
声が裏返った。冒険者のひとりが失笑した。正騎士団の兵士が困惑した顔でトッドを見た。それでもその声は路地にしっかりと響いた。響くのが正しかった。今夜、この路地では、それ以外に口にするべき言葉がなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、ブックマーク・★評価で応援いただけると嬉しいです。




