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鍛冶屋から一歩も出ていないのに、気づいたら国を救っていた件 〜鍛冶屋アルダーの年代記〜  作者: 鈴野シン


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第三十七話 歌の最後に、待っていたものは

広場には、月の光が降っていた。


ちょうど月が天頂を通る頃合いで、石畳が青白く照らされていた。祭りの提灯の橙色とは違う、別種の光だった。楽団の演奏がいつの間にか穏やかになり、広場の人々も心なしか声を落として互いに顔を見合わせ始めていた。何かが始まる気配を、みんなが感じていた。気配というものは音より先に広まる。大人も子供も、それを知らないまま、ちゃんと反応していた。


高台の上に、ミラが立っていた。


その隣でセレニティーが台に上がり、声を張り上げた。


「今夜の復活祭、いよいよ最後の儀式に移ります!」


歓声が湧いた。


セレニティーは笑顔を保ちながら、内心で息をついた。うまくいっている。人々の目が、期待に輝いている。露店から帰ってきた人々が広場中央に集まりつつあった。子供たちが背伸びをしていた。老人が隣の人と目を合わせ、懐かしそうに微笑んでいた。声を張り上げた舌の裏で、セレニティーは広場の隅まで目を走らせていた。人間の数を耳で数え、姿勢の崩れを目で確かめる。弓使いの癖だ。


ミラは目を閉じた。


両腕をゆっくりと持ち上げる。その動作だけで、広場に残っていた雑談がひとつ、またひとつと消えていった。音楽も止んだ。風さえも止まったように感じた。広場の中心に、音のない円が広がっていくようだった。


深く息を吸った。


古い書物に記されていた呪文を、幼い頃から何度も読んだ。意味のわからない古い言葉も、声に出して音として体の中に馴染むまで繰り返した。呪文というよりは詩に近かった。韻を踏む言葉が連なり、正しい抑揚で歌うように発音すると、ひとつの旋律になる。ベイルボーンの修道院では、少女時代からこれを歌わされてきた。意味は教わらないまま、ただ音として。意味を知らないまま歌うことで、かえって正しく伝わるものがある——師はそう言っていた。今夜、ミラは初めてその意味を体で理解していた。


ミラは最初の言葉を口にした。


声は大きくなかった。それでも広場の端まで届いた。反響ではない——広場全体が、その声を受け取ろうとするように静まり返っていた。誰かが息を止めていた。誰かが息を止めていることに誰かが気づいて、自分も息を止めていた。


ミラの声は美しかった。普段は遠慮がちな彼女の声が、古い呪文の言葉を纏って、今夜だけは別の色を持っていた。なぜ泣いているのか自分でもわからないという顔で涙を流す人がいた。口を半開きにしてまばたきを忘れた子供がいた。両手を胸の前で組んで、目を閉じる老人がいた。何十年も前に亡くした誰かの顔を、今夜この呪文の中に見ている顔だった。


ミラが最後の一節を歌い終えた。


広場はしばらく、誰も声を出せなかった。歌が終わったことに誰も気づきたくないようだった。この静けさを壊すことを、みんなが少しだけ躊躇していた。


それからひとりが拍手を始め、それが隣へ伝わり、広場全体が歓声に包まれた。ミラは目を開けて腕を下ろした。頬が少し赤くなっていた。こんなにも多くの人に届いたのだという、素直な喜びだった。修道士として長年歌ってきて、今夜ほど手応えのある夜はなかった。


横を向いた。セレニティーに笑顔を向けようとした。


セレニティーが、険しい顔でミラの手元を見ていた。


「ミラ」


低い、いつもとは違う声だった。普段のセレニティーの声から、装飾がすべて剥がれ落ちた声だった。


「なに、その指輪」


ミラは自分の手を見た。


右の人差し指に装着している指輪が光っていた。


毒が混じったような赤黒い光が、鼓動するように指輪の石の中で渦巻いていた。弱くなり、また強くなり、その間隔が少しずつ速くなっていた。人間の心臓の鼓動ではなかった。もっと大きな何かが、ずっと遠くで目覚めかけているときの鼓動の仕方だった。


「えっ」とミラは言った。


目をセレニティーに向けた。セレニティーもミラを見ていた。


二人の目が合った瞬間、どちらともなく——


「うそ?!」

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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