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鍛冶屋から一歩も出ていないのに、気づいたら国を救っていた件 〜鍛冶屋アルダーの年代記〜  作者: 鈴野シン


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第三十四話 信じる杭は、一本でいい

グロームは小窓に近づいた。鉄格子の向こうに、白い顔が見えた。年齢は若い。二十代の前半か、もしかしたらもっと若いかもしれない。淡い金色の髪が肩に流れ、目が大きい。細い手に長い杖を持っていた。戦場のすぐ外に、その人物が立っていること自体が、物理法則の何かを軽く踏み外しているように見えた。


「誰だ」


「自己紹介はまだでしたね。アンネローズといいます」女が答えた。「アルダーさんに名前を教えてもらいました」


グロームの眉が動いた。アルダー。その名前を、今夜この場所で聞くとは思っていなかった。それとこの女性に見覚えが……森で出会ってハーブを取りに帰ってこなかった女性だと気づいた。記憶は顔の輪郭から入ってきた。髪の色と、目の大きさと、落ち着きの質。三つが揃って初めて、あの日の鍋の前で会った同じ人物だと分かった。


「スープ、ハーブ?」


「はい。あの時はすいませんでした」彼女は微笑んだ。「アルダーがあなたは信頼できる人だと言っていましたのでお願いがあります」


グロームは彼女の目を見た。


怯えていない。これだけの戦場の音が響いている中で、この女の目には迷いがなかった。怖いはずだ。普通の人間なら、門の外に出ることを恐れるはずだ。だがアンネローズの目は静かだった。嵐の中心のように、何か別の落ち着きがあった。怯えの代わりに、使命のようなものが目の奥にあった。そういう目をしている人間は、戦場ではむしろ危険と結びつきやすい、とグロームは経験上知っていた。危険と結びつくというのは——その人物が何かを変える側に立っている、ということだった。


彼女が杖で小高い丘を指した。城壁の外、戦場から少し離れた場所に、戦況が見渡せる小高い丘があった。


「あそこに立てれば、彼らを止めることができます」


「止める」グロームは言った。「三万、アンデッド?」


「はい」


一言だった。迷いも、誇張もない。ただ「はい」とだけ言った。その「はい」の形が、グロームの古い記憶の奥にある別の「はい」を思い出させた。戦場で、やれると知っている者だけが返す種類の「はい」だった。


グロームは三秒、考えた。


この女を信じる理由はひとつしかない。アルダーの名前だ。アルダーがグロームは信頼できると伝えた人間を、信じないわけにはいかない。それだけでよかった。信頼の根拠を無限に遡ることはできない。どこかで一本、太い杭を打つしかない。グロームにとって、その杭の名前はアルダーだった。


「わかった」グロームは城門の閂に手をかけた。「でも丘、一人じゃ無理だ。道、開く」


「お願いします」


グロームは大声で呼びかけた。近くにいた冒険者数人が振り向いた。状況を端的に説明した。信じるかどうかは各自に任せる、ついてこられる者だけついてこい、と言った。言葉を短くしたのは、グロームの片言のせいでもあり、時間がなかったせいでもあった。長い説得は、戦場では通じない。行く者は行く、行かない者は行かない。それだけのことだった。


六人がついてきた。


城門が開いた。


アンデッドの波がそちらに向かってきた。グロームは先頭に立ち、調理器具の武器を振るった。横から、後ろから、冒険者たちが続いた。道を作る、という表現はいかにも単純に聞こえるが、実際にやると単純ではない。アンデッドは止まらず、どかしても脇から回り込んでくる。だからグロームは、倒すというよりも、道の幅を維持することに集中した。倒しても構わないが、戦線を広げるのが目的ではない。七人が通れる幅さえあれば、それでよかった。


アンネローズは後ろで動いていた。


杖で殴っていた。


グロームがちらりと振り返ると、アンネローズが脇から近づいてきたアンデッドの顔面を杖で力いっぱいブン殴っていた。戦い慣れた動きではない。杖をクラブのように大振りして、当たったアンデッドがよろよろと倒れ込む。顔には真剣な表情が浮かんでいる。真剣というより、必死に近かった。魔法使いのはずの人物が、杖をクラブとして使っている——その光景には、状況の切迫と、本人の割り切りの両方が混じっていた。魔法を温存している、ということだろう、とグロームは理解した。ここで使うべきものではない、という判断が、杖を大振りする動作に出ていた。


「よし」とグロームは言った。この人物は使えると判断した。


密集が一番ひどいところで、声がした。


「こっちです!こっち!戦場は暗記しました!」


トッドだった。


どうやって戦場を暗記するのかは知らないが、トッドが嘘をつく必要はない。片方の手で包帯を肩にかけながら、アンネローズたちの方へ走ってきた。走り方は戦士のそれではなかったが、足運びの迷いのなさだけは、何度も同じ道を往復した者の足取りだった。


「丘への近道があります!あっちの木の間を抜けると!」


グロームはトッドの指さす方向を見た。確かに、アンデッドの密集が薄い隙間があった。


「案内」グロームは言った。


トッドの目が丸くなった。「え、僕がですか」


「行け」


「あ、はい!」


トッドが先頭に立ち、グロームが後方をカバーし、一行は丘に向かって動き始めた。


アンデッドの密度は少なかったが、いないわけではない。グロームが道を作った。接近してくる者を鍋のような調理器具の二刀流で払い、塞ごうとする者を蹴り飛ばし、足元に来る者は踏んだ。右から来たものには右の調理器具武器を、左からには左の調理器具武器を。無駄な動きをしなかった。動きに無駄がないというのは、道具に迷いがないということでもあった。手の中の鍋は、重心の置き場所が剣とは違う。違うが、長年触ってきた重さだった。料理のときに振るう重さと、敵を薙ぐときに振るう重さが、手の中でほとんど区別されなかった。


「左、二体来ます!」とトッドが叫んだ。


グロームはすでに見えていた。左の調理器具武器を横に大きく振るい、二体まとめて吹き飛ばした。調理器具武器の縁が一体の頭部に当たり、もう一体の胴体を砕いた。縁が当たる瞬間の音は、鍋を厚い板に叩きつけるような、鈍く深い音だった。


「グロームさん、それ武器ですか?料理器具ですか?」とトッドが走りながら言った。


「そうだ」


「なんか……すごい使い方してる」


「戦う、料理する」


「え、これで?」


「後で」


トッドは何とも言えない表情になった。その表情は、半分は呆れで、半分は信頼だった。走りながら、トッドは前方の地形に視線を戻した。後でに期待するためには、今を生き延びる必要があった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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