第二十九話 運命は、味方をとらない
——あれは、ベイルの森のことだった。
昼と夕暮れの間の時間。木の間から差す光が斜めになり、地面に長い影を落とす頃だった。街から離れた道を選んだのは、人目を避けるためというより、音を選ぶためだった。街の音がしない場所でしか、二人の話は始まらない。
ヴォルターとノーマンは並んで歩いていた。誰にも知られない道の中で、低い声で話しながら。
「正騎士団の内部と冒険者の中から集めたのが五十人ほど」とノーマンが言っていた。「国のためとは申しましても、多くの者は功績後の分け前を期待しているでしょう。しかし力になるものは利用するほかありません」
「歴史の流れとはそういうものだ」とヴォルターは言った。「使えるうちに使う。分け前が目当ての者は、分け前がなくなれば動かなくなる。それでもいい。一晩さえ動けば十分だ」
「隣国からの物資も、秘密の部屋に移しました。計画の段取りはほぼ揃っています」
「王と王子の件は」
「毒の準備は整っています。私が直接扱います。長年仕えてきた身として、機会を作るのは難しくありません」
「ノーマン」ヴォルターは足を止めずに言った。「長年エドバーを支えてきた男が、よく決断した。本当に良かったのか」
しばらく木の葉が風に鳴った。木の葉の鳴る音が、沈黙を埋めてくれるのをノーマンは待った。即答したくない問いには、自然の音に答えさせる。それも長年の癖だった。
「三十年前」とノーマンは言った。「王の言葉を信じました。貿易と交渉で守れる国が、本当に作れると思っていた。最初は、確かにそうでした」
「それが今では」
「国への愛情が深まるにつれて、気づいたのです。この豊かさの土台が、どれほど砂の上に立っているかを」ノーマンは間を置いた。「砂の上に立っているものを、美しい建物だと褒めることはできます。しかし、その建物の中に孫を住ませる覚悟は、私には持てませんでした。国を愛するということは、孫を住ませられる場所にするということだ、と——ある時期からそう考えるようになりました」
木の葉がまた鳴った。
「守るとは、時に失うことを覚悟する必要があるものです。それが、私の出した答えです」
「それで良い」とヴォルターは言った。
二人がまた歩き始めたとき、音がした。
乾いた音だった。枝が折れるような音。
二人は同時に足を止めた。視線を向け合う。声は出さない。長く組んだ者同士の目配せは、短く、しかし過不足がない。どちらが動き、どちらが待つか——一拍で決まった。
ヴォルターが手で合図した。
その後——逃げる何かの気配が、木の奥から伝わってきた。足音が速く、草を踏み分ける音。同時に、別の方向から料理の匂いが来た。肉と野菜と香辛料。炊事の匂い。一人で逃げる足音と、一人では焚けない量の炊事——その二つが、別の方向から同時に届いていた。
ヴォルターは短く言った。「俺が気配を追う。お前は匂いを辿れ。一人ではないかもしれない」
二人は別れた。どちらも走らなかった。走る方が早く追いつけるとは限らない。森では、音を立てずに進む方が、結局のところ速い。二人は別々の方向へ、足音を殺したまま消えていった。
◆
ヴォルターが追ったのは、逃げた人影だった。
木の間を縫うように動いている。速い。しかし慌てている様子ではなく、逃げているのかどうかも判然としない動き方だ。追われて走っているのではなく、遠ざかる用事が別にある者の足運びに近い。ヴォルターは距離を保ちながら、気づかれないように跡を追った。足音を消すのは、長年の訓練で染みついた技術だ。足先の外側から置いて、内側でゆっくり体重を移す。落ち葉の層の、一番乾いた場所を選んで踏む。それだけの動作を、考えずにできる。
しばらく追うと、人影が立ち止まった。
女だった。
深いグレーのマントが全身を包んでいる。歳のほどは読みにくい。髪が後ろで纏められており、杖を持っていた。立ち方に音がない。歩き方が、別の物理法則で動いているかのような静けさがあった。人の歩幅ではない歩幅で、それでも人の形をしている——そういう違和感を、遠くから見ているだけでも感じ取れた。
ヴォルターは木の陰から見た。
杖が、目に引っかかった。
幼い頃、ヴォルターの家に読んではいけない本があった。家系に代々引き継がれてきた、八百年前の魔王軍との戦いの記録だ。親に危険すぎると言われていたから、隠れて読んだ——何度も、暗記するほど。図版があった。当時の武器の図版が。筆で描かれた線画で、余白に几帳面な注釈が添えてあった。ヴォルターはそのうちのいくつかを、今でも線の一本まで思い出せる。
あの杖は、その図版に載っていた。
アンデッドを制御するための杖。まさかそれが今目の前にあるとは思わなかった。しかし外見の一致が、ヴォルターの体に古い記憶を呼び起こした。柄の細工、先端の膨らみ、杖身の長さ——どれもが、記憶の中の線画と一致していた。偶然ではありえない一致だった。
幸運なことに、女性は杖を木の幹に立てかけた。岩の高台に登り、両手を使って何かを採取し始めている。ハーブのようだった。両手が塞がる作業。戻ってくるまでの、わずかな隙。その隙を、八百年ぶりに図版の外に現れた杖が、無防備に地上に置いている。ヴォルターの呼吸が、一度だけ深くなった。
ヴォルターは動いた。
杖に近づいた。手を伸ばした。持ち上げた。
軽かった。しかし中に何かが詰まっているような密度があった。持った手から、かすかに何かが伝わってきた——感覚というより直感に近いもの。触れた瞬間から、この杖がただの木ではないと、体が勝手に了解した。それがどれほど危険な了解かは、今は考えないことにした。
女性は岩の上でまだ採取を続けていた。
ヴォルターは杖を持ったまま、来た道を戻った。足取りは来たときより速い。しかし音は、来たときより静かだった。
◆
ノーマンが辿り着いたのは、別の場所だった。
森の開けた場所に焚き火があった。鍋がかかっている。その前に座っているのは、巨大な人影だった。緑がかった肌、大きな体格——オークだ。グロームだ、とノーマンは思った。名前は知っていた。単独で活動することで知られる冒険者で、腕は確かだという評判がある。街の衛兵が手を焼いた獣を、一人で始末して戻ってきたという話を、ノーマンは書類の中で何度か目にしていた。
関係ない。去ろうとした。
その瞬間——匂いが来た。
鍋のスープの匂い。野菜と肉の良い匂いがした。しかしその奥に何かが混じっている。ノーマンは足を止めた。
若い頃から毒味の役を担い、毒と呪いの知識を詰め込んできた。その経験が、今になって働いている。舌ではなく、鼻が先に反応する。料理の香りの底に、一滴の異質が沈んでいるときの、あの鼻の奥がきゅっとなる感覚。それが来た。
あれは呪いの匂いだ。
強い呪い。一般の人間には察知できない類のもの。しかしこれほど強力なものは珍しい。自分が長年研究してきた毒薬より、効果という点では何倍もある。これを一瓶持ち帰れれば、それだけで計画の幅が広がる——そういう類の呪いだった。
ノーマンは鍋に近づいた。
スープを覗き込んだ。確認した。確かに呪いが含まれている。
グロームは近づいてくるノーマンには全く興味が無く、スープが出来上がるのを待っているような顔だった。ノーマンはこちらの行動を気にしない顔を一度だけ見て、声もかけずに実行に移した。
懐から小瓶を取り出した。スープを少量すくって入れた。残りを——溢した。鍋をひっくり返し、中身をぶちまけた。スープが地面に流れた。湯気が一瞬立ち上り、焚き火の熱に吸われて消えた。
ノーマンはその場を後にした。足音はなかった。
◆
ヴォルターは窓から目を離した。「それで、アンデッドが本当に来るとは」と言った。「天からの贈り物だ。我らが正しいことをしているという道標だろう」
「あの杖がなければアンデッドは制御できない——それが城壁の警備を引き受けてくれた」とノーマンが言った。「民が祭りに集まり、警備が手薄になった。これほど揃うとは、予想以上でした」
「ただ」とヴォルターが言った。「誤算もあった」
「王子と王の件ですか」
「王子には呪いのスープを使ったにもかかわらず、失踪という形になった。死亡の確証が取れていない」
「どこかで死んでいるはずです」とノーマンは言った。「しかし確証がない以上、王にはわたしが調合した毒を使いました。ただ王はなぜ死なずに、倒れたまま目覚めないのかは不明です——それでも、二人が今夜の邪魔をできない状況に変わりはありません」
「その通りだ。それに王を打ち取ることで、より反乱が成功した証になる」
ヴォルターは扉の方へ歩き始めた。ノーマンが後に続いた。
扉が開いた。二人は外の夕暮れの空気に出た。広場の方から、祭りの音楽がはっきりと聞こえてきた。笑い声も混じっている。
何も知らない人々の声だった。
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