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鍛冶屋から一歩も出ていないのに、気づいたら国を救っていた件 〜鍛冶屋アルダーの年代記〜  作者: 鈴野シン


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第二十八話 計画は、単純なものだった

薄暗かった。


松明は石壁に一本だけ差してある。その光が届く半円の内側だけが橙に染まり、その外は闇だった。窓には板が打ちつけてある。外から見れば、ただの廃屋だ。板の隙間から洩れる光がないように、内側から布まで当ててある。周到な仕事だった。


床の石畳には、積もった埃がうっすらと白んでいた。しかし今夜だけは、その埃の上に五十足以上の足跡が刻まれていた。一列ずつ整然と。入ってきた順のままに、最後の一人まで間隔を崩さずに並んだ、という足跡の付き方だった。


男たちが並んでいる。


全員が鎧を纏っていた。正騎士団の鎧だ——ただし、胸の部分に彫られているはずの王国の紋章は、鑿か何かで丁寧に削り取られていた。代わりに、左腕に黒と赤の布が重なって結ばれている。結び方は揃っていた。誰かが手本を示したのだろう。布の端の長さまで、五十人分がほぼ同じ寸法で垂れていた。


男たちは静かだった。私語もない。足音もない。ただ呼吸がある。五十人分の呼吸が天井の低い空間に篭り、どことなく重い空気を作っていた。松明の炎が、その呼吸の波に合わせて、ときおり形を変えた。


階段の途中に、一人の男が立っていた。


正騎士団長ヴォルターだった。


五十代の後半に差し掛かる年齢だが、体格は現役の騎士と比べても劣らない。痩せているように見えるのは背が高いからで、肩幅は広く、腕に筋が通っている。目が鋭かった。どんな場でも正面を見る目で、今も全員を等しく見渡している。誰か一人を特別に見ない見方が、逆に全員を特別にしていた。


少し間を置いて、口を開いた。


「諸君」


その一言だけで、空間の空気が変わった。呼吸が揃った。体の向きが変わった。五十人の目が、階段の男に向いた。


「我々がここに集まるのは、これで最後になる」


ヴォルターの声は低く、はっきりしていた。演説慣れした声ではない——しかし、聴く者の体に直接届く声だった。感情が乗っているわけではなかった。それが逆に、言葉の重さを増していた。


「三十年前、我が国は他国からの侵攻によって多くの命を失った。諸君の中にも、あの戦を知る者、あるいはその傷を身内から聞いた者がいるはずだ」


誰も声を発しなかった。しかし男たちの中に何かが動いた——表情ではなく、もっと奥の部分が。記憶のうちでも、自分のではなく、親や兄の記憶として引き継いだものが、いま名指しで呼ばれたような動き方だった。


「私はあの戦の後、誓った。二度と同じ犠牲を出さない。最強の騎士団を作る、どんな敵が来ても守れる力を持つ——それが我らの使命だと信じた」


ヴォルターはそこで一度だけ視線を落とした。


「だが、王は違う考えを持っていた」


静けさが深くなった。松明の炎が、揺らいだ。


「剣ではなく、貿易で国を守れと。話し合いで、取引で、紙の上の約束で——それで十分だと。確かに国は豊かになった。確かに三十年、戦はなかった。しかし」


視線が戻った。


「いつまたあの日が来るか、誰が保証する。豊かさの影で、我々の力は削がれ続けた。騎士団の規模は縮小され、訓練の質は落ち、若い者は剣より書類を覚えることを求められるようになった。これで、本当に民を守ることができるのか」


男たちの中に、わずかな動揺があった。同意ではなく——それよりもっと深いところで、何かが揺さぶられている動揺が。疑念と諦念が、長いあいだ折り畳まれて置かれていた場所から、一枚ずつ広げられていく動揺だった。


「準備は整った」ヴォルターは静かに、しかし確かに言った。


ヴォルターは一度だけ、男たち全体を見渡した。右端から左端まで、視線を一往復させた。見渡し方が、戦場での見渡し方と同じだった。どの列に誰がいて、どの位置が先に動き、どの位置が最後まで留まるか——それを、言葉ではなく目の配分だけで決めていく見方だった。


「城壁の外からアンデッドが迫り、警備の大半はそちらに回っている。街の民は広場の祭りに集まり、王宮への注目は薄い。エドバー王は床に伏せ、王子は姿を消した。邪魔するものは何もない」


一拍の間があった。その一拍の間に、いくつかの事象が一つの線に並んでいく音が、男たちの頭の中で確かに鳴った。森のアンデッドも、広場の祭りも、王の病も、王子の不在も——偶然ではなく、待っていた、という事実が、言葉の重なり方から伝わってくる。


「今夜、我らは王宮に向かう。正義のために。この国の未来のために。剣を取れ、目の前の道を開け——邪魔するものは切り捨てよ」


静寂があった。長さのある静寂だった。しかしその静寂は、拒否の静寂ではなかった。了解の静寂だった。言葉を返す代わりに、言葉を返す必要がないほど同じ方向を向いた、という種類の静寂だった。


それから、男たちが動いた。


一人が足を踏み出し、隣の者が続き、その隣の者が続いた。鎧の音が重なり、靴音が重なり、列を成して扉の方へと進んでいく。誰も声を出さなかった。それが、この集団の異様さを際立てていた。普通の軍の行進には掛け声がある。士気を鼓舞する言葉がある。しかしここには何もなかった。ただ黙って歩いた。黙って歩くことが、すでに訓練された者たちの歩き方だった。


扉が開いた。外の夕暮れの光が差し込んで、石畳の埃を照らした。光の帯に、いくつもの足跡の上書きが一瞬だけ浮かび上がった。


男たちが出て行った。


ヴォルターは階段の上からしばらく見ていた。最後の一人が扉を抜けた。足音が遠ざかっていった。


建物の中に、静けさが戻った。



残ったのは、二人だった。


ヴォルターは階段から降りた。足音が石の床に落ちた。一段ずつ、年齢相応の重さで。演説の時の立ち姿とは、少しだけ違う降り方だった。


ノーマンは少し後ろに立っていた。最初から動いていない。演説の間も、男たちが出て行く間も、ノーマンはずっとそこにいた。無表情だった。感情がないわけではないだろう——ただ、感情を表情に出す習慣が、長い年月をかけて削がれた顔だった。宮廷の奥で、誰にも気取らせずに判断を続けてきた者が、最後に手に入れる顔だった。


「ようやく、だな」


ヴォルターが言った。静かな声だった。騎士団長の声ではなく、ただの一人の人間の声だった。


「はい」


ノーマンが答えた。短く、無駄がない。


「何年待ったか」


「七年です」


「七年」ヴォルターは繰り返した。「長かった」


「状況が揃うまで待つしかありませんでした。焦っても良い結果にはなりません。あなたはよく辛抱強く待ってくださいました」


「辛抱強い男はお前だ」とヴォルターは言った。「長年、エドバーを支えてきた男が、よく決断できたものだ」


ノーマンは答えなかった。答えない、という動作が、答えているのと同じ意味を持つ種類の沈黙だった。


ヴォルターは窓の板の隙間から外を見た。夕暮れの光が細く差し込んでいる。広場の方向から、かすかに音楽と喧騒の音が聞こえてきた。復活祭の音だ。笑い声も混じっている。街の民はまだ、今日がただの祭りの日だと信じていた。信じているうちに、事が進む。それが計画の骨だった。


「あの森での遭遇が、我らに幸運をもたらしたな」


ノーマンがわずかに頷いた。


——あれは、この計画がいよいよ形になり始めた頃の話だった。

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