第二十三話 最後に眠った夜が、思い出せない
作業は夜に入っても続いた。
精霊たちは木材を直接加工するのではなく、熱を加えることで木の繊維を柔らかくした。車輪の外周に使う曲木を作るとき、精が複数体がかりで細材を囲み、均一な熱をゆっくりと加えていった。熱が強すぎると割れる。弱すぎると曲がらない。その調整を、精たちは言葉なしにやっていた。一体が少し近づきすぎると、隣の一体がわずかに下がる。逆に距離が開きすぎると、三体目がそっと間に入る。誰が指示しているわけでもない。長年同じ仕事をしてきた職人の連携に近いものを、アルダーは十体の中に見ていた。
アルダーは木材の組み立てに集中した。
図面を何度も確認しながら、車輪の骨格を組んだ。鉄材を炉で加熱し、外周のリムを打ち出した。木の骨格と金属のリムを組み合わせ、固定する。一輪目が仕上がったとき、工房の外の空が夕方の色に変わり始めていた。
二輪目を組んでいるとき、ふと壁に目をやった。
十体の精霊が放つ炎の光が、工房の壁全体に揺れていた。炎は揺れる——だから影も揺れる。アルダーの影が、壁の上で幾十にも重なり、それぞれ別の向きに揺れていた。大きな影と小さな影、伸びた影と縮んだ影。まるで複数の人間が同時に作業をしているような眺めだった。
悪くない、とアルダーは思った。
特に感傷はない。ただ、夜通し一人で作業する工房の雰囲気としては——悪くない。一人分の手で二人分の仕事をしている夜にも、壁の上だけは十人の気配がある。そういう夜は、道具の音が普段より柔らかく響く。
アームの機構を組み始めた。
発射力を生む腕の部分は、本来なら高い張力に耐える素材が必要だ。しかし今回は外見だけでいい。木材を重ねてボルトで固定し、形だけを作る。鉄製のボルトを旋盤で削り出しながら、火の精のうち一体が傍を浮かんでいることに気づいた。
「邪魔するなよ」
精霊はぱちりと鳴いた。しかし移動しなかった。それどころか、ボルトを削る旋盤の動きに合わせて、炎がわずかに揺れた。見ているのだ、と分かった。鍛冶屋の手元を見たがる生き物は、職人でなくとも意外といる。弟子を持たなかったアルダーの手元を、こういう形で見る者がいるのは、少しだけ妙な気分だった。
「飽きないのか」とアルダーは言った。
精霊は答えなかった。ただ傍にいた。
夜が深まる頃、アームの接続が完成した。角度調整の機構を取り付けた。これも本来は精密な金属部品が必要だが、木と鉄の簡易なものにした。見た目の雰囲気は出る。そこまでの精度を求める状況ではない。
部品の仕上げをしながら、アルダーはトッドの図面を見ていた。
このように精密な図面を、暗い洞窟で短時間見ただけの装置から描けるということ。腹を抱えながら、松明一本の光の中で確認した構造を、ここまで正確に再現できること。線の一本一本に迷いがない。縮尺に狂いがない。記憶の断片ではなく、構造として掴んでいる手つきだった。
補給係というのは、もったいない気がした。
そういうことを考える立場ではなかったが、少しだけそう思った。人は向いていない場所に置かれたまま一生を終えることがある。それは必ずしも不幸ではないが、見ていて惜しいと思うことはある。トッドの場合、どちらに転がるかは本人にしか決められない種類の問題だ。鍛冶屋が口を挟むことではない。
鶏が鳴く少し前に、装置が完成した。
解体した状態で、主要な接合部はすべてはめ込み式にしてある。トッド一人がカートで運べるよう、最も重い部品でも一人で持てる重さに収めた。組み立て手順は単純な順序にした。記憶が得意なトッドなら、一度説明を聞けば問題ない。
完成した部品全体を眺めた。
図面に描かれた形と、外見はほぼ一致している。精度を問わなければ、という但し書きはつく。しかしトッドの目的地は倉庫の奥の坂道の上だ。誰の視線を受けるわけでもない場所に、ただそこにあるように置かれる装置だった。外見さえ合っていればいい。装置そのものの意図は、現物が戻っていることを確認する程度に使われ、それ以上の検証はされない——トッドの話から想像できた。
「良い仕事だった」
火の精霊たちに向けて言った。
精霊たちは炉の方へ戻り始めた。一体ずつ、炉の口から内側に入っていく。最後まで残った一体——一番小さい精——が、完成した部品の周りを一周するように浮いてから、炉に戻った。
評価しているのか、名残惜しいのか。どちらかは分からなかったが、アルダーはそれを黙って見送った。精霊の心の動きを人間の言葉に置き換えるのは、たぶん失礼にあたる。置き換えずに見守る、というのが、たぶんこちら側の作法だった。
十体全員が戻ると、炉の炎が少し静かになった。
工房に、夜明け前の静けさが戻った。
◆
朝の空気がまだ冷たい時間に、扉を叩く音がした。
内鍵を外すと、トッドが立っていた。
「来ました」と言いながら、工房の中を見て「あっ」と声を出した。床に整然と並べられた部品群を見ていた。視線が部品から部品へ、一つずつ順番に移っていく。数えている目だった。補給係の習慣が、こういうときも外れない。
「完成している」とアルダーは言った。「組み立て方を説明する。一度だけ言う」
「はい」とトッドは姿勢を正した。
アルダーは手順を順番に話した。車輪の取り付けから始まり、支柱の組み方、アームの接続、角度調整部の固定。各接合部のはめ込む向き、締める順序、力のかけ方。全部で十二の手順があった。
「以上だ」
トッドが「はい、わかりました」と言った。
「本当にわかったか」
「はい。車輪の取り付けは左側から始めて、支柱は」とトッドは全手順を順番に繰り返した。一箇所も間違えなかった。手順の番号も、力のかけ方の方向も、すべて正確だった。
「覚えが早い」とアルダーは言った。
「記憶だけは自信があります」とトッドは少し照れた。それから「本当にありがとうございます」と深く頭を下げた。「助かりました」
「杖の礼だ」
「それでもです」
部品をカートに積んだ。重い部品はアルダーが持ち、トッドがカートに固定する。全部品が積み終わるのに少し時間がかかった。積む順序も、降ろす順序から逆算してあった。トッドが現場で取り出しやすい順番に、下から逆に積んでいく。これもトッドの方から自然に指示が出た。この娘——いや、この男は、本当に補給係の仕事のためだけに生まれてきたような動き方をする。
「では、行きます」とトッドはカートの取っ手を握った。
「組み立てで何か問題が起きても、俺は知らんぞ」とアルダーは言った。「見た目の保証だけだ」
「十分です」とトッドは言い、カートを引いて路地へ出た。
朝の石畳に車輪の音が響いた。角を曲がると、姿が見えなくなった。
アルダーは入口に立ったまま、しばらくその音を聞いていた。音が遠くなった。消えた。
路地は静かだった。
冷たい朝の空気が工房に流れ込んでいた。炉の熾火がかすかに残っており、奥から薄い暖気が届いていた。
——最後にちゃんと眠ったのは、いつだろうか。
グロームが来た夜は眠っていない。その前の夜は調理武器を作っていた。さらにその前——正確には覚えていない。仕事があると体が動く。眠気より先に手が動く日がある。それが何日か続いたということだ。数えようとしたが、指を三本折ったところで、数えること自体が億劫になった。
アルダーは工房の内鍵をかけた。
表の扉に、木片に「本日休業」と書いた板を立てかけた。板が少し傾いた。真っ直ぐに直そうかと思ったが、直す気力が残っていなかった。傾いたままでいい。傾いた看板の方が、休みますという意思が伝わりやすいかもしれない。
奥の部屋に引き上げた。
藁を詰めた寝台の上に、外着のまま横になった。
横になってから、自分が寝台の上に倒れているのか、その手前で倒れたのか、一瞬分からなかった。体が床と寝台の境界を感じ取る前に、意識が既に半分沈んでいた。
意識が遠くなるのは早かった。精たちが炉の中でかすかに動く音がした——ような気がした。朝市の呼び声がどこかから聞こえてくる——ような気がした。
セレニティーは今頃どこかで何かを調べているかもしれない。グロームは食材を選んでいるかもしれない。ミラは人目を気にせず仕事できているかもしれない。犬の王フェンリルは骨の剣を眺めているかもしれない。老人のメギドはベンチで音楽を聴いているかもしれない。ガランはどっかで酔っぱらって寝ているかもしれない。
そういったことは、今のアルダーには関係がなかった。
眠った。
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