第二十一話 三杯目の代償は、思ったより重かった
「開く」ではなかった。
扉が勢いとともに押し込まれ、人影が入口で躓き、前のめりになりながら片手と片膝を床についた。
膝をついた姿勢のまま息を整えている。走ってきたことは全身から明らかだった。服装は軽装で、戦闘用の鎧ではない。物資の管理か事務作業に向いた動きやすい格好だ。胸元に、正騎士団を示すエンブレムが縫い付けられていた。刺繍の糸が少し毛羽立っていて、付けてから時間が経っている。本人と一緒に走ってきた糸、という印象だった。
男性が顔を上げた。
「なんでも作れるって……本当ですか」息継ぎと言葉が一緒に出た。聞き方が、希望と確認の半々だった。
「トッド?!」
セレニティーが椅子から立ち上がった。転がり込んだ男——トッドは「セレニティーさん?!」と目を大きくした。「な、なんでここに」
「私のセリフよそれは!あなた、どうしてここを知ってるの」
「グロームさんに……なんでも作れる鍛冶屋がいるって……!」
「グロームが!」
「お願いします、作ってもらえませんか!」
トッドはアルダーに向き直り、腰に差していた折り畳まれた紙を引き抜いた。数枚が重なっていた。それを広げると——細かい図面が現れた。
車輪に乗った大型の構造物。複数のアーム機構。張力を利用した発射装置と思われる設計。各部品の寸法まで細かく記入されている。線が正確で、縮尺がそれなりに整っていた。見たものを直接紙に写し取ったような精度だった。紙の端に指の跡がついている。何度も広げて確かめた跡だ。
アルダーはその図面を見た。
図面を描いた人間が、目の前で息を切らしている補給係の格好のままだ、というのが何より妙だった。この種の図面は、技師か職業的な観察者が描くものだ。補給係の業務の範囲を、一枚目の寸法表だけで越えている。
それからトッドを見た。
「座れ」
◆
椅子を三脚、作業台の前に並べた。
セレニティーが端に座り、アルダーが向かいに腰を落とした。トッドは促されて中央の椅子に座ったが、座ってからすぐ「本当に作れますか」と前のめりになってアルダーに問うた。
「話を聞いてからだ」とアルダーは答えた。「この武器を、どこで見た」
トッドが少し躊躇した。どこから話すべきか、整理しているような間だった。
「少し前の話になります」とトッドは言った。「エルウィン王子の派遣に同行したときのことを、先に聞いてもらえますか」
セレニティーが姿勢を前のめりにした。
アルダーは腕を組んで「続けろ」と言った。
——回想は、アンデッドとの戦闘後から始まった。
エルウィン王子が率いた討伐派遣に、トッドは補給係として同行していた。戦闘員ではない。荷物のカートを管理し、食料と予備の装備を守るのが役割だった。戦闘は激しかったと聞く。トッドは後方で、カートを引きながら戦場の周囲を動き回った。直接戦うことはなかったが、混戦の余波が何度か届いた。アンデッドが倒れた衝撃と、あちこちで飛び散る破片——鍋が一つ、衝撃で変形した。柄が取れた。調理の道具がほとんど使えなくなった。
食料と予備の武器防具は、全部守りきった。
それだけで精一杯だった。
しかしそれ以上に、トッドにとってのあの戦場には別の記憶があった。アンデッドを間近で見たのだ。腐敗の進んだもの、骨だけのもの、かろうじて形を保っているもの。一体一体が違う状態で、しかし同じ方向に向かって動いていた。ひとつの意思に従うように。見ているだけで背筋が冷えたが、同時にどこかで、目を離してはいけない気もした。補給係の目でも、何かの記録係の目でも、見届けたい、という別の目が自分の中にあった。
アンデッドと戦う騎士団や冒険者たちの姿も見た。グロームの動き方も。オークの体格と速度で、複数のアンデッドを同時に押さえ込みながら倒していく様は——正直に言えば、すごかった。その光景をできる限り正確に記憶した。後で描こうと思いながら。肩幅、腕の振りの角度、踏み込みの位置——描くために覚えているというより、覚えてしまったから描かないといけない、という順序だった。
戦闘が落ち着いた夜、エルウィン王子のもとに報告しに行ったとき、トッドは自分の描いていたアンデッドのスケッチを偶然見られた。
「これは君が描いたのか?」と王子は言った。
「はい」と答えながら、怒られるかと思った。戦場で絵を描いていたことを咎められる可能性があった。しかし王子の顔には笑顔があった。
「すごい。父上に送るよ。こういう記録は大事だ。よく活躍したな、今夜の夕食はいっぱい食べな」
それだけで、その夜は十分だった。
問題は食事の時間だった。
グロームが食事の担当を申し出た。しかし調理道具の大半が壊れていたので、グロームは自分の武器を使うことにした。アンデッドと戦った剣で、根菜を切り始めた。
セレニティーはそれを見た瞬間に、焚き火から離れた場所に座り直した。顔に「オェ」と書いてあった。できあがった食事を断ったのは言うまでも無い。
正騎士団の若い騎士たち五人は、最初からグロームの料理を無視した。オークに料理などできるはずがないという顔をしていた。グロームが一生懸命に作っているのが聞こえよがしに見えた。
トッドは食べた。
腹が空いていたし、グロームが作った料理をことわるのが申し訳なかった。武器で作ったためか、鉄と、ちょっと饐えた匂いが混ざったような香りがした。
「うまい?」とグロームが訊いてきた。
「うまいです」と答えた。おいしくはなかった。
グロームは嬉しそうに、トッドの椀が空になるのを横で見守った。空になると、すぐにおかわりを差し出してきた。
エルウィン王子が「トッド、活躍したな。遠慮するな、いっぱい食べな」と横から声をかけた。
断れなかった。
二杯目を食べ終えると、グロームがまた差し出してきた。「まだある、食べる」
王子も「遠慮しなくていいよ」と微笑んでいた。
三杯目を断る言葉が、トッドには見つからなかった。頼られた善意と、褒められた嬉しさと、目の前で待ちかまえるオークの期待の視線——この三つを一度に否定する言葉を、トッドはそもそも持ち合わせていなかった。補給係という仕事は、断らないで済む道を探す仕事だ、というのが上司の口癖だった。その口癖が、よりによってこの夜、一番不利な方向に働いた。グロームに親指を立てた。
「——正直に言うと、そのあとが大変で」とトッドは言った。ここで苦笑いをした。
セレニティーが「グロームの料理でしょう……」と呟いた。
「武器で作ったものですしね……翌朝は腹の具合がかなり悪くて。でもグロームさんは……良い人なので……」
「それはそうね」
「そんな状態で」とトッドは続けた。「エルウィン王子が失踪したって騒ぎになったんですが、私はそれどころじゃなくて。正騎士団の拠点に戻ったあとも、意識がぼんやりしながら物資を倉庫に運んでいました」
倉庫へ繋がる通路を何往復もした。食料を納め、装備を帳簿に沿って仕舞い込む。それだけなのに、体が重かった。汗と脂汗の区別がつかないくらいだった。
最後の荷物を運んだとき——フラフラとした足が止まれなかった。
倉庫のドアよりも奥まで、歩いてしまった。
通路の突き当たりに行き止まりがある。普段ならそこまで行く理由がない。倉庫のドアは手前にあるので、行き止まりまで行ったことのある人間はほとんどいないだろう。
壁に寄りかかった。
石が動いた。
「えっ」という声が出た。壁の一部が、扉のように内側に開いた。石造りの隠し扉だった。向こうに通路が続いていた。ひんやりした空気が、反対側から流れ出してきた。使われている通路の空気だ、と、腹の痛みの中でもトッドは思った。
「普通なら引き返すべきだったんですが」とトッドは言い、少し頭を搔いた。「好奇心が勝って。松明に火をつけて、奥へ入りました」
セレニティーが身を乗り出した。
通路は短かった。すぐに広い空洞に出た。天井が高い。人の手で削られた石の跡と、自然の岩肌が混じっていた。新しく掘った部分と、元々あった空間を利用した部分が半分ずつ、という作りだ。松明の光の届かない奥の方まで、冷えた空気が続いていた。
左側が緩い坂になっており、その坂の上に——大きな装置があった。
松明の光が届く範囲で見ても、かなりの大きさだ。車輪が複数ついており、アーム機構が組み合わさっている。投石か発射のための機械だと気づいた。見たことのない構造だったが、だからこそ目が離せなかった。金属の接続部には油が差されたばかりの艶があった。放置されている装置ではない——誰かが定期的に手入れをしている装置だ、と補給係の目が勝手に判断した。
近づきながら、記憶に刻み込んだ。構造の一つ一つを。車輪の径と本数を。アームの角度と長さを。接続部の形状を。こういうものは一度しっかり見れば覚えられる。それがトッドの唯一の取り柄だった。取り柄、と自分で呼べるものが一つでもあるのは幸運だと、補給係になってから思うようになった。戦場で戦う力はないが、戦場の物を数える目と、数えた物を紙に移す手は、人より少しだけ正確に動く。その手が今夜、勝手に動いていた。腹の痛みが来る直前のわずかな時間に、図面の下書きをすでに頭の中で引き始めていた。
装置に手が届く距離まで来たとき——急激に腹が痛くなった。
堪えられなかった。
体が前のめりになり、装置に手をついた。バランスを取ろうとして、車輪を支える支柱の一本に体重をかけてしまった。支柱が折れた。パキ、という音がした。乾いた、短い音。誰にも聞かれなかっただろう音だったが、音を立てたことだけで、トッドの心臓は一度止まりそうになった。
しかし装置本体は動かなかった。坂の上で、静かにそのままでいた。
静かにそのままでいた、というのは、そのときのトッドには「助かった」という意味に見えた。後になって、それが「今夜だけは」という意味だったと分かった。
「限界で、戻りました」とトッドは言った。「翌日から、エルウィン王子の失踪騒ぎで正騎士団が大変なことになっていて。私自身も体調が戻るまで時間がかかって……気がついたら、そのことをすっかり忘れていて」
「忘れていた?」とセレニティーが言った。
「人間、記憶したい出来事と、頭が勝手に封をする出来事があるらしくて……あの夜は両方が混ざっていたのだと思います」とトッドは言った。「すごい装置を見た記憶と、腹が痛くて走っていた記憶が、同じ場所に畳まれてしまって……片方を開けないと片方が出てこなかったというか」
「今朝まで」とアルダーは言った。
「今朝、思い出したんです。見に行きました」
セレニティーが「どうだった?」と訊いた。
トッドは少し間を置いた。言葉を選んでいる、というより、自分が今朝見てしまった光景を、どうすれば誤解なく伝えられるかを考えているような顔だった。
「坂道を落ちてしまったようで……窓の外を見てもらえますか」
三人の視線が工房の窓の方向に向いた。
路地に停まっているカートがあった。荷台の上に、木と金属の残骸が積み上げられていた。機械の残骸だった。車輪の一部と思われる円形の部材、アームの折れた腕、散乱した金属の接続部品——それらがカートの上に無造作に積まれている。布で隠す気もなかったらしい。補給係が荷物を運ぶカートの外観そのままに、城の機密兵器と思しき物が路地に停まっていた。
長い沈黙があった。
沈黙の種類としては、これ以上悪い沈黙は久しぶりだ、とアルダーは思った。
「……それはまずいな」とアルダーは言った。
「まずい」とセレニティーが言った。
「誰も気づいていないとは思います!あそこを使う人間は私以外にはほとんど——」
「邪教のメンバーが正騎士団に潜んでいるのよ!」とセレニティーが言った。「この機械はその証拠になる!」
「普通に正騎士団の秘密兵器という可能性もあるぞ」とアルダーは言った。
セレニティーが口を開きかけ、止まった。「……確かに」
「いずれにせよ」とアルダーはトッドを見た。「今朝見に行ったとき、他に誰かいたか」
「いませんでした」
「それならまだ時間がある」
アルダーは卓上に広げられた図面を、もう一度端から順に見た。張力、アーム、車輪——一つ一つの線が、描いた手の迷いのなさを示していた。この手で描かれたなら、たぶん作れる。作れるが、作った後の世界がどうなるかは、別の問題だった。
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