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鍛冶屋から一歩も出ていないのに、気づいたら国を救っていた件 〜鍛冶屋アルダーの年代記〜  作者: 鈴野シン


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第二話 寝るための道具にしては、物騒すぎる

ガランが出ていくと、アルダーは店を閉めた。


閉める、といっても鍵をかけるだけだ。看板は出したままにしておく。どうせ夜中でも客が来ることがある。その時はその時だ。夜中に扉を叩く客を追い返したことは一度もなかったし、そのつもりもない。炉は問わない、何者であれ——看板にそう書いた以上、時間も問わないつもりでいる。


炉の前に立つと、まだ火が残っていた。灰の奥で赤い種火が息づいている。今夜の依頼をこなすのに、もう一度火を入れ直す必要がある。どんな素材を使うか、すでに頭の中にあたりがついていた。ガランの話を聞いているあいだ、手の布を動かしながら、同時に別の場所で組み立てていたのだ。問題は、倉庫の奥の棚にまだあるかどうかだ。記憶の中にはある。だが、記憶は当てにならないことがある。


工房の奥——店の裏側にある扉の前に立つ。


この扉には、普通の開け方と特殊な開け方がある。


正確には、普通に開けると一般的な倉庫に繋がる。倉庫の中にはどの鍛冶屋にもあるような道具や材料が入ってある。そう思わせるためのハンドルだ。特殊な開け方はひと工夫が必要だ。


アルダーはハンドルを時計と逆方向に回し——そのまま根元から引き抜いた。ハンドルが外れる。扉の右側、腰の高さあたりに小さな穴がある。普通に見ていれば木の節か何かに見える。そこにハンドルを差し込んで、今度は扉を右ではなく左へ、内側ではなく外側へ、斜め下に押し込む。手順は長年の動作で体に染みついている。考えなくても、指が順番を覚えていた。


鈍い音がして、扉が開いた。内側の空気が、かすかに古くて、乾いていた。


薄暗い別の空間が広がっていた。


特殊な倉庫だ。石畳の床に天井まで届く木の棚が並んでいる。油のランタンをいくつか灯して、ゆっくりと中に入る。ランタンの光が棚の間を縫うように広がって、瓶のガラスに反射し、袋の布を照らし、束ねられた素材の影を長く引いた。棚に並んでいるものを一言で表すのは難しい。瓶、袋、束、箱——形も素材も大きさも違う。だが、それぞれの場所に意味がある。アルダー自身がそこに置いた理由がある。どこに何があるかを把握していない他人が入っても、必要なものを探せないだろう。むしろ、探そうとするほど遠ざかるようにできている。


アルダーは目当ての棚に向かった。


最初に手に取ったのは、発光する繭のような束だった。薄い光が息をするように揺れていて、束の中心から外側へ向かって光の波が広がっている。手のひらに載せると、ほんのわずかに重さが揺らいで感じる。夢蛾の糸<ゆめがのいと>、と呼ばれる素材だ。夢を食う蛾が繭を作るときに分泌する糸で、これを纏うものに浅い夢の層を作り出す効果がある。厳密には眠りを誘うのではなく、眠りの質を変える。深い眠りが続くような感覚を、着ている間中保ち続けるのだ。


次の棚で、羽根の束を取った。くすぶっている。手袋なしで触れると、じんわりとした温かさが伝わってくる——心地よい温かさだ。火傷する熱ではなく、湯に浸した布のような温度。炎鵞鳥の羽根<ほのおがちょうのはね>は、常に微弱に燃え続けているが、熱を持ちすぎることがない。ちょうど眠っているときの体温のように、ゆったりと体を包む。


柔らかい金属板。縫い鋼<ぬいはがね>。手に取ると、布のようにしなやかに曲がる。だが指で押しても傷がつかない。鍛えた鉄より硬いのに、布のように体に沿う。鎧として機能しつつ、着ている者の動きを妨げないどころか、まるで何も着ていないような軽さを実現できる。素材そのものの値段で言えば、これが一番高い。だが、ガランの注文にはこれしかない。


最後に、小さなガラス瓶を棚の奥から取り出した。ラベルに「鼾脂」<かんし>とある。アルダーが自分でつけた名前だ。栓を抜くと、瓶がため息をついた。聞き間違いではない——本当に、小さくため息をついた。中身は透明に近い淡い琥珀色の脂で、これを鎧の内側の特定の箇所に塗り込むと、着用者の呼吸のリズムが自然と深くなっていく。『こいつは相変わらず、開けるたびに文句を言う』とアルダーは思った。文句を言う素材など、普通の鍛冶屋には縁がないだろう。


四つの素材を抱えて、工房に戻った。


炉に改めて火を入れる。松の薪を下に敷き、炭を重ねて、火種を当てる。炭が赤く育っていくのを見ながら、縫い鋼の板を最初に炉の脇に置いた。熱が均等に伝わるよう、少し距離をとる。急ぎすぎると、縫い鋼はそのしなやかさを失う。


夢蛾の糸は、火に直接入れてはいけない。糸が持つ夢の性質は、高温で一瞬にして失われる。代わりに、炉の上で蒸すように加熱する。専用の小さな鍋があり、そこに水を入れて糸を浸し、ゆっくりと温める。蒸気の中で糸が解けていくと、淡い光が霧のように立ち上った。光の粒が、呼吸のような間隔で強くなり、弱くなる。


炎鵞鳥の羽根は、そのまま炉に投じる。わっと炎が上がって、橙色から青白い炎に変わった。色の変わり目が、ほんの一瞬だが、息を呑むほど美しい。羽根が燃えながら、鉱物性の粉末を残していく。この粉末が鎧の素材に混じることで、保温の特性が宿る。粉末の量は多すぎても少なすぎてもいけない。多すぎれば暑くて眠れないし、少なすぎれば布団も同然になる。経験で量る——目盛りで量れるものではない。


縫い鋼の板が適温になったのを確認してから、炉の中に入れた。金属が赤く輝き始めるまで、待つ。


炉の熱が顔を焼く。


こういう時間が、アルダーは嫌いではなかった。鉄が赤くなるまで待つのは、他のことを考えなくていい時間だ。考えようとしても、炉の光を見つめているうちに思考が空になる。ただ金属の色を見ている。色が変わっていくのを見ている。それだけでいい。『暗い赤。暗い橙。明るい橙。白に近づく橙』——色の推移を、言葉にせずに体で覚えている。


金属が適切な温度になったところで、炉から取り出してハンマーで叩き始めた。叩く。叩く。叩く。


リズムが生まれる。規則的な打撃が工房の壁に反射して戻ってくる。叩く音そのものよりも、跳ね返ってきた音の余韻のほうが、金属の状態をよく語る。澄んだ余韻が短くなっていけば、まだ硬い。長く伸びるようになれば、内側がほぐれてきた証拠だ。夢蛾の糸の蒸気が立ち上り、縫い鋼の表面に染み込んでいくのが見える——正確には見えないが、アルダーには感じられる。素材が変質していく感覚。鎧として形になっていく感覚。ハンマーを握る手のほうが、目よりも先に気づく種類の感覚だ。額に汗が滲んだが、拭うことはしなかった。手を止めるほうが面倒だった。


胴の部分を形作り、肩の部分を調整し、腕の部分を継ぎ合わせる。縫い鋼は通常の金属より接合しやすい——熱が均一に広がるからだ。繋ぎ目が目立たなくなる。布のような滑らかさが出てくる。


夜が深まるにつれて、工房の外から聞こえていた街の音が消えていった。遅くまで開いている酒場の笑い声も、通りを歩く靴音も、だんだんとまばらになって、やがて聞こえなくなった。炉の音と、ハンマーの音と、金属が冷えていく音だけが残った。時間の感覚が溶けていく。いまが夜のどの頃合いなのか、正確には分からなくなっていた。


鼾脂は最後に使う。完成した内側の特定の場所——鎧が呼吸に合わせて動く箇所、脇腹と背中の下部——に薄く塗り込む。瓶を開けると、また瓶がため息をついた。


「わかってる」とアルダーは呟いた。


塗り終えて、鎧を持ち上げた。片手で持てるくらいの重さだ。通常の鎧の半分以下。内側に触れると、なぜか布団を触っているような感覚があった。金属なのに。指の腹で一度だけ撫でて、自分でも小さく頷いた。


依頼通りだ。


置こうとして、ふと思い立った。


倉庫に戻る。別の棚の前に立ち、小さな金属のペンダントが置いてある場所へ。手に取って、眺める。


素材的には、さほど珍しいものではない。だが作りが丁寧だ。以前にある目的のために作りかけて、途中で別の用途が思い浮かんで手を止めていたものだ。完成させる機会を待っていた。棚の上で埃をかぶるわけでもなく、ただ時を待っている素材が、この工房にはいくつかある。これはそのうちのひとつだった。指先で表面の線を辿ると、彫りの深さが場所によってわずかに違っているのが分かる。作りかけで止めたときの、迷いの痕跡だ。


これはあの男に向いている。直感だが、外れることはない。そういう直感が外れたことは、これまでに数えるほどしかなかった。


夜が明ける前に、ペンダントの仕上げを施した。翌朝、カウンターの上に鎧とペンダントを並べた。



翌日の昼過ぎ、扉が開いた。


「……本当にある」


ガランは敷居の前で立ち止まり、カウンターの上の鎧を見て、そう言った。声に驚きがあった。半信半疑で来たのだろう——それはわかっていた。あの目は、信じているようで信じていない目だった。期待を持ちながら、裏切られることに慣れている目。そういう目で入ってくる客を、アルダーは何度も見てきた。


「着てみろ」


アルダーは言った。短く、催促でもなく、許可でもなく、ただそうするのが次の手順だ、というだけの声で。


ガランは鎧に近づき、まず手で触れた。手のひら全体で、金属の表面を確かめるように。


「……軽い」


「縫い鋼を使った」


「縫い鋼って何だ」


「布のように曲がる金属だ」


「……そんなものがあるのか」


ガランは袖を通した。最初はおそるおそるだったが、着てみると表情が変わった。眉が上がり、口が半分ほど開いて、そのまま言葉を探すように止まった。


「……なんだこれ」


ガランは腕を上げ、腰を回し、前かがみになり、立ち直った。一つ一つの動作を確かめるように。剣を抜くときの動き、身を低くするときの動き。鎧がどこにも引っかからない。どこにも当たらない。脇の下の擦れもなく、首の付け根が金属の縁で押されることもなかった。冒険者の鎧というのは、どれほど高価なものでも、必ずどこか一箇所、肌が泣く場所があるものだ——そういう「泣く場所」が、この鎧にはひとつもなかった。


「動きやすい。信じられないくらい動きやすい。鎧を着てる感じがしない」


「それが目的だ」


「あと、なんか……暖かい? 暖かいというか、落ち着く感じがする。変な感じだけど悪くない」


ガランは胸のあたりに手を当て、そのまま少し目を閉じた。呼吸が一拍だけ深くなったのが、アルダーの目には分かった。


「炎鵞鳥の羽根を混ぜた。体温を保つ」


「本当に寝れるかどうかはわからないけど、着心地はとんでもない。こんな鎧、初めて着た」ガランはカウンターのほうを向いた。「お前、相当腕がいいな」


アルダーは答えなかった。そういう評価を聞き流すことに慣れていた。良いとも悪いとも思わなかった。ただ、依頼通りのものができたかどうかが問題であって、評価はその後についてくるものだ。『言葉で返す必要はない。鎧が返事をしている』——そう思いながら、布を手に取って、別の部品を磨き始めた。


「ありがとう」


その一言に、少しだけ違うものが含まれていた。感謝、というより——信じてよかった、というような何かだ。アルダーは気づいたが、特に言葉には返さなかった。気づいたことを伝えるのは、場合によっては野暮になる。


カウンターの上に、もうひとつ置いてあるものに、ガランがようやく気づいた。


「それは?」


「オマケだ」


「オマケ?」


アルダーはペンダントを前に押した。金属の小さな板に、細かい文様が刻んである。


「寝ている間の毒と、酔い過ぎからのお守りだ。首にかけておけ」


ガランはペンダントを手に取り、まじまじと眺めた。表と裏をひっくり返して、文様を指でなぞった。刻まれた線を指先で辿って、しばらく黙っていた。


「お守りって、こんな実用的なものなのか」


「お前には必要だろう」


「……否定できないな」


ガランは首にかけた。ペンダントは胸の鎧の上に落ち着いた。


「代金に含まれてるのか?」


「言った通りオマケだ」


「太っ腹だな」


「次も来い」


ガランは笑った。ガランが笑うと顔全体が動いた——目尻に深い皺が入って、口の端が不均等に上がる。笑い慣れた顔だ。普段から笑うほうが多いのだろう、とアルダーは見ていて思った。


「そういえば」と、ガランが言った。


笑いの残った顔で、少し声のトーンが変わった。世間話、というわけではない声になった。笑みが残っているのに、目のほうから先に真面目になっていく、という妙な変わり方だった。


「最近、妙な話があってな。エルウィン王子が行方不明になったって話、聞いたか?」


アルダーは手を止めた。


ガランは「聞いてないか」と続けた。「俺も聞いた話だから、確かなことは言えないんだが——」

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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