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鍛冶屋から一歩も出ていないのに、気づいたら国を救っていた件 〜鍛冶屋アルダーの年代記〜  作者: 鈴野シン


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第十九話 野営の夜に、うまく噛み合わない

翌日の夕方。


グロームが来た。


開けてある入口から入ったが、入るとき体が立てかけていた扉にぶつかり、大きな音を立てて倒れた。グロームは棚を元の位置に丁寧に戻してから、スープの匂いを追って調理場まで来た。扉の倒れる音は昨日聞いた音とまったく同じで、しかし今日は棚を戻す手つきがあらかじめ用意されていた、というあたりが昨日との違いだった。


「もう着いたのか」とアルダーは言った。


「早く来た、夕飯、楽しみ」


「依頼品が目当てじゃないのか」


「両方」


正直なやつだ、とアルダーは思った。台の上に置いてある包みを指した。「持っていけ」


グロームは包みを開けた。


出てきた刃を、両手で持ち上げた。昨日グロームが持ってきた剣と似た形だが、重心が違う。持ち方によって感触が変わる。グロームはまず剣として握り、素振りをした。風を切る音がした。次に持ち替えて、鍋代わりに使う角度で持った。柄の角度と刃の背の平らさが手の中に収まるのを、指の節がひとつずつ確かめているような持ち替え方だった。


「いい」とグロームは言った。


それだけだったが、言い方の中に本物の満足があった。片言の「いい」は、饒舌な賛辞十個分の重みがある、とアルダーはいつの間にか換算していた。


「先に食べるか」とアルダーは言った。


二人でスープを食べながら、アルダーは気になっている事を聞いた。


「森でノーマンがなぜスープを捨てたんだ」


「わからない、聞いた、調査、仕事」


グロームは少し考える顔をした。「思い出す」と言い、語り始めた。


——女性に出会った1週間後、エルウィン王子との調査でアンデッド討伐を終え、夜明けまで様子見をすることになったときの話だった。


アンデッドとの遭遇と闘いの後、部隊は森の外縁部に野営した。疲弊した二十数人が焚き火を囲んでいた。正騎士団の五名と、それ以外の冒険者たちとで分かれて座っている。焚き火の火の粉が夜気に散り、木の葉の影が地面で揺れていた。誰もがまだ汗と泥と、骨の匂いを身にまとったままだった。


グロームは食事の担当を志願した。


トッドから材料を受け取ったが、討伐の混戦で調理器具のほとんどが壊れていた。鍋は変形し、柄が取れた鍋が一つだけあった。柄の取れた鍋はどうにか使えたが、まな板に相当するものは何も残っていなかった。


仕方なく、グロームは自分の武器を使い始めた。戦いには使わなかった小さい短剣などで野菜を切ったが、それも鋭利な刀身だ。慣れない扱いに手間取り、結局戦いで使った主の剣も出した。アンデッドの粉塵が刃の根元にまだ残っていたかもしれないが、火に一度通せば問題ない、とグロームは判断した。グロームの衛生観念は、基本的に火に一任する方針だった。


セレニティーがそれを見ていた。


エルフの冒険者は、グロームが戦場でアンデッドを切ったであろう剣に野菜を乗せて切り刻む工程を見て、静かに立ち上がり、焚き火から少し離れたところに座り直した。「オェ」という顔をしていた。彼女は座り直した位置からも、ときどき鍋の方を横目で見ては視線を逸らしていた。匂いだけなら、悪くはなかったらしい。できあがった食事を拒否したのは彼女だけではなかった。


正騎士団の五人組は別の理由で無視した。ヴォルター騎士団長の側近らしい、訓練を積んだ若い騎士たちで、グロームが料理をしていると「オークに料理などできるはずがない」と聴こえよがしに言っていた。五人のうち一番若そうな騎士だけが、視線を一瞬だけスープに送って、すぐに戻した。戻し方が早すぎた分、その一瞬がかえって目立った。


ノーマンは王子のそばを離れなかった。グロームの用意した食事には一切手をつけず、あらかじめ用意していた軽食とフラスクの飲料を王子に渡していた。軽食は紙に包まれた焼き菓子のようなもので、フラスクは銀の意匠が入った上等なものだった。野営の夜には場違いなほど、整った配給だった。


エルウィン王子はグロームのスープを少し見ていた。ノーマンに渡された軽食を食べながら、グロームのスープの方を時折見た。食べたそうな顔だったが、ノーマンがいる前では何も言えなかったようで、手渡しされたフラスクで一口のみ、渡された軽食に目を落とした。王子のそういう顔を、グロームは少し哀れだと思った。匂いのする方ではなく、銀のフラスクの方を飲む。それは選んでいるというより、選ばされている目だった。


トッドだけがうまそうに三杯おかわりして食べた。武器で調理したものとは思っていないのか、思っていて気にしていないのか、どちらか分からなかった。ただ食べ終わるたびに「うまい!」と言い、グロームに向かって親指を立てた。


その場で、グロームはノーマンに問いかけた。「何故、前、スープ捨てた」と。


ノーマンは一瞬だけ何のことかと考え込む顔をした。それから思い出したらしく、答えた。


定期的な偵察を兼ねた王宮と正騎士団の情報交換の際、ヴォルター騎士団長と別行動を取っていたとき、悪臭がした。匂いの原因を追ったらグロームがスープを作っていた。危険と判断して処分した、と。言い終わる頃には、声の調子はすでに事務方の報告書のそれに戻っていた。


「スープ、少し、採った」とグロームは言った。


ノーマンはそれを聴いて、何のことかと知らないふりをした。それから用事があるように立ち上がり、その場を離れたと。立ち去る足音に、後ろめたさのようなものはなかったが、立ち去る速さには、これ以上問われないための間合いがあった。



グロームの話が終わった。


アルダーは椀を置いた。


「ノーマン、なんか怖いやつだな」


「昔、いいやつ、今、違う」


アルダーは顔を上げた。「昔? あの人を知っているのか」


「遠い記憶、少しだけ」グロームは答えた。それ以上は言わなかった。


言わないことが一番雄弁な答えになることがある、とアルダーは分かっていた。そういう答えを、自分も誰かに返したことが何度かある。


アルダーはこれ以上深追いしないことにした。依頼品は渡した。話も聴いた。ノーマンのことも、森の女性のことも、色の変わるスプーンのことも——自分が踏み込む領域ではない。


立ち上がろうとしたところで、グロームが動いた。


「一品、作る」


「はっ」


グロームはすでに調理場に立っていた。渡したばかりの調理武器を手に持ち、台の上に残っていた食材を見回している。乾キノコの残り、玉葱の切れ端、調理場の棚に並んだ香辛料。


「ちょっと待て」


「良い、材料ある」


「そういう問題じゃない」


「すぐ終わる」


アルダーは断ることができなかった。できない、という意味ではなく、止める言葉が出てこなかった。止める言葉が出てこないのに、追い出す動作も出てこないあたりで、自分の中で何かが微かに折れているのが分かった。折れたというより、畳まれた、という方が近かった。


結局、アルダーはカウンターの腰掛けに座り、グロームが自分の調理場で料理するのを眺めることになった。


巨大なオークが小さな調理場に収まっている。鍋を持つ手が大きすぎて、動かすたびに棚の瓶が揺れる。新しい武器である調理器具で野菜を切る音が規則的に響く。切り方は荒いが、速い。香辛料の瓶を開けるとき、中身を嗅いでから選んでいた。


悪くない、とアルダーは思った。あの嗅ぎ方は、ちゃんと香りを分かっている者の動作だ。嗅ぐ、という工程を省略する料理人は、ある一線から先には行けない。そういう線がどこの世界にも一本引かれている、とアルダーは炉の前で長年感じてきた。


炉の隣で、小さな揺らめきがあった。


火の精が、炉の火の間から身を乗り出すようにして調理場を覗き込んでいた。グロームがまた香辛料の瓶を取り上げると、精霊の炎が少し大きくなった。見ているのか楽しんでいるのか。


アルダーはその様子を眺めた。


グロームが香辛料の瓶を持ち上げ、嗅いだ。棚の端に置いた瓶を取った。その二つを同時に少しずつ鍋に入れた。アルダー自身が一度も同時に入れたことのない組み合わせだった。自分ならまずどちらか一方を先に入れて、馴染ませてから次を入れる。この同時投入は、自分の流儀からは外れている。しかし出てくる匂いが、その外れ方を責めてこない、という種類の匂いだった。


アルダーは少しだけ笑った。自分でも気づかなかったが、笑っていた。


工房の外では、夏の夜が静かに続いていた。森の向こうに何万ものアンデッドが待っているとは、今の調理場の匂いと気配からは想像もつかない。メギドは広場のベンチで耳栓を入れて音楽を聴いているかもしれない。ガランはどこかの酒場でまだ飲んでいるかもしれない。セレニティーは森の方角に向けて目を閉じ、風の音で何かを測っているかもしれない。みんなそれぞれの夜を持っていて、自分の夜には今、片言のオークが立っている。


火の精がまた覗いた。グロームが鍋を混ぜるたびに、炎が少しだけ揺れた。覗き方がいつもより前のめりだった。


グロームが短く言った。


「できた」


鍋の中から、旨そうな匂いがしていた。香辛料の配合がアルダーのものとは少し違う。何か足したのだろう。悲しいことに、良い匂いだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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