第十話 彼は嘘をつきません
「——それが、本当にアンデッドだったわけか」
セレニティーが話し終えた時、アルダーはカウンターに肘をついていた。組んだ腕の下で、鍛冶場の炉の音が静かに続いている。普段ならとうに作業に戻っている時間だ。しかし今は、聞くほうを優先していた。
「見た。実際に戦った」
「戦いが終わった後、弓は」
「錆びた」セレニティーは背中の弓に触れた。手のひらで背負った弓の木部を撫でるように。「使えなくはないけど、弦の張りが変わった。芯まで錆が入ってる気がする。信頼できなくなった」弓の表面を指でなぞると、金具の継ぎ目に粒の細かい赤錆が感じられた。指先に粉のような感触が残る。触れた後、袖の裏で指を拭った。錆びた道具の話をする冒険者の顔を、アルダーはよく知っていた。道具は時間をかけて人に馴染む。馴染んだ道具が一晩で別のものに変わってしまった、という顔だ。
「それで依頼というのは」
「浄化の機能がついた弓が欲しい。腐敗したものを清める力がある弓。そういうものが作れる?」
「浄化機能?」
セレニティーは頷いた。「また腐敗に触れることになると思う。次は同じ失敗をしたくない、森も少しでも私の後は浄化したい」
アルダーは少し考えた。浄化機能。腐敗に対抗する力。素材の組み合わせが、すでに頭の中で始まっていた。神木の芯材、清水で鍛えた鋼の骨、銀の象嵌——問題は、それらを弓という道具に収束させる手順だ。作れる、作れないの話ではなく、どの順番で何を重ねるか、という段取りの話になっていた。
「わかった」
「作れる?」
「明日来い」
セレニティーは一瞬、固まった。それから声を出して笑った。即断されることを想定していなかった、というより、話の組み立てをもう少し必要とするつもりだった、という種類の固まり方だった。
「ガランが言ってたのは本当だったんだ。本当に即決するんだ」
「ガラン、知り合いか?」
「酔っ払いガランを知らない人はいないわ」
「それにしても言ってみるもんだね」セレニティーは満足そうに頷いた。自分の判断が正しかったと言わんばかりの顔だ。自己肯定感が強い、とアルダーは思った。悪いことでもない。話を進める上で、相手が自分の判断を信じている側にいるのは、楽な部類だった。
「エルウィン王子が消えたのは、アンデッドが原因か」
「それが」セレニティーの顔から笑みが引いた。数秒前まであった満足の表情が、音もなく引き下げられる。「戦いの後、そのまま一晩キャンプをすることになったの。夜の森を抜けて戻るより、夜明けを待った方が安全って判断で。エルウィン王子もピンピンしてた。グロームが何かを料理して——何の肉か聞かなかったけど、戦いに勝ったこともあって、楽しい夜だったよ」あの夜の焚火の色と、肉の脂の香りは、今思い返すと不自然なほど明るい記憶だった。何かが欠けていた、というわけではない。ただ、後から振り返ると、明るさのほうが際立って見える、そういう夜だった。
「エルウィン王子が消えたのは」
「翌朝。気づいたら、いなかった」セレニティーは目を細めた。「誰も気づいていなかった。見張りがいたのに、何も見ていなかった。音もなく、痕跡も残さず——まるで、最初からいなかったみたいに」寝袋は残っていた。剣も、赤い外套も、焚火の横に畳まれていた。本人だけが、そこから抜けていた。朝露がまだ草に残っていた時間帯で、地面の踏み跡は自分たちのものしかなかった。
アルダーは黙った。
腐敗の跡を追って森の奥に向かったエルウィン王子が、翌日消えた。アンデッドに連れ去られた——そう考えるのが自然だ。しかしアンデッドが誰かを連れ去るということがあるのか。倒せる相手を、なぜ。持ち去る、という動作そのものが、あの連中の行動に組み込まれているようには見えなかった。頭を潰せば止まるもの。止まれば終わるもの。運ぶ、という目的を持つようには出来ていない。
「アンデッドの襲撃は千年ぶりで、翌日にエルウィン王子が消えた」セレニティーは言った。「何か良くないことが起きる気がする。それだけじゃなくて——街の中でも不穏な動きがあって。邪神復活祭が開催されるって噂があるの。聞いてる?」
「聞いていない」
「でしょうね」セレニティーは声を低くした。「邪神復活祭って、千年周期なんだって。アンデッドが現れた時期とぴったり重なる。繋がりがあると見て、私は調査しようと思ってる」
アルダーは腕を組んだ。
千年前のことが、今起きている。千年ぶりのアンデッド、千年ぶりの邪神復活祭——それが本当なら。炉の熱を感じながら、アルダーは考えた。自分には関係ない、とは思わなかった。ただ、まだ線にはなっていない、とは思った。点が二つ、同じ時期に現れた。それだけでは、繋がっているとは言い切れない。しかし別々だとも、言い切れない。鉄を打つ前の、形が決まっていない塊の感触に似ていた。
「アルダー」
不意に、声がした。
◆
セレニティーが体の重心をずらした。背筋を伸ばすというより、とっさに弓側の手を浮かせる、そういう動き方だ。気配を察していなかった、という事実が、そのまま動作に出ていた。
「な、なに?いつから?」
「今来たところ」
カウンターの横に、修道服の女が立っていた。フードを外した状態で。静かな目をしている。セレニティーには視線を向けていない——アルダーだけを見ている。扉の鈴も鳴らなかった。アルダーが記憶している限りでは。床が軋む音もなかった。いつの間にかそこに立っていた、という立ち方だった。
「用は何だ」アルダーが訊いた。
「少し、ほつれてしまって」ミラはフードを持ち上げた。端の糸が一本、縫い目から解けかかっている。「調整していただけますか」
「見せろ」
アルダーはフードを受け取った。確かに端糸が一本、縫い目から抜けかかっている。使う中で引っかかったのか。ミラが乱暴に扱ったわけではないだろう——繊細な素材だから、少しの摩擦でも影響が出ることがある。触った感触は、渡した時のままだった。手入れはされている。毎日被られている布の感触ではある。ただ、乱暴な扱いの痕はない。
「店の奥で直す。少し待て」
「はい」
アルダーは奥の作業台に向かった。背後でセレニティーの声がした。
「ねえ、あんた、アルダーに何作ってもらったの」
短い沈黙。
「……フードを」
「フードって、あのフード?今持ってたやつ?」
沈黙。
「何のフードなの」
また沈黙。それからミラの声がした。小さい。声の出し方に慣れていない、そういう小ささだった。
「……目が、あまり向かなくなるものを」
「は?」
「視線が、自然に逸れるような……」
「それ、フード被って出歩くってこと?人の目が気になるから?」
ミラが何か言ったが、声が小さくて聞こえなかった。アルダーは縫い針を骨の針に持ち替えながら、端糸の処理を始めた。骨の針は滑りが細い。この素材には、この針でなくてはならない。布と糸の抵抗を、指先でひとつずつ確かめるように進める。
「そんなに人の目を気にして生きるなんて、馬鹿馬鹿しくない?」
縫いながら、アルダーは聞いていた。言葉を発しようとは思わなかった。自分が割って入っても、状況はほどけない。この種の会話のほどけ方は、別の場所にある。
ミラの返事は聞こえなかった。聞こえる声の大きさではなかった。しかし何か言ったことはわかった。しばらくして、セレニティーが「え、今何て言った?」と言った。その声の調子が、さっきより半分ほど小さくなっていた。自分が踏んだ、ということに遅れて気づいた、そういう調子だった。
それからしばらく静かになった。
「それと、アルダーって信用できる?何でも作れるって言ってるんだけど」
そのタイミングでアルダーはフードを持って戻った。「直った」
ミラが受け取った。両手でフードを持って、アルダーに深く頭を下げた。
「ありがとうございます」目線は合わせないままセレニティーの方を向いて「彼は嘘をつきません」
それだけ言って、フードを胸元にしまい店を出た。扉の鈴が鳴った。来た時には鳴らなかったものが、帰る時にだけ鳴っていた。
セレニティーはその後ろ姿を見送った。残された沈黙のなかで、扉の鈴の余韻が消えていった。
「……またやっちゃった」
独り言だった。声が小さい。自分に呆れているような顔をしていた。
「よくあることか」
「よくある。よくありすぎる」セレニティーは眉を下げた。「傷つけたくないのに、気づいたら人を傷つけてる。悪気はないんだけど」
「そうか」
「……アルダーはないの?そういうこと」
「あるかもしれない」
セレニティーはしばらくアルダーを見てから、小さく笑った。気まずさを自分でほどきにいく笑い方だ、とアルダーは思った。
「そうだね。まあ、そういうことにしとく」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、ブックマーク・★評価で応援いただけると嬉しいです。




