14. 塩の道は、雪で閉じます
十二月八日。朝から、空は低く垂れこめ、重い雪を休みなく落としている。積もった屋根の雪がときどき、どさりと鈍い音を立てて軒先へ崩れた。今年の雪は妙に湿っていて、手のひらで受ければ、白さを見せたそばから冷たい水に変わる。
店の裏の荷置き場では、ジュリアンさんが白い息を吐きながら、袋を端から並べ直している。北から吹き込んだ雪は板床の上で溶け、下に積んだ袋の腹を、打ち身のように黒く濡らしていた。
「塩は、湿ると」
「売り物になりませんでございましてね」
いつもなら、通る村の名に合わせて指を折るその人が、今日は数えない。袋の口をきつく握った指は、何かを手放すまいとするように、白くこわばったままである。
「冬の塩は乾くはずでございましてね。……今年の雪は、ぬくいです」
例年なら、軒下で足りたのである。毎年この道を渡ってきた人の見立ては、去年まで、きちんと正しかった。人が読み違えたのではない。外れたのは、今年の雪だけだ。
濡れた塩の代わりを運ぼうにも、峠は雪に埋もれ、白い壁のように閉じている。ローズさんが板場の前掛けのまま出てきた。まず袋を見て、次に彼を見る。その目が、袋と彼のあいだで一度だけ行き来する。
「春には、道の向こうへ移ります。この村では、冬に食えませんでございましてね」
「待たないって言ったのは、あたしですけど」
言い切ったあと、ローズさんは自分の手を前掛けで何度も拭く。拭うほど濡れてはいない手なのに、指先だけが落ち着きなく布を探していた。宙づりだった仮の約束は、雪解けを待たず、そこで静かに解ける。
宿の板場から、ニコレットさんが、煮炊きの匂いをまとった湯気ごと飛び出してくる。
「ちょっと、いま解けたの? 二人とも、なに勝手に決めてんの?」
「勝手に決めるのは、当人の分でございます」
「あたし、ローズの肩を持つからね」
屋根の雪が落ちる鈍い音のあいだにも、袋の腹の黒い染みだけは、じわじわと広がっていく。私はどちらの側へも寄れず、ただ、その色を目で追っている。二十年、縁を断るときはいつも紙の上だった。紙なら、墨が乾けば話も終わる。目の前で、人の声とぬくもりを残したまま縁が解けていくのを見るのは、これが初めてである。
◇
昼、店へ来たニコレットさんは、卓の前に立ったまま、腕を固く組む。怒っているときは、腕の太いほうがいつも以上に目立つので、こちらも自然と背筋が伸びる。
「三つとも合ってたって、あんた、言ってたじゃん」
「合っております。いまも合っております」
「じゃあ、なんで解けんの?」
「塩の道は、雪で閉じます」
夜明けと昼。桶と塩。困ったときに向かう先は、二人ともこの店である。私が答えに並べたものの中には、足りないものが一つも無い。少なくとも、問いの内側には。
三問は満たしていた。それでも、塩の道は閉じる。
二十年、私は縁を、人と人との噛み合わせで見てきた。噛み合わせは、今日もきれいに合っている。それなのに、その下の地面のほうが、季節に押されて音もなく滑る。合っているものまで、立っていられなくなる。そういうことが起こるのだと、三十八にして初めて教わっている。背筋のあたりが、雪の日の店より、すうっと冷える。
◇
午後、踏み固められた雪が白く照り返す広場で、村の者に呼び止められる。親切そうな顔は、こちらが足を止める前から、もう用件のほうへ傾いているように見える。
「ローズさんなら、村の中にいくらでもいるだろう。うちの甥はどうだね?」
「お断りいたします。急ぐ理由が、ございません」
「解けたんだろう?」
「解けました。ですから、急ぎません」
秋に一度、私は「壊す理由が、ございません」と申し上げている。今度は壊れた。だが、壊れたあとに急ぐのは、壊す理由を探し回るのと同じことだ。急がせる声は、たいてい親切な顔をしている。その顔が近づくほど、私はいっそう、足を止めたくなる。
◇
夕、雪明かりの残る店の卓に、二人を向かい合わせて座らせる。訊いたのは、冬のあいだ何をして、どこで眠るか、である。縁より先に、まず布団と塩の置き場を決めてもらう。
「秋に仕入れた塩を、湿らせずに置ければ」とジュリアンさんが言う。「冬のあいだ少しずつ売って、商いは立ちますでございましてね」
「乾いた場所を探します」とローズさんが言う。「宿の裏は、湯気が回るから駄目ですけど」
「お二人は、どこでお休みになりますか?」
「春までは別々です」とローズさんが言う。「あたしは宿の二階のまま。この人は荷のそばのまま。いっしょに住むのは、屋根の直る家をお借りしてからですけど」
「では、そこまでをお二人でお決めくださいまし。私は、伺うだけでございます」
二人は顔を見合わせる。朝には別々の方角を向いていた目が、今度は同じところで止まり、それから小さく頷き合う。ほどけたばかりの仮の約束は、その場で、少し丈夫に結び直された。
そのとき、オーブリー司祭が店の戸口に現れ、肩の雪も払わないまま、その場で二人の名を読み上げる。数えるのは、また一度目からである。
「三度のうちの一度目ですのでねえ。あと二度、読めますのですよう。得をしましたねえ」
「司祭さまは、いつも数え方が明るうございます」
◇
夜、館の裏手にある石の納屋の前で、灯りが二つ、雪の闇を丸く照らしている。厚い石の壁は、手を当てれば息をのむほど冷たいのに、指先へ返る感触はさらりと乾いていた。
「石の納屋を、塩の蔵にお使いください。番はあなたにお願いします。……解けた縁の始末は、私の名でつけます」
「領主さま、こんな大きなものを」
「三年、麦を入れておりません。空いております」
エヴラールさまは、それだけ言うと、戸を開け閉めして建て付けを確かめる。亜麻色の癖毛には細かな雪が残っているのに、その下の目だけは静かに据わっていた。二人が探していたのは、塩を置く乾いた場所である。この人は、当人たちが答えを出すまで待ち、それから、さりげない顔で大きな納屋を出してきた。順番は、そのほうがよい。
◇
王都。所を通さない縁が三つ、出てきた。当人どうしで決め、あとから報せだけを寄こす家である。雪の村とは違うところで、こちらの道も細く枝分かれしはじめている。
ベルトランは、後から届け出させることにして、三つとも届けを受けた。突き返せば、次からは報せさえ来なくなる。拒むより、まず手元へ寄せるほうが早いと踏んだのだろう。その勘も、手も、やはり早い。
ただし、届けだけの縁は、中身を見られない。誰が何刻に起き、困ったときには誰へ言うのか、届いた紙のどこを透かしても書いていない。所の綴りには、暮らしの匂いも声も持たない、見ていない縁が並びはじめている。紙は増えたのに、見えるものは減っていた。
◇
夜。帳面を開き、ローズさんとジュリアンさんの一行の上で手を止める。書き足すことは何もない。灯りの下で灰色の目を近づけても、その一行はもう十分に働いている。紙の上の短い文字から、濡れた塩の匂いと、頷き合ったときの小さな息まで戻ってくる。
足すべきなのは、欄ではない。次からは、冬の暮らしがほんとうに見える時期に、同じ三問をもう一度伺うことにする。雪が道を閉じても、問いまで閉じる必要はない。増えるのは問いではなく、伺う時期のほうである。




