第29話 あなたは、ただ
翌朝の、大広間。
毒を盛られ、死にかけた辺境伯ディートハルトは――自分の足で、広間に立っていた。
蒼白ではあるが、その背は、まっすぐだった。彼が生きて、そこに立っているという事実そのものが、昨夜の闇への、何よりの反論だった。
宰相の顔が、わずかに、強張ったのを、私は見逃さなかった。
「昨夜」ディートハルトが、広間じゅうに響く声で告げた。
「何者かが、私の薬に、毒を盛った。砒石と、興奮毒の、二種。――王宮の、客間でだ」
ざわめきが走った。
「私が今、こうして生きているのは」彼は、私を見た。
「ここにいる私の妻が、その毒を見抜き、一晩かけて、解いたからだ。……二種の毒を同時に見分け、解毒する。そんな芸当ができる薬師が、この国に、何人いる?」
広間の視線が、私に集まる。昨日までの、軽蔑の目ではなかった。
そして、ヴィオラ。
姉は、隅で、がたがたと震えていた。その顔は、蒼白を通り越して、土気色だった。彼女は――知っていたのだ。昨夜、誰かが毒を盛ることを。けれど、まさか、私がそれを解いてしまうとは、思っていなかった。
私は、姉の前に進み出た。
ずっと、この時を、待っていた、わけじゃない。むしろ、こんな日が来ないことを、どこかで願ってさえいた。けれど――もう、終わりにしなければ。
「お姉様」私は、静かに言った。
「一つだけ、お聞きします。あなたは、どうして、薬が作れなくなったのか、本当に、分からないんですか」
ヴィオラは、答えられなかった。
「教えてさしあげます。あなたは、一度も、薬を“作って”いなかったからです。あなたがしていたのは、私が組んだものを、自分のものとして、世に出すこと。そして――」
私は、十八年分の、すべてを込めて、まっすぐに姉を見た。
かつて、この同じ言葉を、私に投げつけた人へ。そっくり、お返しする。
「あなたは、ただ薬を“混ぜていただけ”でしょう?」
ヴィオラの目から、すうっと、力が抜けた。
その一言が、彼女が十八年、必死に被り続けてきた“天才”の仮面を、最後の一枚まで、剥がし落とした。
崩れ落ちる姉を見ても、不思議と、胸は晴れなかった。ただ、長く背負ってきた重い荷を、ようやく下ろせた――そんな、静かな心地だけが、あった。
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