第21話 胸くそ悪い賭け
平和な生活は、ある日突然、終わりを迎えることになった。
その日も俺は、情報収集を兼ねて酒場を訪れていた。
すっかり顔馴染みになった冒険者たちと同じテーブルを囲み、エールを片手に他愛もない話をしていたときのことだ。
「そういや、おまえさんも賭けに乗るか?」
向かいに座っていた冒険者が、唐突にそんなことを言い出した。
「賭けって?」
「決まってるだろ? 次に勇者がいつ死んで戻ってくるかだよ」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
思わず口に運んでいたジョッキを止め、目の前の男を見つめる。
しかし、男は俺の反応など気にも留めず、楽しそうに話を続けた。
「この辺りの冒険者じゃ、割と頻繁に行われてる賭けさ。前回からもう二週間だろ? これまでのことを考えれば、そろそろ戻ってきてもおかしくねえ頃合いだ」
「……そんな賭けがあるんですね」
「ああ。勇者様が死んで帰ってくるたびに、誰かしらが始めるんだよ。まあ、ちょっとした娯楽みたいなもんさ」
男はそう言って、ジョッキに残っていたエールを一気に飲み干した。
すると、隣に座っていた別の冒険者が、待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。
「俺は十六日目に賭けてんだ! 明後日だぜ、明後日! もし帰ってこなかったら、今度は俺がぶっ殺してやるぜぇ!」
男は大声で笑いながら、テーブルを勢いよく叩いた。
周囲の冒険者たちも、それにつられるように笑い声を上げる。
もちろん、酔っ払いの冗談だ。
本気で勇者を殺そうなどと考えているわけではないだろうし、そもそもそんなことができるとも思えない。
頭ではそう理解していた。
それなのに、どうしても笑う気にはなれなかった。
さっきまで身体の内を温めていたエールの酔いが、急速に醒めていく。
先ほどまで仲良く談笑していた周囲冒険者たちの笑い声が妙に遠く聞こえ、頭の中だけが冷たく冴えていく。
その一方で、胸の奥には正反対の感情が渦巻いていた。
……ああ、そうか。
俺は、怒っているんだ。
「……俺はやめておきます。他人の死を望むようなことは、したくありませんから」
できる限り感情を抑えて答えると、向かいの男は大げさに顔をしかめた。
「かぁーっ! なんだよ、白けるなぁ。別にいいじゃねえか。俺らと違って、向こうは死んでも蘇るんだからよ」
その言葉に、思わず反論しそうになった。
だが、ぐっと堪える。
……そういう問題じゃないだろ。
確かに、勇者は死んでも蘇る。
どれほど酷い傷を負って命を落とそうと、《輪廻の呪い》によって再び、あの王城の魔法陣で肉体を再生され、生き返るのだ。
だが、それで何もかも元通りになるわけではない。
痛みも、恐怖も、死の記憶も消えるわけではないのだから。
現にディーンは、幾度となく死を繰り返した末に、精神が限界を迎えてしまった。
そして、その身体には今、俺が入っている。
あの女神から事情を聞いていなければ、俺だって勇者の苦しみをここまで理解できなかったかもしれない。
それでも、他人が死ぬ日を予想して賭けをするなんて、どう考えてもおかしい。
しかも、目の前の冒険者たちは、そのことに何の疑問も抱いていないようだった。
きっと、彼らだけではないのだろう。
勇者は死んでも蘇る。
だから、どれほど危険な戦いを強いられても構わない。
何度死のうと、魔王を倒すまで戦い続ければいい。
そんな考え方が、この国では当たり前のものとして受け入れられてしまっているのだ。
……胸糞が悪い。
だが、ここで怒りをぶつけたところで、何かが変わるわけではない。
むしろ、勇者の死に過剰な反応を示せば、余計な疑いを招く可能性すらあった。
俺はジョッキに残っていたエールを一口飲み、どうにか気持ちを落ち着かせた。
そして、改めて男たちの話を思い返す。
『前回から二週間。これまでのことを考えれば、そろそろ勇者が死んで戻ってきてもおかしくない』
つまり、それだけ頻繁にディーンは命を落としていたということだ。
だが、今回に限っては、いつまで待っても勇者が王城へ戻ることはない。
何せ、その勇者本人がここで酒を飲んでいるのだから。
もちろん、王城の人間たちが、勇者は順調に魔王討伐へ向かっているのだと考えてくれる可能性もある。
しかし、それがいつまでも続くとは思えない。
魔王を倒したという知らせが届くわけでもなければ、勇者からの報告があるわけでもないのだ。
時間が経てば、さすがに何かがおかしいと気づくだろう。
そして、勇者の行方を捜し始める可能性は十分にある。
……いや、もしかすると、すでに捜しているのかもしれない。
王城を出てから二週間。
その間、俺はずっと王都で生活していた。
《変化》で姿を変え、名前も偽っているとはいえ、いつまでもここに留まっていても安全だという保障はどこにもない。
勇者が逃げ出したと知れば、どんな手段を使ってでも連れ戻そうとするに違いなかった。
そして、この世界には魔法がある。
仮に、ステータスに惑わされず、個人を識別するような魔法があれば、誤魔化しようがない。
そうなってからでは遅い。
俺は適当な理由をつけて席を立ち、冒険者たちに別れを告げた。
先ほどまで楽しそうに笑っていた男たちは、俺が帰ると言っても特に気にした様子はなく、再び勇者の死亡日を予想して盛り上がり始めた。
その声を背中に聞きながら、俺は酒場を後にした。
宿へ戻る道すがら、これからのことを考える。
この二週間で、ある程度の情報は集まった。
世界についての知識も、最初に比べれば随分と増えた。
まだわからないことは山ほどあるが、何も知らずに王城を飛び出したときとは違う。
少なくとも、次の行動を決めるだけの材料は揃っているはずだ。
それに、俺が求めているのは、王都で冒険者として名を上げることではない。
誰にも縛られず、のんびり静かに暮らせる場所を見つけることだ。
そのために、いつまでもグレイシア王国に留まっているわけにはいかない。
元々どこか遠くへ逃げる予定だったのだ。
勇者を捜す人間が現れる前に、できる限り早く、遠くへ離れた方がいいだろう。
宿に戻る頃には、俺の中で答えは決まっていた。
明日、この街を出よう。




