第16話 王城 Side 2
「……しかし、今回は随分と受け答えがしっかりしていましたな」
宰相がふと思い出したように口を開いた。
「なんのことだ?」
「勇者のことです。前回、たしか3週間ほど前に蘇ったときには、どこか虚ろな様子でしたが……」
「ああ、そうだったか?」
王は興味がなさそうに答えた。
「はい。問いかけても反応が鈍く、こちらの言葉が耳に入っているのかさえ怪しい状態でした。しかし、今回は随分とはっきりと受け答えをしていたように思います」
「ふむ……」
王は顎に手を当てたものの、さほど気にした様子もなく肩をすくめた。
「何度も死んでおるのだ。調子の良いときも悪いときもあるだろう」
「……そうであればよいのですが」
宰相はわずかに眉を寄せた。
「あまりに負担がかかり続ければ、いずれ戦いから逃げ出そうとする可能性もあるのではありませんか?」
「ふん。それはあるまい」
王は鼻で笑った。
「あやつには、まだ言葉も満足に理解できておらん頃から、たっぷりと時間をかけて教育を施してある」
「……例の洗脳術、ですか」
「そうだ」
王は当然のことのように頷いた。
グレイシア王国には、勇者を育成するための特別な教育法が存在していた。
それは、かつて《輪廻の呪い》が完成してから長い年月を経る中で、王国が独自に作り上げたものだった。
勇者として生まれた子供は、物心がつくよりも前から、徹底した教育を受けることになる。
魔族は悪である。
魔王は人族を滅ぼそうとする恐ろしい存在である。
魔王を倒さなければ、いずれ人々は蹂躙され、数え切れないほどの命が奪われる。
そして、その魔王を倒せるのは勇者だけ。
魔族と戦い、人々を守ることができるのも勇者だけ。
そうした言葉を、まだ自分の足で立ち始めたばかりの幼子に、何度も、何度も繰り返し聞かせるのだ。
勇者が戦わなければ、何百万もの人々が死ぬ。
その責任は、すべて勇者にある。
そして、勇者自身は《輪廻の呪い》によって死ぬことすら許されない。
魔王を倒さずに逃げ出せば、大勢の人々が苦しむ姿を見続けながら、終わることのない生を送ることになる。
それこそが、勇者に待ち受ける本当の地獄なのだと教え込まれる。
まだ善悪の区別さえ満足につかない幼い子供にとって、大人たちの言葉は絶対だった。
勇者には、同じ年頃の子供たちのように遊ぶ時間も与えられない。
絵本を読んでもらう代わりに魔族の恐ろしさを聞かされ、眠りにつく前には魔王を倒すことの大切さを説かれる。
そして、4歳ほどになり、ある程度自由に身体を動かせるようになると、本格的な戦闘訓練が始まる。
当然、幼い身体には過酷なものだ。
訓練中に転び、泣き出すこともある。
痛みに耐えきれず、もうやめたいと訴えることもある。
しかし、そこで訓練が終わることはない。
むしろ、教官たちはその痛みこそが必要なものだと考えていた。
魔王を倒さなければ、こんな痛みとは比べものにならない恐怖が待っている。
勇者が弱音を吐けば、その分だけ人々が苦しむ。
勇者が立ち上がらなければ、誰かが命を落とす。
そう言い聞かせながら、幼い勇者に再び武器を握らせる。
泣いても、拒んでも、訓練は続けられた。
そして、苦痛に耐えて立ち上がれば、人々を守る立派な勇者だと褒め称えられる。
やがて勇者は、痛みに耐えることも、命を懸けて戦うことも、当然の義務として受け入れるようになっていく。
それ以外の人生の選択肢を与えることはしない。
それが、グレイシア王国の誇る勇者育成法だった。
「この教育法が確立されてから、すでに十数人の勇者が生まれておる」
王は自信に満ちた表情で続けた。
「いずれの勇者も、死を恐れず、喜んで魔王討伐へ向かったと伝わっておる。あやつとて例外ではあるまい」
「……確かに、過去の記録にはそのように残されておりますな」
宰相は頷いたものの、その表情は晴れなかった。
「しかし、陛下。これまでの勇者の中に、ディーンほど死を経験した者はおりますまい」
「それがどうした?」
「いかに幼少期から徹底した教育を施していたとしても、人の精神には限界というものがございます。127回もの死を経験したとなれば、何らかの不測の事態が起きても不思議ではありません」
王はその言葉を聞くと、呆れたように首を振った。
「宰相よ。貴様は賢い男だが、少々心配性なところがいかんな」
「……申し訳ございません」
「現に、あやつはこれまで何度死のうとも、戦いから逃げ出してはおらんではないか」
王は玉座の肘掛けに片腕を預け、悠然と続けた。
「魔族領でどの程度の戦果を挙げておるのかはわからんが、少なくとも魔族がこちらへ攻め込んでくる様子はない。ならば、あやつもそれなりの働きはしておるのだろう」
「……それは、そうかもしれませんが」
「勇者は魔王を討つために生まれた存在だ。余計な心配など無用よ」
王はそう言い切ると、宰相から視線を外した。
その態度から、これ以上議論を続けるつもりがないことは明らかだった。
「……陛下がそう仰るのであれば」
宰相は静かに頭を下げた。
それを見届けた王は、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
「もうよい。ワシは下がる」
「はっ」
控えていた兵士たちが一斉に姿勢を正す。
王は彼らを従え、玉座の間をあとにした。
重厚な扉が閉じられると、広い室内に静けさが戻った。
やがて、残っていた兵士たちもそれぞれの持ち場へと戻っていく。
しばらくすると、玉座の間には宰相だけが残されていた。
「……ふむ」
宰相は小さく息を吐き、ゆっくりと窓際へ歩み寄った。
壁には大きなガラス窓が取り付けられている。
その表面にはわずかな歪みがあり、外の景色も完全に鮮明とは言い難い。
それでも、王城を取り囲む街並みと、その先に広がる遠くの大地を眺めるには十分だった。
「……確かに、これほど魔族が大人しいというのも妙な話だ」
宰相は窓の外へ目を向けたまま、独り言のように呟いた。
王の言うとおり、魔族が人族領へ大規模な侵攻を仕掛けてきたという報告は、長らく届いていなかった。
勇者が魔王と戦い続けている以上、魔族側にも相応の損害が出ているのかもしれない。
しかし、例えそうだとしても勇者は所詮一人。
軍を複数で展開させれば、勇者を抑えつつ、人族領に攻め入ることも可能なはずだった。
現に過去には、そうした事態も度々起こっていた。
「……そもそも、勇者が生まれてから戦いに出るまでの10年間、一度として魔族の侵攻がなかったことも気にかかる」
歴史を振り返れば、魔王の誕生は人族にとって大きな脅威だった。
魔族の軍勢が国境を越え、街や村を襲い、各国が協力して防衛に当たる。
その間に勇者が魔王を討伐する。
それが、これまで繰り返されてきた魔王との戦いだった。
ところが、今回の魔王が現れてからというもの、そうした動きはほとんど見られない。
勇者がまだ幼く、まともに戦うことすらできなかった時期でさえ、魔族は人族領へ攻め込んでこなかったのだ。
そして今も、勇者が幾度となく魔王に敗れているにもかかわらず、大規模な侵攻の兆候はない。
「……今回の魔族は、これまでとは何かが違うのかもしれんな」
宰相は顎に手を当て、しばらく考え込んだ。
魔族が何を考えているのか。
魔王が何を目的としているのか。
人族側には、その内情を知る手段がほとんどない。
勇者が魔族領でどのような戦いを繰り広げているのかさえ、詳しい報告は上がってこないのだ。
「……何も起こらなければよいが」
宰相は最後にもう一度、遠くの景色を眺めた。
それから静かに踵を返し、玉座の間をあとにする。
重厚な扉が閉じられると、室内にはとうとう誰の姿もなくなった。
そうして玉座の間に、深い静寂が訪れた。




