第15話 王城 Side
時は少し遡る。
勇者ディーン・トラウスの肉体に転生した護が玉座の間を退出したあと、しばらくの間、室内には重苦しい沈黙が漂っていた。
玉座に腰を下ろしたグレイシア王国の国王は、閉ざされた扉を冷たい目で見つめていたが、やがて深く息を吐いた。
「……はぁ」
その溜め息は、広い玉座の間にやけに大きく響いた。
王の傍らに控えていた宰相が、慎重に口を開く。
「陛下。そろそろ、我が国からも戦力を投入するべきかもしれませんな」
「……何?」
王はゆっくりと顔を向けた。
宰相はその視線を受け止めながら、言葉を続ける。
「勇者ひとりに魔王討伐を任せ続けるのも、もはや限界かと。せめて精鋭部隊を同行させれば、多少は状況が変わるやもしれません」
「ならん」
王は間髪入れずに言い放った。
「それでは、勇者とか《輪廻の呪い》に欠陥があると、他国に晒すことになるではないか」
「……しかし、このままでは」
「くどい。勇者が魔王を討つ。それが古来より定められた役目であろう」
はっきりと拒絶する王の声が玉座の間に響き、宰相は静かに口を閉ざした。
この国にとって、勇者とは単なる強力な戦士ではなかった。
人族の国々がひしめき合うこの大陸において、グレイシア王国が他国に対して優位な立場を保ち続けられる、その最大の理由こそが勇者の存在だった。
そして、その優位性を支えているのが、王城の地下深くに刻まれた《輪廻の呪い》の魔法陣である。
そもそも、勇者とは《聖剣召喚》のスキルを持つ者を指す言葉だった。
魔族領に魔王が誕生するとき、人族の中には必ず《聖剣召喚》のスキルを宿した者が現れる。
人々は古くから、その者を勇者と呼んできた。
勇者が召喚する聖剣は、魔王を討伐できる唯一の武器とされている。
さらに、聖剣に選ばれた者には加護が与えられ、魔族に対して絶大な威力を発揮する《光魔法》のスキルも授けられる。
それゆえ、魔王が現れるたびに人族は勇者を中心として軍を編成し、総力を挙げて魔族との戦いに臨んできた。
幾度となく繰り返されてきたその戦いは、常に人族の、勇者の勝利によって終わっていた。
だが、その歴史が覆されたことがあった。
ある時代、勇者が魔王に敗れたのである。
その勇者は歴代でも屈指の実力者とされたが、その代の魔王も恐ろしく強かった。戦いも互角に近いものだったという。
しかし、長時間に及ぶ激戦の末、ほんの一瞬の隙を突かれ、勇者は命を落とした。
魔王を討つことのできる唯一の存在を失い、その場に居合わせた人族の兵士は絶望の淵に立たされた。
だが、その時代には、人類史上最高と称されるひとりの魔法使いがいた。
その魔法使いは、勇者との戦いによって疲弊していた魔王に対し、自らが開発した独自の封印魔法を発動した。
それは魔王を地下深くへと封じ込める、極めて大規模な魔法だった。
魔法使いはその発動に成功し、人族は辛うじて滅亡の危機を免れたのである。
しかし、魔法使いはその勝利を素直に喜ぶことができなかった。
もし自分がいなければ、人族は魔王を止められなかった。
勇者がたった一度敗れただけで、人族の命運が尽きかけたのだ。
同じことが再び起こらないという保証はどこにもない。
そこで魔法使いが思いついたのが、後に外法と呼ばれることになる禁断の魔法だった。
《輪廻の呪い》。
勇者が命を落としたとしても、その魂を再構築された肉体へと戻し、蘇生させる魔法。
最強の存在である勇者が、死によって失われることさえなければ、人族が魔王に敗北することはない。
魔法使いはそう考えたのである。
そして、自らの生まれ故郷であるグレイシア王国の王城地下に、巨大できわめて精密な魔法陣を刻み始めた。
勇者が蘇る場所は、何よりも安全でなければならない。
敵の襲撃を受けにくく、厳重に守られた王城の地下こそが、最も適した場所だと思ったのだ。
魔法使いは、その魔法陣を完成させるために生涯を捧げた。
長い年月と膨大な魔力、そして当時の魔法技術と自身独自の理論の粋を集めて完成したそれは、以後、勇者が死ぬたびにその魂と肉体を王城の地下へと呼び戻すようになった。
こうしてグレイシア王国は、唯一勇者を管理できる国となったのである。
勇者がどこの国で生まれようとも、魔王との戦いで命を落とせば、次に目覚めるのはグレイシア王国の王城地下。
そしてある時代から、勇者の管理自体もグレイシア王国に一任されるようになった。
その事実は、他国に対する強大な影響力となった。
勇者を失えば、魔王に対抗する手段がなくなる。
だからこそ各国は、勇者を管理するグレイシア王国を無視することができなかった。
そして今、その勇者を巡って、王と宰相は頭を悩ませていた。
「……あやつがこうして死ぬのは、もう何度目だ?」
王が不機嫌そうに尋ねた。
宰相は手元の記録へ視線を落とし、静かに答える。
「127回目でございます」
「……127回、か」
王は玉座の肘掛けに手を置き、苛立たしげに指先を動かした。
「まさか、よりにもよってワシの代で、あのような出来損ないの勇者が生まれるとはな」
「不幸としか言いようがありませんな」
宰相は深々と頭を下げた。
127回。
それは、勇者ディーン・トラウスが魔王との戦いで命を落とした回数だった。
かつて《輪廻の呪い》を生み出した魔法使いでさえ、このような事態は想像していなかった。
勇者が魔王に敗れることは、あくまでも不測の事態。
一度死んだとしても、次の戦いで勝利する。
たとえそれが叶わずとも、二度目には魔王を討ち果たせるだろう。
魔法使いの計算では、その程度の蘇生で十分なはずだった。
しかし、時代が下るにつれ、各国の考え方は少しずつ変わっていった。
かつては勇者を中心に人族が総力を挙げて戦っていたにもかかわらず、いつしか魔王討伐を勇者ひとりに任せることが当たり前になっていた。
勇者が敗れても、再び送り出せばよい。
何度死のうとも、いずれ魔王を討ち果たすだろう。
その考えが、人族の国々に深く根づいてしまったのである。
魔法使いが勇者を守るために作り上げたはずの仕組みは、いつしか勇者だけに戦いを押しつけるためのものへと変わっていた。
「……次こそは、魔王を討てばよいのだがな」
王はそう呟き、再び玉座の背もたれへと身体を預けた。
その声には、勇者の身を案じる響きなど微塵もなかった。
王にとって重要なのは、魔王が討伐されること。
そして、グレイシア王国が勇者を管理する唯一の国であり続けることだった。
勇者がこれまで何度死に、どれほどの苦痛を味わってきたのか。
そのことを、王は一度として勇者に尋ねようとはしなかった。




