第11話 異世界で迎える最初の朝
目を覚ますと、見知らぬ天井が広がっていた。
「……ああ、そうか」
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかったが、すぐに昨日の出来事を思い出した。
—―そうだ。俺は異世界に来たんだった。
日本でトラックに轢かれたのが、午後6時前。
それから女神と出会い、王城で国王に叱責され、森でスキルを試し、街へ戻って冒険者ギルドに登録した。
考えてみれば、ずいぶんと慌ただしい一日だった。
この身体はレベル59の勇者だけあって、疲労らしい疲労を感じていなかったが、精神的には相当疲れていたようで、昨日、宿に到着して部屋へ案内されたあとは、ベッドに横になった途端、そのまま眠ってしまった。
「……よく寝たな」
俺はゆっくりと身体を起こし、改めて部屋の中を見渡した。
広さは、およそ8畳といったところだろうか。
ベッドのほかには、小さなテーブルとクローゼットが置かれているだけの簡素な部屋だ。
それにしても、見事なまでに木ばかりだな。
天井も壁も床も、すべて木の板が張られている。ベッドの枠やテーブル、クローゼットに至るまで木製で、日本ではあまり見かけない造りだった。
窓には一応ガラスがはめ込まれているものの、日本の住宅で見慣れたような透明で平らなものではない。
表面にはわずかな歪みがあり、外の景色も少し波打って見える。
「……こういうところは、やっぱり異世界なんだな」
俺はベッドから立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。
外には石畳の道が伸び、朝から荷車を引く人や買い物に向かう人々が行き交っている。
昨夜とは違う、穏やかな朝の街並みだった。
ちなみに、この宿の料金は一泊銅貨50枚。朝食付きだ。
昨日はとりあえず3日分をまとめて支払うことにしたのだが、銀貨2枚を渡すと、茶色い硬貨が5枚返ってきた。
大きさは日本の500円玉くらい。
銅貨100枚で銀貨1枚だとすれば、あの硬貨は1枚で銅貨10枚分の価値があるのだろう。
……まあ、細かい貨幣の仕組みは、使っていけば自然と覚えていくだろう。
問題は、手持ちの金が心もとないことだ。
昨日、手鏡を売って銀貨5枚を手に入れたものの、冒険者ギルドの登録料で銀貨1枚、宿代で銀貨1枚と銅貨50枚を使っている。
今の所持金は銀貨2枚と銅貨10枚分の価値があるであろう硬貨が5枚。
宿はあと2泊できるが、それ以降も泊まり続けるには金が必要になる。
昼や夜にも食費は掛かる。
「……よし」
俺は軽く両頬を叩いた。
魔王だの勇者だの、考えなければならないことはいくらでもある。
だが、今は一度忘れよう。
せっかく勇者としての役目から逃げ出せたのだから、まずは自分の生活をどうにかしなければならない。
何をするにしても、金がなければ始まらないのだ。
「朝飯食べたらギルドに行くか」
そう決めた俺は身支度を整え、部屋を出た。
一階へ下りると、食堂にはすでに何人かの宿泊客が集まっていた。
俺も空いている席に腰を下ろし、朝食をお願いする。
ほどなくして運ばれてきたのは、パンと卵焼き、それに野菜のサラダだった。
「おお、普通に美味そうだな」
まずはパンを手に取り、ひと口かじる。
表面は少し硬めだが、中はふっくらとしていて、噛むほどに小麦の香りが広がった。
味つけは素朴ながら、ほんのりと塩味が効いている。
「……うん、美味い」
続いて卵焼きを口に運ぶ。
何の卵を使っているのかはわからないが、黄身の味が濃く、思っていた以上に濃厚だった。
サラダの野菜も新鮮で、噛むと瑞々しい甘みが感じられる。
異世界の食事ということで少し身構えていたが、これなら何の問題もなさそうだ。
俺は朝食を平らげると、宿を出て冒険者ギルドへと向かった。
昨日教えてもらった道を歩き、見覚えのある大きな建物へ到着する。
入口の扉を開けた途端、昨日とは違う種類の賑わいが耳に飛び込んできた。
「……おお?」
ギルドの中には大勢の冒険者が集まっていた。
ただし、昨日のように飲食スペースで食事をしたり、酒を飲んだりしている人はほとんどいない。
テーブルに座って仲間と話している者はいるものの、大半の冒険者は壁際の掲示板へ集まっているようだった。
中には、掲示板そのものが見えなくなるほど人が密集している場所もある。
「……これは、出遅れたか?」
俺は思わず呟いた。
依頼が何時に張り出されるのかは知らないが、この様子を見る限り、もう少し早く来た方がよかったのかもしれない。
とはいえ、すべての掲示板が混雑しているわけではなさそうだ。
よく見ると、大勢の人が集まっている掲示板もあれば、数人が眺めているだけの場所もある。
俺は比較的空いている掲示板へ近づいてみた。
すると、その上部に大きく『F』という文字が書かれていることに気づいた。
「……なるほど。ランク別に分かれているのか」
周囲を見渡すと、隣の掲示板には『E』、さらにその先には『D』『C』と、それぞれのランクが表示されていた。
特に人が集まっているのはEからCランクの掲示板らしい。
おそらく、その辺りが冒険者の中でも人数の多いランクなのだろう。
それに比べると、Fランクの掲示板は随分と空いている。
「まあ、俺にはちょうどいいか」
俺は掲示板の前に立ち、貼り出されている依頼書へ目を通した。
街の清掃。
倉庫の荷運び。
商店の手伝い。
薬草採取。
「……確かに、雑用や薬草採取ばかりだな」
昨日、受付の女性から聞いていたとおりだった。
依頼書には仕事内容のほか、報酬や獲得できるポイントも記載されている。
いくつか見比べてみると、薬草採取の報酬は雑用よりも安く設定されていた。
ただし、こちらは少し仕組みが違うらしい。
決められた種類の薬草を一定数集めて納品すると報酬が支払われ、さらに複数セット持ち込めば、その分だけ報酬が上乗せされるようだ。
「……金を稼ぐなら薬草か」
雑用の依頼は、一度こなせばそれで終わりだ。
だが、薬草採取なら集めた分だけ金になる。
うまくやれば、一日でそれなりの額を稼げるかもしれない。
問題は、肝心の薬草がどんなものなのか、まったくわからないことだ。
「……受付で確認してみるか」
俺は掲示板から離れ、カウンターへと向かった。
ちょうど昨日対応してくれた女性の窓口が空いていたので、そこへ声をかける。
「すみません」
「あら、マモルさん。おはようございます」
女性は俺の顔を見ると、にこやかに微笑んだ。
「おはようございます。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「はい。何でしょう?」
「薬草採取の依頼を受けようと思っているんですが、肝心の薬草がどんなものなのかわからなくて……」
「ああ、薬草ですね。ちょっと待っていてくださいね」
女性はすぐに頷くと、席を立ってカウンターの奥へ引っ込んだ。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、数種類の植物が載せられた小さな木製の盆があった。
「お待たせしました。常に依頼が出されているのは、この4種類ですね」
そう言って、盆を俺の前へ置く。
「こちらから、回復草、止血草、麻酔草、毒草です」
「へえ……」
俺は身を乗り出し、並べられた植物を眺めた。
回復草は丸みを帯びた葉が特徴的で、他の3種類とは比較的見分けがつきそうだ。
一方、残りの薬草は細長い葉や小さな葉がついており、素人目にはその違いが少々わかりにくい。
「……これ、全部覚えないといけないんですか?」
「いえ、最初から無理に全部覚える必要はありませんよ」
女性は小さく首を振ると、回復草を指さした。
「例えば、この回復草は丸い葉が特徴的なので、初心者の方でも比較的見分けやすいんです。最初はこれだけを探してみるのもいいと思いますよ」
「なるほど……」
確かに、下手に全部覚えようとして間違えるくらいなら、ひとつずつ確実に覚えた方がよさそうだ。
俺は改めて回復草を見つめた。
丸みを帯びた葉に、少し太めの茎。
色や葉のつき方も、できるだけ頭に叩き込んでおく。
……よし。
「ちなみに、これって見本としてお借りできたりします?」
「こちらは他の方が納品されたものなので、お貸しすることはできません」
女性は申し訳なさそうに微笑んだ。
「……ですよねー」
まあ、さすがにそう簡単にはいかないか。
俺は苦笑しながら、もう一度回復草へ目を向けた。
できる限りその姿を目に焼き付けると、女性に礼を言ってカウンターを離れた。
「ありがとうございました。とりあえず、回復草から探してみます」
「はい。街の外には魔物もいますから、十分気をつけてくださいね」
「わかりました」
俺は軽く手を振り、ギルドをあとにした。
さて、初めての冒険者としての仕事だ。
まずは回復草を見つけることから始めよう。
そう考えながら、俺は街の門へと向かった。




