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第二章「標的」

二羽目が確認されたのは、一羽目から七十二時間後だった。  場所は同じ、石神井公園。同じベンチの、同じフェンス。まるで待ち合わせでもしていたかのように、一羽目の隣にとまっていた。  最初に気づいたのは徹夜で張り込んでいたフリーカメラマンで、シャッターを押す前に声が出た。その声で周囲が起き、十秒後には百本のスマートフォンが同時に向けられた。  二羽は特に気にしていなかった。  並んで首を振って、それから二羽同時に地面に降りた。

 同じ朝、ワシントンD.C.では担当者が上司を叩き起こしていた。 「二羽目が確認されました」 「場所は」 「同じ公園です」  上司は三秒沈黙した。 「日本側の対応は」 「情報統制を開始したようですが、すでにSNSで世界中に拡散しています」 「サンプルの確保状況は」 「日本政府が難色を示しています。現在、外交ルートで」 「外交ルートで鳩を交渉するのか」上司は言った。 「はい」担当者は言った。  また三秒の沈黙があった。

 同じ朝、北京では別の会議が始まっていた。  画面には石神井公園の衛星写真が映っていた。金色の点が二つ、くっきりと写っていた。 「物質の特定は」 「日本側の発表では純金に近い組成とされていますが、詳細は不明です」 「生体サンプルの入手ルートは」 「複数のルートで動いています」 「急げ。アメリカが先に動く」  会議室の全員が頷いた。

 同じ朝、石神井公園のベンチで、諸星は二羽になった鳩を眺めていた。  缶コーヒーはいつものやつだった。  隣には昨日の女性がまた来ていて、また手を合わせて目を閉じていた。 「二羽になりましたね」と諸星は言った。 「ええ」と女性は目を閉じたまま言った。「仲間を呼んだんでしょう」 「そうですかね」 「そうですよ」女性は確信を持って言った。「神様は一人じゃ寂しいから」  諸星は缶コーヒーを飲んだ。  鳩は二羽で並んで、首を振っていた。

 情報統制は、七時間で崩壊した。  内閣官房が「石神井公園の件については現在調査中であり、過度な混乱を避けるため情報の一元管理を」と各メディアに通達を出したのが午前十時。その文書がそのままXに投稿されたのが午前十時十四分。「政府が隠蔽しようとしている」というポストが五万リポストされたのが午前十一時。テレビ朝日が「情報統制への疑問」という特集を組んだのが午後三時。  夕方には公園の周辺に「真実を隠すな」と書いた手書きのプラカードを持った人間が現れた。  何の真実かは、誰もわかっていなかった。

 その頃、公園から二百メートルほど離れた路地に、一台の車が止まっていた。  外交官のナンバープレートをつけた黒いセダンで、中には二人の男が乗っていた。二人ともスーツを着ていたが、外務省の人間ではなかった。  助手席の男がタブレットを操作した。 「現在、公園内に確認できる個体は二羽。どちらも同一エリアに留まっています」 「捕獲チームの準備は」 「今夜の二時に動けます。ただ」 「ただ?」 「警察の警備が増えました。日本側も同じことを考えているようです」  運転席の男は小さく笑った。 「当然だろう。向こうも馬鹿じゃない」  二人はしばらく黙って、公園の方向を見ていた。暗くなり始めた空の上に、石神井公園の木々のシルエットが見えた。 「本部からの指示は」 「サンプル確保を最優先。生体が望ましい。ただし」男はタブレットの画面を消した。「日本側との摩擦は最小限に」 「つまり」 「バレるな、ということだ」

 同じ時間、永田町の会議室では怒号が飛んでいた。 「なぜ漏れた」 「調査中です」 「調査中じゃない、誰が投稿したか特定しろと言っている」 「それが、複数のルートから同時に」 「複数?」 「はい。省内からのリークと、それとは別に、アメリカ側からも同じ文書が」  室内が静かになった。 「アメリカが流したのか」 「断定はできませんが」  議員の一人が額に手を当てた。「つまり、情報統制の通達文書を使って、アメリカに揺さぶられたということか」  誰も返事をしなかった。  それが返事だった。

 諸星は公園の外の屋台で焼き鳥を食べていた。  もも肉、塩。百八十円。  屋台のおやじが顎で公園の方を指した。「すごいことになってますね、あっち」 「そうですね」 「テレビでやってましたよ。政府が隠してるとか」 「ああ」 「隠してると思います?」  諸星は焼き鳥を一本食べ終えて、串を紙皿に置いた。 「隠せるもんなら隠せばいいと思いますけど」 「え?」 「だって」諸星は次の串を手に取った。「あの鳩、隠れる気ゼロじゃないですか」  おやじは笑った。「確かに」  諸星は焼き鳥を食べた。  公園の方からまた怒声が聞こえた。プラカードの人間と警察官が揉めているらしかった。  鳩は関係なく、暗くなった公園の中で金色に光っていた。

 三日後、鳩は六羽になっていた。  石神井公園の管理事務所は閉鎖された。警察の規制線が池の周囲を囲み、報道陣は指定されたエリア以外への立ち入りを禁止された。それでも毎朝人が集まった。規制線の外から金色の鳩を眺めて、手を合わせて、写真を撮って、帰っていった。  賽銭箱は三つに増えていた。  誰が設置したのかは、誰も知らなかった。

 この頃になると、テレビの論調が少し変わっていた。  最初の三日間は「奇跡か偽物か」だった。  次の三日間は「政府の隠蔽疑惑」だった。  そして今週は「経済的価値の試算」が始まっていた。  ワイドショーのコメンテーターが言った。「一羽あたりの金の含有量を体重から推定すると、現在の金相場で一羽あたりおよそ三百万から五百万円相当になる計算です」  スタジオがざわついた。  司会者が言った。「それが六羽ということは」 「単純計算で一千八百万から三千万円分の金が、石神井公園を歩き回っているということになります」  その夜、公園の規制線を乗り越えようとした男が二人、警察に取り押さえられた。一人は網を持っていた。もう一人は虫かごを持っていた。

 翌朝、諸星はいつものベンチにいた。  規制線の外側、少し離れた場所に移動したベンチで、缶コーヒーを飲んでいた。隣には手を合わせるおばさんがいた。もはや挨拶もなく、二人は並んで座っていた。  近くに立っていた若い記者が、諸星に声をかけた。フリーの記者らしく、首から古いカメラをぶら下げていた。 「あの、毎日ここにいらっしゃいますよね」 「まあ」 「少しお話聞かせてもらえますか。率直に聞きますが、これ、どこから来たと思いますか」  諸星は缶コーヒーを持ったまま、少し止まった。  ほんの一瞬だった。  でも記者は気づいた。何かが、変わった。表情というほどのものでもない。ただ諸星の目が、遠くなった。公園の鳩を見ているのか、もっと遠くを見ているのか、わからなかった。  静寂が三秒あった。  記者は息を呑んだ。  諸星は口を開いた。 「さあ」  それだけだった。  缶コーヒーを一口飲んで、諸星は視線を足元に落とした。ベンチの横に置いたコンビニの袋から、一枚の紙を取り出した。近所のスーパーの折り込みチラシだった。  真剣な顔で見始めた。 「…………」 「あの」記者が言った。 「玉ねぎ、三個で九十八円か」諸星は言った。「安いな」  記者はしばらく諸星を見ていた。  何かを言おうとして、やめた。  カメラを構えて、金色の鳩を撮った。

 その夜、記者はホテルの部屋でノートを開いた。  今日取材した人間のメモが並んでいた。鳥類学者、神社の宮司、捕獲を試みて逮捕された男の知人、防衛省の元職員。  最後のページに、一行だけ書いた。 「諸星という男。毎日公園にいる。何者か不明。要注意。」  それから少し考えて、もう一行書いた。 「玉ねぎ三個九十八円」  自分でも何でこれを書いたのかわからなかった。

 二週間後、鳩は百十七羽になっていた。  石神井公園だけではなかった。  練馬区内の公園に三十二羽。杉並区に十一羽。世田谷区に八羽。そして横浜の山下公園に二十三羽。地図に落とすと、東京湾を中心に緩やかに広がっていくパターンが見えた。国土地理院の職員がそれに気づいて上司に報告し、上司が内閣官房に報告し、内閣官房が「引き続き注視する」と言った。  引き続き注視する、の意味は誰にもわからなかった。

 この頃、最初のビジネスが動き始めていた。  仕掛けたのは渋谷で小さなIT会社を経営している三十四歳の男で、名前を田所といった。田所は鳩騒動の最初の週に「これは絶対に金になる」と確信し、会社の資金を全部つぎ込んで動いた。  最初の商品は「黄金の鳩・公式目撃マップアプリ」だった。ユーザーが目撃情報を投稿すると地図上にピンが立つ、それだけのアプリだった。開発費三十万円。リリースから四十八時間でダウンロード数が八十万を超えた。  次に田所が作ったのは「黄金の鳩・待ち受け画像プレミアムパック」だった。写真家に頼んで撮影した高解像度の画像を、一枚三百円で販売した。初日で二千万円売れた。  田所はその夜、一人で焼肉を食べながら泣いた。  嬉しくて泣いたのか、怖くて泣いたのかは、自分でもわからなかった。

 田所より動きが早かったのは、もっと古い種類の人間たちだった。  浅草の骨董商が動いた。横浜の港湾関係者が動いた。歌舞伎町で何種類かの商売をしている男が動いた。  共通していたのは、全員が「捕まえることより、捕まえた後のルートを先に確保する」という発想で動いていたことだった。  捕獲した黄金の鳩を、誰が買うか。国内で売れるか、海外の方が高いか。生体と死体、どちらが価値が高いか。政府に没収される前にどう動かすか。  この四つの問いに対する答えが出揃った頃、最初の「チーム」が編成された。  メンバーは七人。元猟師が一人、ドローン操縦士が二人、トラックの運転手が二人、そして「売り先」を持つ男が二人。報酬は捕獲一羽につき、折半。作戦決行は、三日後の深夜。

 その三日前の昼間、諸星は荻窪のスーパーにいた。  野菜コーナーで玉ねぎを三個、袋に入れた。九十八円だった。  隣で主婦が金色の鳩のキーホルダーをカゴに入れるのを、諸星はぼんやり眺めた。レジ横に積まれていた。一個五百円。  レジに並びながら、前の老人がスマートフォンで誰かと話しているのが聞こえた。 「そうよ、金色のやつ。待ち受けにしたら宝くじ当たったって言うじゃない。だから私も」  諸星は玉ねぎを三個、ベルトコンベアに置いた。  レジの店員が言った。「黄金の鳩、すごいですよね。うちの子供も見に行ったって言って」 「そうですか」 「諸星さんは見ました?石神井公園」  顔見知りらしかった。 「まあ」と諸星は言った。 「どうでした?」  諸星はエコバッグを広げた。 「鳩でしたよ」  店員は笑った。諸星も少し笑った。  玉ねぎ三個と、豆腐と、缶コーヒーが六本、袋に収まった。

 その夜、作戦決行三日前のチームが最終確認をしていた倉庫に、警察が踏み込んだ。七人全員が現行犯逮捕された。  ニュースで流れた時、コメンテーターが言った。「政府はこの鳩を国家資源として管理しようとしているのではないか、という見方も出ています」  スタジオがまたざわついた。  翌朝、石神井公園のベンチで、おばさんが手を合わせながら言った。 「捕まえようとした人たちが逮捕されたそうですね」 「そうらしいですね」と諸星は言った。 「罰が当たったんですよ」おばさんは目を閉じたまま言った。「神様を捕まえようとするから」 「そうですかね」 「そうですよ」  諸星は缶コーヒーを飲んだ。  金色の鳩たちは、今日も何も気にしていなかった。


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