これが最後の、チャンスだから
* ネイト=アイゼン *
「クツマの名を使った時候の挨拶の言い回し4種!」
「えっとえっと、『新緑の芽吹くころ、女神クツマの慈愛によって春訪れを寿ぎ——』」
教室のあちこちでそんなやりとりが行われている。
いつもとは違う緊張感と、熱気。
予鈴とともに教室に入ってきたのは黒髪の2年生であるソーマではなく、担任のモルツブラだった。彼を見たときにネイトが思わず「誰だっけ」と言ってしまったのも無理はないほどに、彼は黒鋼クラスに顔を出すことはなかった。
「……それでは解答用紙を配るので、時間が来るまで記述を行わないようにしてください」
「あ、あの、先生!」
ネイトが声を上げて立ち上がると、解答用紙の束を持っていたモルツブラはびくりとした。
「なんですか、えぇっと君は……」
「ネイトです。ネイト=アイゼン」
どうやら生徒の名前すら覚えていなかったらしい。
「それより、あの、全員が揃ってなくてぇ……」
今教室にいるのはたったの8人だった。
ゴドバルト、ミレッタ、リシャールのグループが誰ひとり来ていないのだ。
「……確かに少ないが、欠席するんじゃないですか?」
「欠席!? そんなことできるんですか!?」
「それはできますよ。来なければいいだけですから」
「え? そ、その場合の成績は?」
「ハァ」
モルツブラは小さくため息を吐いた。
「決まってるでしょう、0点です」
「れっ……!?」
「これから問題を読み上げる係員の方が来ます。各教科とも試験時間は1時間で、試験の開始と終了は鐘の音によって告知されます。終了の鐘が鳴り始めたら速やかにペンをおいてください。ペンをおかない場合は不正とみなされます。1時間の時間はこの『時刻みの鋼板』によっても目安を知ることができますが、これはあくまでも目安。開始と終了は鐘の音によって決まります——」
説明が頭に入ってこない。そうこうしていると、読み上げの係員が入ってきた。
クラスの3分の2が0点だとしたら——残り全員が満点だったとしてもクラス平均点は33点ということになる。
そしてもちろん全員が満点なんてあり得ない。
とんでもないハンデ。
いや、こんなものはハンデとすら言えない。
最下位確定だ——。
(10%が、3人が退学……! 誰が退学に……い、いやいや、そんなことよりこの状況をソーマ先輩に話してぇ……!)
ハッ、とする。
ソーマも今はテストの時間だ。
頼れない。
ソーマは学年トップを取り続けているのだ。こんなことで邪魔なんてできない。今、2年生の教室にいったらソーマはきっと試験を辞退してでも1年生のために動いてくれる。
絶対に頼ったらダメだ。
(……これは、この問題は、僕たちが解決しなくちゃいけないんだ)
8人へと解答用紙が配られる。
残り17枚が、どさりと、空席に置かれた。
(ゴドバルトくんも、リシャールくんも、ミレッタさんも、どうしてここに来ないんだよ……? あんなに過去問を勉強してたのに!)
だが、と思い直す。
よく考えたらこの2日くらいは様子がおかしかった。言葉も少なくなって全然やる気を見せなかった。
「……ネイト、こうなってしまっては仕方がない。私たちだけでも良い点数をとろうではないか」
「そうだよ……個人成績で高い順位に入れば退学にはならない……かもしれない。ネイトはもともと入学試験でも同点首位だったんだし」
ヴィリーとダニーが言う。
「でも……」
ネイトは立ったままだった。
あきらめきれない、と思った。
ヴィリーもダニーも不思議そうな顔をしている。それもそうだろう、ゴドバルトたちは平民のネイトに対してキツい当たり方をしていたし蔑んでもいた。鳥を渡しても感謝すらしなかった。
そんな彼らがテストを棄権するという。
彼らが0点をとろうと知ったことではないのではないか?
ダニーが言ったとおり、他のクラスに負けない高得点を叩き出せば、退学にさせられることはさすがにないのではないか?
今やるべきは、ゴドバルトたちをどうにかするのではなく、目の前のテストに全力を尽くすことではないのか?
「……あの、ネイトくん」
そのとき、離れた席に座っていた女子が口を開いた。
彼女もまた平民ではあったけれど、会話することはほとんどなかった。女子寮は女子寮のルールがあるみたいだったし、しかも毎日の狩りに勉強にと忙しくてそれどころではなかったのだ。
「ミレッタさんが言ってるのを聞いたんだけど、過去問がニセモノだったんですって」
「……え?」
ニセモノ?
過去問が?
「どういうこと?」
「『信じてた黄槍クラスの先輩に裏切られた』って言ってて……『完全に下につくならテストを欠席しろって言われた』って……」
「!?」
ミレッタは黄槍クラスの貴族を頼って過去問を手に入れたらしい。
目的は当然、彼女がテストで良い点数を取るためだろう。
「…………」
だがそれがニセモノだった?
「もしかして——ゴドバルトくんも、リシャールくんも、ニセモノを……?」
ネイトは立ち尽くす。
彼らは本気で良い点数を取ろうとした。そのやり方は褒められたものではなかった——先輩から「やれ」と言われたことを無視し、自分たちだけで過去問を独占して。
でも、「良い点数を取ろうとした」ことは事実だ。
すべては貴族としてのプライドだ。
絶対にネイトたちに負けるわけにはいかないと思っていたのだろう。
(僕らを……ちゃんと、敵だと、ライバルだと思ってくれてたんだ……)
今日、この場に来ないのはなぜか。
上級生にそう言われたから?
「下につけ」と?
彼らは今どう思っているのか——なりふり構わず本気でテストの点を取ろうとしたのに、頼みの綱だった他クラスの上級生に弄ばれ、テストに参加することすらできない。
「……悔しいに、決まってる……」
ネイトの、握りしめた拳が震える。
本鈴が鳴った。
モルツブラが、立ち尽くしているネイトに目を留める。
「これからテストを開始します。立っている君、今すぐ着席してください」
「……先生」
「ん?」
「テストって、途中から参加することもできますよね?」
「途中……遅刻参加ということですか? それは可能だが、試験問題の読み上げを遡って行うことはしない……」
「僕、行ってきます!」
ネイトは席を蹴って走り出し、飛ぶように教室を出て行く。後ろから、「おい、ネイト!?」「どこ行くんだよぉ!」という声が聞こえてくるが、ネイトは止まらなかった。
止まるつもりはなかった。
ネイトは走る。
無人の廊下を駈けていく。
(もし、本気でテストをがんばりたいと思ってるクラスメイトがいるんなら……僕は)
身体が軽い。
この学園に来るまでは自分がこんなに早く走れるだなんて知らなかった。
(僕は、助けたい……!)
そして、これも知らなかった。
自分が、「仲間を大切にしたい」だなんて思う人間だってことを。
(テストに参加して欲しい!! 上級生の言いなりになんかならないでぇ!)
ネイトが向かったのは黒鋼寮だ。
彼らが他に行く場所なんてあるはずがない。
校舎からいちばん遠い場所にある黒鋼寮は、今日はもどかしいほどに遠い。あの古びた、ツタの生えた寮が見えてくると、ネイトの足はますます速くなった。
ネイトは、男子寮の扉を開け放った——すぐそこのロビーに、いた。
男子だけじゃない、ミレッタたち女子もいる。
全員いる。
全員が、うなだれて、あるいはつまらなさそうな顔でそこにいる。
「……あ? なにしに来たんだ、お前」
ケルヴィンがけだるそうに、けれど驚いた顔でネイトにたずねる。
「……行こう」
「あ?」
「テストに!! 行こうよ!!」
ネイトの大声への反応は——沈黙だった。
イラ立ち、やるせなさ、あきらめ、くやしさ——そんなものが混じった、沈黙。
「……あのな、平民。お前は知らねぇんだろうが、俺らはもう今回のテストをボイコットすることにしたんだ——」
「知ってる」
「あ?」
「知ってる。君らが他のクラスに頼って、偽の過去問をつかまされたって話は」
「!! てめっ——」
「だからなんなんだよ!」
ネイトは声を上げる。
もっともっと上げる。
今ここで声を上げなければ、もうきっと彼らの耳には届かない。これが最後のチャンスだと——そんな気がしたのだ。
「1点でも多くとって! 僕たちに勝つために勉強してきたんじゃないの!? それなのに、テストを欠席なんて、バカバカしいだろ!」
いつも気弱そうだったネイトからこんな言葉が出るとは思わず、ケルヴィンがぎょっとしてのけぞった。他のクラスメイトたちも驚いて声が出ない。
「貴族のプライドなんてそんなもんなのかよ!? たった一度の失敗で、僕らに負けたって言うのかよ!?」
「——そんなワケないでしょーがっ!」
反論したのはミレッタだった。
「アンタにはわかんないのよ! アタシたち貴族がどんな思いでこの黒鋼クラスにいるかなんて……」
「わかるわけがない! こっちは平民なんでぇ! でも……でもさ、わかることもある!!」
ネイトは全員の顔を見た。近くのケルヴィンを、今初めて口を利いたミレッタを、離れた位置にいるリシャールを、ゴドバルトを、他のクラスメイトたちを。
「今ここで負けたら!! ずっとずっとずーっと、負け犬になる!!」
ハッ、としたようにミレッタが目を見開いた。
「ここでテストを受けなかったら!! 次は、武技で負けろって言われる!! この先ずっと負け犬になんのかよ!?」
ミレッタは口をぱくぱくし、ゴドバルトは顔をしかめる。
するとリシャールが、
「……だが、今からテストを受けたって受け損なんだよ。もうテストは始まってる。そのぶんを取り返すのは不可能だし、俺らは過去問ばっかり解いてきた」
「いい、それでも。今、この時間も、ヴィリーが、ダニーが、クラスのみんなが、がんばって解いてる」
「バカだな、お前は。そんなんじゃ勝てねぇんだよ」
「勝てる。でも、負けても、いい」
「あ?」
「今からリシャールくんがテストを受けてくれれば、黒鋼クラスはまだひとつのクラスでいられる。リシャールが失敗したぶんを、他のみんながサポートしようって思える。でも逃げたらダメだ。逃げたら、もう、バラバラになる」
「…………」
「僕は……勉強しか取り柄がなかった。でもここにきて身体を動かすことを知った。狩りをしたり、ケルヴィンくんと本気で試合をしたりとか……初めてのことばっかりだったけど、全部楽しかった」
「だったらなおさら、辞めたくねぇんだろ? お前が、平民のお前が退学になりたくないから、ここに来たんだろ?」
「このテストで黒鋼クラスが最下位になったら、僕が辞める」
「は……?」
「そのつもりで来た。もし辞めることになっても、それでも! 今ここでみんなにテストを受けてもらわなかったら! 絶対、ずっとずっと後悔するってわかってるから、ここに来た!」
「バ、バカかよお前は……俺たちは貴族だぞ」
「でも同じ黒鋼クラスだよ」
「最下位になっても俺たちが辞めさせられることはないんだぞ」
「わかってる。でも、同じ黒鋼クラスなんだよ」
「だから、バカかよ!? 俺らにはテストに参加するメリットがねーんだよ!」
「……メリットなら、あるだろう」
そこへ、口を挟んだのはゴドバルトだった。
「さっきネイトが言ったとおりだ。ここで俺たちがテストを受けなかったらこれから先もずっと他のクラスの踏み台にされる……」
「ハァ!? お前、まさか今からテスト受けるとか言うんじゃねぇだろうな!」
「受ける」
「!?」
「……なぁ、ミレッタ」
「…………」
話しかけられたミレッタは、唇を尖らせて、顔を真っ赤にしていた。その目からは今にも涙があふれそうだった。
「……アタシ、ほんとにうれしかったんだよ……黄槍クラスの先輩に声を掛けてもらって…………あんなきれいな人といっしょにいたら、アタシも黄槍クラスになれるみたいな気がして……」
絞り出すような声だった。
「……でも先輩からしたら、アタシは黒鋼クラスの、取るに足らない、新入生…………アタシ、悔しいよ」
ぽろり、と涙がひとしずくこぼれた。
「テストに行こう」
ネイトは言った。
「……それで、あの先輩の鼻を明かせるの?」
「できる」
「どうして」
「ソーマ先輩の授業を聞いてたから。ミレッタさんも、真剣に聞いてたのを僕は知ってる。きっと解ける問題がいっぱいある。もし僕らが最下位じゃなかったら——きっとみんなが僕らに注目する!」
「黄槍クラスも?」
「もちろん。白騎クラスだって僕らを無視できないんでぇ!」
「…………」
するとミレッタは立ち上がり、ハンカチで涙を拭った。
「……行く。ねぇ、みんなも行こう」
ミレッタのグループの面々がうなずいた。
「行くよ! ミレッタさんが行くなら!」
「俺も、他のクラスの先輩の言いなりになるのがちょっとイヤだった」
「行こ行こ!」
するとゴドバルトが、仲間に声を掛ける。
「俺たちも行くぞ」
「はい!」
「ゴドバルトさんがそう言うなら」
ケルヴィンが複雑そうな顔でネイトを見る。
「……チッ、お前に言われたから行くわけじゃねーぞ。ゴドバルトさんが言うからだ」
「わかってる」
最後のリシャールへは、ゴドバルトが促した。
「リシャールも行くよな?」
「…………」
がしがしがし、とリシャールは頭をかいた。
「わーった。わーったよ。だけどな、ゴドバルト、これは貸しひとつだぞ」
「フッ、お前の得になることなのに貸しとは恐れ入る。だが、構わん——行くぞ!」
17人のクラスメイトを引き連れて、ネイトは黒鋼寮を出た。
そして、走り出した。
全力で校舎を目指して走る、走る、走る。
いったいどれくらい時間が経ったのか。まだ、最初のテストを受けられる時間は残っているのか。
ネイトたちがクラスへと戻ってくると、テストの残り時間は8分だった。
「え? え? 君たち、受けるんですか?」
「はい、先生。途中からでも受けられるっておっしゃいましたよね?」
「ですが試験内容は読み上げですよ」
「今から受けられる分で構いません。お願いします!!」
ネイトが頭を垂れると、ゴドバルトたちも釣られて頭を下げた。
「わ、わかりました……急いで着席してください」
ネイトが戻ると、ヴィリーとダニーがニッと笑って親指を立てて見せた。
ネイトもまた、親指を立てて返した。
(さあ)
ネイトはペンを握りしめる。
テストだ——。
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