密かに心の距離は広がって
* ネイト=アイゼン *
心の距離が広がった、とネイトは思った。
黒鋼寮で会っても、教室にいても、会話がない。森には当然来ない。ゴドバルトやミレッタ、リシャールたちはそれぞれ勝手に行動している。
聞いたところ、過去問を手に入れ、それを元に対策を行っているという。
過去問が彼らの自信にもつながっているらしく、ネイトたちをバカにするような顔をすることが出てきた。
「なんなのだ、アイツらは。同じクラスの仲間意識はないのか——エルセルエート」
「ないんだよぉ、きっと。貴族は貴族だもの。むしろ、ヴィリーがふつうじゃないんだよ——技能の神。イクロス」
「…………」
「ネイトの番だよ。イクロス」
「あ、ああっ、うん、神の父」
ネイトたちは今日も今日とて森へと走る。ここ数日はお互い問題を出し合って知識の定着を確認している。
今は神話の神の名を言い、次の者が神の役割を答えるというものである」
「俺、碧盾クラスの平民に聞いたんだけどぉ、あそこは貴族と平民の上下関係が厳しいみたいだよぉ」
「そんな……せっかく、お互い歩み寄れるチャンスなのに」
「結局、上級生の意向に左右されるのかもしれんな。私たちは運が良かった——ネイト、問題が止まっている」
「あ、ごめん。——クツマ」
ネイトは問題を出しながらも、ヴィリーが自然と「運が良かった」と言ったことに気づいた。そう、運が良かったのだ。自分たちは黒鋼クラスで。
でも——ゴドバルトたちはそう考えていないのかもしれない。
貴族は貴族として幅を利かせたいのかもしれない。
ネイトと勝負したケルヴィンなんかは、複雑そうな顔で距離を置いているのだが、それでもネイトに話しかけることはない——「次また再戦」なんて言っていたのに。
走りながらヴィリーがぽつりと言った。
「……しかし、蒼竜クラスから聞いた話はほんとうかもしれんな」
「え? なにを聞いたの? っていうか蒼竜クラス?」
「ゴドバルトが出入りしているらしい——ああ、いや、これでもな、私も貴族家出身なので横のつながりはあるのだ。ちょっとな。ほんとにちょっとだけどな」
ヴィリーがあわてて言っているあたり、実際にかすかなツテなのだろう。彼の性格からして「ないものをある」かのように言うのはイヤなのだ。
「ゴドバルトくんが蒼竜クラスに……」
「……もしそれが事実ならさぁ、ミレッタとかリシャールも他のクラスに頼ってる可能性あるよねぇ。あ、そっか。そこで過去問を手に入れたのか」
「ありそうだな」
「だよねぇ……」
「…………」
「どしたの、ネイト」
彼らが他のクラスを頼ることは悪いことではない。
だけれど——なんだろう、このイヤな予感は。
「ううん、なんでもない。えっと、今誰の番だっけ?」
「私だ。——クツマは神の母にしてイクロスの妻。ふたりが天地創造したと言われている。ダニー、ではクツマとイクロスの二柱を祀った神殿は我らが王国にいくつある?」
「えぇっ!? なにその問題!」
ネイトは首を横に振る。
イヤな予感があろうとなかろうと、もう試験まで日にちがない。自分たちはやれることをやるべきだ——。
* ミレッタ=アーチェリア=ネーベルブルク *
ミレッタは調子に乗っていた。
この学園に入学して早々鼻っ柱を折られ、黒鋼寮の女子寮ではオリザという頂点を相手にへーこらしなければならず、散々な思いをしてきたのだが——そんなことでへこたれるようなミレッタではないのである。
強くなりたいとは思う。
だが、ミレッタは努力が嫌いだった。
毎朝の素振りはもとより、森への狩りがもう絶対に無理だった。汚れるし、小さな傷もいっぱいつく。大体、女子寮のオリザも森に行くと言っているわりにいつもこぎれいなのだから絶対行っていないに違いない。だったら自分も男子をこき使ってやろうとミレッタが考えるのは当然だった。
「あ、オリザ先輩、おはようございますぅ〜」
「ん。おはよ」
寮では適当に従うふりをしておけば大丈夫だ。
寮から一歩外に出るや、
「けっ。なにが『ん。おはよ』だよ! 男爵家のくせにお高く止まっちゃって!」
「そうですよぉ、ミレッタさんの家に比べたら小さい貧乏男爵家のくせに」
「ね、あの暴力女!」
いったんは黒鋼クラスの上下関係が決まったものの、こうなってしまうのである。
それはミレッタが性悪なのではなく、彼女がこれまでに経験してきたすべてが「貴族」というシステムの内側に成り立っているからだ。
「あ、ヨハンナ先輩だ!」
遠目に黄槍クラスの女子を見つけたミレッタはそちらへと近づいていく——すると向こうも気づいたようでこちらに手を振った。
黄槍クラス3年で金髪をゆるやかに結っている女子生徒である。黄槍クラスのシンボルである黄色のリボンはジャケットの胸ポケットにスカーフのように入れているが、そのリボンを押し上げるほどに大きな胸を持っている。
「あら、ミレッタちゃん。おはよう」
「おはようございますぅ」
さっきのオリザへの挨拶もだいぶしなを作っての媚びたものだったけれど、ヨハンナに対しては輪を掛けてすごかった。これにはミレッタと同じグループの2人も引き気味だった。
ヨハンナは同じ子爵家で、実家同士もつながりがある。
ヨハンナをこのロイヤルスクールで見かけ、声を掛けたことでミレッタは息を吹き返したと言っていいだろう。
「ヨハンナ先輩! 去年の過去問ありがとうございましたぁ。めちゃめちゃ役に立ちますぅ。アタシたち、全然違うところ勉強してたから……」
「あら、そうだったの? 黒鋼クラスの教え方はやっぱりダメね。テストの範囲くらいちゃんとしなきゃ……毎年同じ範囲なんだから」
「ヨハンナ先輩頼りになるぅ!」
「いいのよ、これくらい。私たちの仲じゃない?」
「はい!」
ミレッタはにっこにこだ。
ヨハンナが自分に親切にしてくれることはもちろん、彼女が黄槍クラスだというのもいい。
(ゴドバルトは蒼竜クラスに出入りしてるっていうけど、あんな筋肉ダルマがいっぱいいるところはイヤよ。リシャールは碧盾クラスだっけ? 平凡な男!)
黒鋼クラスの1年生から見ると、黄槍クラスはアイドルだ。
ミレッタはヨハンナにしっかり媚びを売って、離れていく。
「ね、アンタたち、アタシについてて良かったでしょ?」
「はい! ミレッタさんがいれば安心ですねぇ」
「過去問もしっかり対策できましたし」
「ふふーん」
鼻高々でミレッタは去っていく——その後ろ姿をヨハンナが見ていたのには彼女は気づかなかった。
「……バカな子」
そう、つぶやかれたことにも。
* ゴドバルト=アクシア=ブランブルク *
ゴドバルトは蒼竜クラスの訓練場——の外に立っていた。場内では蒼竜クラスの生徒たちが武技のトレーニングに励んでいるのだが、ゴドバルトは外である。
「うむ、今日も来たか。その忠誠心やよし」
ゴドバルトだけでなく、彼のグループ全員が訓練場の外に立っていたのだが、そこへやってきたのは蒼竜クラスの5年生だった。最高学年の5年生ともなると、かなりの体格差ができるのだがゴドバルトも負けていない。ゴドバルトだけ、だが。
「……先輩、そろそろ俺たちもトレーニングに参加したいです」
ゴドバルトがここに来ているのは、蒼竜クラスの——武で鳴らす蒼竜クラスのトレーニングに参加するためだった。
「ああ、わかっている。だが今日も今日とてスケジュールが詰まっておってな。空き時間を調整してやるからそれまで待っていろ」
「…………」
「なんだ、信じられないのか? 我らは同じクラウンザード第1王子殿下を支持する仲間であろう?」
「……はっ、おっしゃるとおりです」
「空き時間がくれば連絡すると言っているだろう。それまでここにおれ。時間を持て余すなら統一テストの対策をするのだ」
ばさりと紙の束を押しつけ、蒼竜の先輩は去っていった。
「……ゴドバルトさん、ほんとに俺たち稽古つけてもらえるんですかね?」
仲間のひとりに聞かれたが、ゴドバルトには答えがなかった。
黒鋼クラスに配属され、初日にスヴェンにボロ負けした。翌日も負けた。なんとかしてスヴェンに勝ちたいと思ったが、毎朝の素振りと森での狩りをしていてスヴェンに追いつける気がまったくしなかった。
そんな折り、蒼竜クラスに声を掛けられたのだ——ゴドバルトの実家であるブランブルク家は熱心な第1王子派閥である。第1王子の影響が強い蒼竜撃騎士団の下部にある蒼竜クラスはゴドバルトに注目していたらしい。
——素振りに狩り? そんなの、黒鋼2年の嫌がらせだろう。我らについてくれば蒼竜の最上級のトレーニングをしてやる。
そう、彼らは言った。
その言葉はゴドバルトにとって魅力的に聞こえたし、ネイトに負けたケルヴィンも乗り気だった。「平民には二度と負けない」と息巻いている。
だが、蒼竜クラスに出入りして数日経つが——一度もトレーニングなんてしていない。訓練場の外で過去問をやっているだけだ。
「まぁ、待つしかないっすよね……どっちみち統一テストが先だし——」
と仲間が言ったときだった。
「——オオオオオオオオッ!!」
すさまじい声とともに、訓練場の壁が揺れるほどの衝撃が走った。
びくりとしてそちらを見ると、
「——ぬるい!! ぬるすぎる!! こんなもので白騎クラスに勝てるか!!」
誰かが叫んでいる。
それに応じて複数の声が上がるが、
「——やかましい! 全員掛かってこい!!」
と声がかき消し、直後、ワァァと喚声が上がった。またしても衝撃で訓練場の壁が揺れる。
「な、な、なにが……」
どんな恵まれた肉体を持っていても驚くものは驚く。ゴドバルトが肩をすくませてそちらを見ていると——沈黙が訪れた。それから、ガラッ、と屋外へと続く扉が開いた。
「ひっ」
思わず声が出た。
出てきたのは、汗だく、身体のあちこちに傷を作って血を流している男だった。手にしていた訓練用の鉄剣が禍々しく見える。
ゴドバルトよりも背は低く、細い身体だ。それでもケルヴィンたちよりはずっと均整の取れた体付きだ。まるで戦場に赴くためだけに鍛えているかのような。
燃えるような赤い髪を後ろになでつけていたが、それは乱れており、鋭い目でこちらを見る——噛みつく先を探している狼のような目だった。
ゴドバルトたちは、動けず、凍りついた。
「……なンだァ……てめェらは……」
すさまじいオーラだ。ゴドバルトが「絶対この先輩は人を殺したことがある」と直感してしまうほどの殺気だ。
「そのパーカー……黒鋼かァ?」
ゴドバルトたちが黒いパーカーを着ているのに気づいたようだ。彼はつかつかと歩いてくると、ゴドバルトが手にしていた紙の束を奪い取って中身を数枚読んだ。
「……おィ……こりゃ、なンだ?」
「そ、それは、統一テストの過去問であります!」
軍人のような返答とともに背筋がピンと伸びるゴドバルトたちである。
「バカかァ?」
「……は?」
「こんなもん、範囲じゃねェよ」
「で、ですが、これは蒼竜クラスの先輩からいただいたもので……」
「——チッ」
「ひぃ!?」
舌打ちがあまりにも重く聞こえたのでゴドバルトたちは小さく悲鳴を上げてしまう。
「……つまらねェ真似しやがって……いいかァ、この過去問はウソっぱちだ……」
「う、ウソ!?」
「ソーンマルクスに聞け……いいな」
「で、ですが、私はブランブルク伯爵家の子息であり」
「あァ?」
「も、申し訳ありませんッ!」
再度直立不動になったゴドバルトたちを置いて、彼は訓練場へと引き返していく。「おィ! 誰だァ! ウソの過去問で罠に仕掛けようとしたクソ野郎はァ!」という叫び声が響き、どたばたと足音が続いた。
「ゴ、ゴドバルトさん、いったん帰りましょう!」
「あ、ああ……」
「アイツ、絶対人殺してますよ!」
「俺もそう思う」
ゴドバルトたちは一目散に逃げる。
怖かった。あんな怖い先輩がいるとは知らなかった。
(だが……それよりも、過去問だ!)
ゴドバルトは背中に冷たい汗をかいていた。
「あの過去問……ウソっぱちだと言われたな?」
「う、うん、俺たちもそう聞きましたよ」
ケルヴィンが言うと、他の仲間もうなずいた。
「だがミレッタやリシャールが手に入れた過去問も同じ内容であった。違うか?」
「違わないっす。同じ内容でした。『一般公開されている内容とは別の範囲の履修が必要になる。教師ではなく、生徒が授業をしている黒鋼クラスは知らないだろう』って言われたことも一緒でしたよ!」
そう、そのとおり。
さすがにテスト範囲と違う内容の過去問を渡されただけならゴドバルトだって中身を疑うが、ちゃんと理由があった。さらにミレッタやリシャールが受け取った過去問も同じだった。入手先は違うのに、である。
だから、蒼竜クラスの先輩は正しいと信じた。
それを真っ向から否定された。
「……あの先輩、ヴァントール様ですよ」
誰かがぽつりと言った。
「あ、あれがヴァントール様!? 実力派のハーゲンベルク侯爵家の!?」
ゴドバルトは震えた。
第1王子派閥の中枢にある侯爵家で、ゴドバルトのブランブルク家が逆立ちしたってかないっこない貴族家だ。
「ハーゲンベルク侯爵家のヴァントール様がそうおっしゃるなら、これはニセモノの過去問なのかもしれん……」
皮肉なことに、第1王子派閥の貴族の先輩に踊らされたゴドバルトは、第1王子派閥の権威によって自分の間違いを自覚することになったのだった。
「だ、だけどさ、どうしてニセモノの過去問なんて渡されたんですか? おかしくないですか? ミレッタも、リシャールも間違いだってこと?」
「わからん……」
「……ソーマ先輩に聞いてみます?」
ケルヴィンに聞かれ、ゴドバルトは渋面を作った。
「……今さら聞けるか」
ここに来てゴドバルトの、貴族としてのプライドが首をもたげる。いくら先輩であったとて、平民のソーマに教えを請い、あまつさえ自らの非を認めるなどできるはずもないのだった。
「だが……ミレッタとリシャールには話をしよう」
それから2日。
こうして黒鋼クラス1年は、初めての統一テストを迎えることになる。
不穏な空気のまま、統一テスト当日へ。





