万博後 ― 婚約の告白と、僕の空虚
誤字脱字を修正しました。
1989年、横浜。
昭和が終わり、平成が始まった年。
大学生だった僕は、横浜万博の“24時間ゲート警備”という
奇妙で刺激的なバイトに飛び込んだ。
そこで出会ったのは——
暴走族上がりのイケメン、
英語も暗算も最強の謎の男、
競馬と風俗に人生を捧げる元自衛官、
そして板前修行中の寡黙な兄貴肌。
事件、恋、喧嘩、火事、ダフ屋、二股、友情。
半年間のすべてが、僕の価値観をひっくり返した。
これは、実在の横浜万博を舞台にした
“青春ノンフィクション小説”です。
万博が閉幕した後も、僕たちの警備は続いた。
しかし、それはただの“退屈な警備”だった。
開幕前はコンパニオンたちの研修があり、
開幕中は朝と夜の通勤のコンパニオンがいた。
閉幕後は業者のトラックばかりだ。
バイト代は変わらずもらえたが、何の楽しみもなかった。
***
10月半ば、直子さんと久々にアウトドアで会った。
前回の8月は映画を観て、アウトドアでご飯を食べて、そのままホテルに行った。
そのあと僕は久美と新島旅行に行き、さらに洋子ちゃん事件があり、直子さんとは連絡が取れなくなっていた。
万博最終日に直子さんが声をかけてくれたので、今日会うことになった。
しかし、ホテルに行ったあの日とは明らかに、僕の直子さんへの気持ちは変わっていた。
あの時の直子さんは、3歳年上で、未知の存在だった。
けれど今は違う。一度だけとはいえ、僕は直子さんを“知っている”。
洋子ちゃん事件で、もう話せないかもと一度は諦めた。
久美がいるから、直子さんはいなくてもいいかもと思ったこともあった。
だから、たわいもない話をした後、僕はついこんな質問をしてしまった。
「直子さん、本当は彼氏いるでしょ?」
彼女は少し驚いた顔をして答えた。
「うん。きみもいるでしょ?」
予想していた答えだったが、同じ質問を返されるとは思わなかった。
「いないよ」
「嘘だ」
直子さんは僕の目を見て言った。
結城さんの言う通りだ。
女の子は嘘を見抜く。
少しして、僕は観念して言った。
「……いる」
「やっぱりね」
男は嘘が下手だというのは本当かもしれない。
しばらく二人とも黙っていた。
僕はこの先どう展開させるべきか迷っていた。
僕の本音は、久美にバレずに直子さんとも続けたい。
あまりにも都合がいいかもしれないが。
それとも——。
いや、ちょっと待てよ。
直子さんの「彼氏いる」も嘘かもしれない。
自分が嘘つきだと、相手の言葉も信じられなくなる。
「知ってる? 特別な時に知り合った二人は長続きしないって」
「え、何それ?」
「横浜万博って、一瞬のお祭りだったのよ。そこで私は君にナンパされた。わたしもなんとなく君について行った」
彼女の顔を見ると、目が合った。
僕は目をそらした。
「私、婚約してるんだ」
——はぁ?
どうしようもなかった。
しばらく黙っていると、彼女は黙って席を立ち、店を出ていった。
僕は一人取り残され、ぬるくなったビールを舐めていた。
婚約が本当か嘘かも、どうでもよかった。
あの日の僕は、ただ流されるしかなかった。
***
10月末の本当の最終日。
夜勤明けの昼過ぎ、僕、結城さん、住吉さん、藤井さんの4人で崎陽軒2階の詰所に集まり、解散会を開いた。
半年の思い出話をした後、順番に今後の予定を話した。
「圭子ちゃんに言ったよ。“付き合ってください”って」
結城さんが言うと、住吉さんが「で?」と聞く。
「オッケーでしたよ」
結城さんは嬉しそうだった。そして珍しく真面目な顔で続けた。
「実は俺、これから実家の床屋継ぐんだけど、お客さんって全員男でさ。今回のバイトは嫁探しのつもりもあったんだよね。この先ずっとオヤジたちの髪切って、ひげ剃って……」
少し間を置いて、
「はさみとかひげ剃りって、慣れてくると手に職がつく感じでさ。苦じゃなくなる。でも嫁探しって難しいんだよ。今回の万博のバイトがラストチャンスかもって思ってた」
へぇ、そうだったのか。
「俺、月一で髪切りに行きますよ」
僕が言うと、結城さんは笑った。
きっと一年後には「結婚するんだ」と言っていそうだ。
***
「住吉さんはこの先どうするんすか?」
「おれは妹が専門学校卒業して就職したら、自分の店持つよ。そのために金貯めて、板前の技術や店のやり方教わってる。おまえらと違って遊ぶ余裕はねえし、嫁探す暇もねえ。おんぼろフィアットをかわいいとか言って修理する金もねえ」
しばらく誰も話さなかった。
重い空気が流れた。
複雑な事情があるのは分かるが、僕には助言もできない。
「一生修行で、自分の店なんて夢みてーな話だけどな」
「分かんないっすよ。住吉さん、有名な板前になるかもしれない。そういえば住吉さんの料理食べたことないですよね。今のお店どこですか?」
「バーカ、おまえら来たら雰囲気悪くなるし、和食の料亭って高いんだぞ。そこらの居酒屋じゃねえ。でももし店持てたら、おまえら招待してやるよ」
結城さんはどんなにヤンチャでも、親の仕事を継げる。
住吉さんは努力して、自分で未来を切り開かなければならない。
応援したくなるが、現実は厳しい。
***
藤井さんはドモリながら言った。
「僕は45歳。昨年自衛隊辞めた。自衛隊はつらかった。警備員は楽だ。警備員の正社員になって、競馬しようと思う。たまに競馬勝ったらソープ行って、居酒屋行って酒飲む。結婚はあきらめた。いいでしょ」
「ま、それも人生だよな」
住吉さんが言った。
藤井さんの人生を想像した。
ドモリがあり、自衛隊はつらかったのだろう。
結婚もせず一人で生きていく覚悟は、僕には想像できない。
けれど、誰も藤井さんを否定できない。
そんな権利はない。
この4人で「それもいいね」と言い合える関係が、なんだか心地よかった。
***
「ところで藤井さん、ずっと疑問だったんだけど……俺たちの馬券、本当に買ってた?」
住吉さんが聞くと、藤井さんはドモリながら、
「買った時もあったけど、当たらないと思った時は……ノミ屋行ってなかった」
と正直に言った。
「ま、今となってはどうでもいいけどな。ノミ屋も同じかもしれない。当たりそうなレースはちゃんと記録して、外れそうなら売り上げくすねてるかもな」
「ところで大学生の兄ちゃんはどうするんだ?」
住吉さんが僕に振ったが、結城さんが割り込んだ。
「大学行って、合コンして、卒業したら大企業入って、いい給料もらって、結婚して、子供作って……みたいな人生なんだよな」
どこか棘のある言い方だった。
大学生って、こう見られているのだろう。
「まだ大学2年だから、卒業まで2年あるし、就職とか会社とか全く考えてない。何か面白い仕事、万博みたいな誰も経験したことない仕事をしたいと思ってるけど、具体的にはまだ……この2年間で探そうかな」
歯切れの悪い言葉になってしまった。
***
お互い連絡先を交換し、別れた。
半年通った崎陽軒ビルも、忘れられない場所になった。
本当はパビリオン警備のバイトもしたかった。
東口ゲートの24時間警備は地味だった。
でも、いろんな事件があり、いい仲間に出会えた。
ついに僕たちの横浜万博は終わった。
読んでいただき、ありがとうございます。
横浜万博での半年間は、僕の人生を大きく変えた時間でした。
当時の空気、匂い、人間関係をできるだけそのまま描きました。
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