久美と新島
台風のおかげで7月・8月の入場者数が大きく落ち込んだため、万博協会は65歳以上の入場を無料にしたり、15万枚の無料招待券を配布した。そのおかげで9月に入ると入場者数が爆発的に増えた。最終的に9月の入場者数は全体の3分の1を占めた。
桜木町駅のゲートは大混雑となり、横浜駅から東口ゲートを通過して入場する長い列が、僕たちの横を延々と通過していった。
***
そんな9月上旬、僕はバイトを休み、久美と一泊二日で新島に行った。
二人とも実家暮らしだったため、こんな旅行は特別なイベントだった。
もちろん、彼女は「女友達と旅行に行く」、僕は「男友達と旅行に行く」と親に嘘をついた。
東海汽船のフェリーに乗り、島に着く。9月とはいえ、まだ夏の暑さが残っていた。
島では原付をレンタルして観光した。
久美は黒のビキニの上にTシャツと短パンを着てバイクに跨っていた。
日焼け止めを塗り合い、サーファーのいない静かなビーチで二人で泳いだ。
写真もたくさん撮った。海も太陽も、そして彼女もまぶしかった。
ホテルで晩御飯を食べ、すぐに部屋に戻った。
部屋で二人になると、久美から“例の匂い”がしてきた。
いつものように、一瞬あの中学の女の子を思い出した。
***
夜11時頃、僕は「星を見に行こう」と久美を誘った。
近くの浜辺のコンクリートのひな壇に座り、空を見ると、たくさんの星が光っていた。
「こんなたくさんの星、初めて」
「ほんと、びっくり」
僕はそのまま寝転がって夜空を眺めた。
「あっ、流星!」
「見えた、見えた。あっ、あっちも」
しばらく二人とも黙って夜空を見ていた。
少しして、久美が突然僕に無言で覆いかぶさってきた。
両膝をついて僕にまたがり、両手を僕の頭の左右につく。
彼女の髪がサラサラッと僕の顔の周りに落ちてきた。
まるで髪のカーテンが僕の頭を包むようだった。
彼女の顔は髪で光が遮られ、暗闇の中にあり、見えない。
僕は彼女の目があるであろう場所を探すように視線を動かした。
きっと彼女は僕の顔を薄暗い中でも見えていたに違いない。
彼女の髪の匂いに包まれた。
暗闇の中で、彼女は僕の目を覗き込み、何かを探っているようだった。
僕は一瞬、直子さんのことを探られているのかと不安になった。
絶対にバレているはずはないのに。
しかし、少しして彼女のおでこが僕のおでこに触れ、
鼻の頭同士が触れ、
柔らかい唇が僕の唇に触れた。
彼女はさっき僕の顔や目から何を読み取ったのだろうか。
***
そのあと二人は無言で横に並んで夜空を見ていた。
夜の空と海は真っ暗で、星たちが強く輝いている。
目が慣れると、小さな弱々しい星までもがよく見えた。
僕は彼女の手を握った。
彼女も握り返してくれた。
僕の不安は少しずつ消えていった。
「ねぇ、わたしたち高校卒業して2年目じゃない。あの頃から付き合ってる人たちって、もうわたしたちだけみたいよ」
「えっ、嘘だ」
「ほんと。自然消滅とか、別々の大学行って好きな子ができて別れたりとか」
なぜ彼女がそんなことを言うのか。
さっき何かを見透かされたのだろうかと、また不安になる。
***
僕は高校2年の頃を思い出した。
久美は同じクラスで、気になる女の子だった。
かわいくて、結構モテていた。
何人かの男の子が告白して振られたという噂もあった。
だけど僕は、よく彼女と目が合った。
目が合うと、彼女はすぐにそらした。
僕は「もしかして脈があるのかも」と思っていた。
文化祭の片付けが終わった夜、学校から駅までの帰り道、久美が一人で歩いていた。
僕と一緒にいた友人が自然に話しかけ、三人で歩いた。
駅に着くと友人は反対方向の電車に乗り、久美と僕は二人きりになった。
急に話が続かなくなり、さっき話した文化祭の話を繰り返した。
つまらないやつと思われたくなくて、思い切って言った。
「あ、あのさ、今度映画でも見に行かない?」
久美はびっくりした顔をした。
そして周りを見渡し、電車が来るのを確認したのか、少しして、
「いいよ」
と答えた。
やっぱり脈があるという僕の予感は当たっていた。
その後、何度かデートして、付き合い始めた。
***
我に返り、僕は言った。
「俺はそんなことないよ。ずっと久美と付き合っていたいと思ってるよ」
「わたしも。でも、分かんないよ。別れた人たちも昔は別れるなんて思ってなかったんだから」
「これから先は分かんないか」
僕は久美の手を強く握った。
「タイムマシンで将来を覗いてみたいね」
直子さんにも言った言葉だった。
「見たくないな」
久美も同じことを言ったので驚いた。
「見ちゃったら、こうしていられないかもよ」
「見たら安心できるかもよ」
そう言って久美を見ると、うれしそうに笑っていた。
久美を大事にしなきゃと思った。
***
新島から帰り、警備のバイトに戻った。
昼間は入場者が通過するので忙しいが、夜、人通りがなくなると、僕と結城さんの“報告会”がゲートで行われるのがお約束だった。
「新島どうだった?」
「9月の平日だったから人が少なくて良かったよ。泳いでるの僕ら二人だけで、プライベートビーチみたいだった」
「その彼女、高校から付き合ってたんだよね?」
「そう」
「共学はいいな。俺、男子校だから、族の集会しか出会いがなかった」
僕も結城さんの世界は想像できなかった。
「で、彼女と直子さん、どっちがいいの?」
痛いところを聞いてくる。
「どっちかと言われれば久美。でも直子さんとも隠れて付き合っていきたい。性格も、あっちも全然違うし」
「お、おまえも分かってきたな。俺も洋子ちゃんと圭子ちゃんとやっちゃった。このバイトしてると金入るから二人と遊べるよな。でも10月1日で万博終了。その後は家の床屋やらなきゃだから、一人としか付き合えないな」
どこまで本気か分からないが、結城さんは残念そうだった。
「僕もそろそろ真面目に学校行って単位取らないと。夜は塾のバイトくらいしかできなくなりそう」
「金の切れ目が縁の切れ目だったりしてな」
昼間はコンパニオンやお客さんが通るので、こんな話はできない。
夜中のひと気のないゲートだからこそ話せる。
僕はこんな夜中の会話が好きだった。
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