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幕間 有識者会議3

六月の第三会議室で、

隆之の向かいの椅子に初めて人が座っていた。

三十代の男だった。

選定の対象外となった人たちの、団体の代表だという。

名札には庁の書式どおり「関係団体代表」とだけ印字されている。

背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いていた。


男女別居住区の見直しに関する有識者会議、第三回。

委員たちの手首に同時に資料が浮かんだ。


〈資料三 制度の対象外となった事例〉

  選定の対象外となった成人:約四パーセント

  双子の出生:年間千二百件(出生枠の超過として処理)

  選定の辞退:年間十二件


千二百という数字は、隆之の会社の月報にも載る。

載るのは数字の横の、前年比の矢印だけだ。



職員が資料を読み上げた。

「ハカリは最大限、人権を尊重するように作られています。

ただ、国全体として最大公約数をとる以上、

どうしてもこぼれ落ちる方が出ます。

たとえば双子については、出生枠の超過として処理を……」

「処理、という言葉は」

向かいの席の男が静かに言った。

「やめてもらえませんか」

職員の指が資料をめくる途中で止まった。


「私はその四パーセントの一人です」

男は自分の左の手首を、机の上に置いた。

「十八の誕生日の朝、ここには何も届きませんでした。

なぜ届かなかったのかも、届きませんでした」

男の手首は何も光っていなかった。

「処理、というのは、

私たちが毎朝、自分のことを考えるときに、

いちばん使いたくない言葉です」


職員は頭を下げた。

「失礼しました。訂正します」

訂正は議事録の末尾に、注記として一行だけ残る。

本文の「処理」は、そのまま公開される。

座長は手首の時計を見て、資料を先に進めた。

予定より四分遅れていた。



通知の仕組みには、理由を書く欄がない。

名前が届くか、届かないか。それだけだ。

「理由を出さないのは、ハカリの都合ではありません」

隆之は向かいの男に言った。

「人間の側がそう決めました。

理由を書けば、理由そのものがその人への評価になる。

何も届かないより、理由が届くほうが深く傷つく場合がある。

当時の検討会の結論です」

言いながら、隆之はそれが自社の想定問答の三番と、

一字一句同じであることに気づいていた。

「評価されないことも、評価です」

男は自分の手首を見たまま言った。

「理由がないと、毎朝自分で理由を作ります。

自分で作る理由はたいてい、いちばんひどいものです」

それに答える想定問答もあった。四番だ。

隆之は、今度はそれを読み上げなかった。



「辞退の十二件について、うかがいたい」

社会学者が言った。

「断った人は、そのあとどうなるんですか」

「制度上、辞退はできます」

職員が答えた。

「辞退のあとの扱いは、個別に判断されます」

「個別に、とは」

「個人の情報になりますので」

社会学者は手首の資料から目を上げずに続けた。

「個人の話はしていません。件数の内訳です。

辞退のあとに、もう一度名前が届いた人は何人ですか。

ゼロなら、ゼロと言ってください」

「その項目は、集計しておりません」

「では、集計の項目に加えることを、

この会議の意見として記録してください」

座長が書記役の職員にうなずいた。

項目に加えるかどうかを決めるのは、この会議ではない。

机のまわりの全員がそれを知っていた。


「辞退した人を、一人知っています」

向かいの男が言った。

「十年前に、届いた名前を断りました。

理由は私にも言いませんでした」

「その方は、今は」

「共住区で一人で暮らしています。

次の名前が届くのか、届かないのか。

本人も知らないまま、十年待っています」

男は机の上の手首を引っこめた。

「断ったらどうなるのか。

誰も知らないから、誰も断らない。

年に十二件というのは、そういう数字です」



「九割以上が満足している制度です」

医師が言った。

「断る理由がない、ということでもあるでしょう」

「断れることを子どもたちは知りません」

教育者が言った。

「寮では代々、噂が流れています。

男子寮では検閲に弾かれすぎると、十八でハズレを引く。

女子寮では検閲に弾かれすぎると、結婚を認めてもらえない」

何人かの委員が苦笑した。

「誰が流しているのかは、わかりません。

先輩が後輩に言う。毎年です。

子どもたちは十八の日を、試験の合格発表のように待っている。

落ちたら終わりだと思って」

教育者は向かいの男を見た。

「そして、本当に何も届かない子がいる」

男はうなずいた。

「ハズレでも、届いてほしかった。

十八の朝、私が思ったのは、それだけです」

男は自分の手首を見下ろした。

「その日は一日じゅう、ここを見ていました。

夜の十二時まで。

日付が変わって、何も届いていないのを確かめてから、寝ました」



「辞退の扱いを広く知らせれば」

医師が言った。

「断る人は増えるでしょう。増えれば、選定そのものが揺らぐ。

十八の子どもが一度の気まぐれで断れる仕組みが、

本当に子どものためですか」

「気まぐれかどうかを決めるのは誰ですか」

社会学者が言った。

「私です。少なくとも、診察室では」

医師は間を置かずに答えた。

「十八の翌朝に断りたいと言って来る子は、毎年います。

三日眠れずに来て、一週間後に取り下げに来る。

五年後に、あのとき止めてくれてよかった、と言いに来る。

私はその子たちの顔を、数で知っているわけではありません」

「取り下げなかった子の顔は」

「……そちらは、診察室には来ません」

医師は言ってから、自分の言葉の意味を確かめるように、

腕を組みなおした。



会議のあと、庁の長い廊下を歩きながら、

隆之は娘のことを考えていた。

娘の十八は、来年の秋だ。

その朝、あの子の手首に何も届かなかったら。

考えたことのない問いだった。


ハカリの選定は満足度が九割を超えている。

家でも何度もそう言ってきた。

九割を超えている、というのは、

一割近くがそうではない、ということでもある。

隆之の会社の報告書では、その一割は「改善余地」と呼ばれている。

来年の秋、娘がその余地に入ったら、

自分はそれを何と呼ぶのだろう。


手首が震えた。

妻からだった。


〈アヤ、月末の陸上の大会に、写真部のお友達の手伝いで行くんだって〉

〈朝霧の競技場だから、見に行こうかって聞いたら〉

〈来なくていい、って〉


その土曜日、隆之の予定表には、もともと出張が入っていた。

行けない、と妻に返す手間が、一つ省けた。

そう思った自分に気づいてから、

隆之は廊下の窓のない壁の前で立ち止まった。


来なくていい、と言える娘が、

来年の秋に十八になる。


〈そうか〉と、一行だけ返した。


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