幕間 有識者会議2
四月の終わりの第三会議室では、空調だけが律儀に働いていた。
男女別居住区の見直しに関する有識者会議、第二回。
議事は三項目、所要九十分。
発言はすべて記録され、公開されるのは要旨だけだ。
隆之の向かいの席は前回に続いて空いていた。
欠席の理由は資料のどこにも書かれていない。
〈資料一 交流掲示板の利用状況〉
「この四月から、高校二年生を対象に始めました」
教育者が報告した。
「一か月で書き込みは全国で二千万件を超えています。
大きな問題は起きていません」
空中に利用のグラフが浮かんだ。
四月一日にまっすぐ跳ね上がって、
そのまま高いところで揺れている。
「相互承認まで進んだのは、そのうちの一割弱です」
人口学者が手首の数字を読んだ。
「個別のやりとりは、一日におよそ三十万通」
娘もこの四月で高校二年生になった。
グラフのどこかに、あの子の書き込みもあるのだろうか。
何を書いているのかは知らない。
隆之の立場なら、調べようと思えば、
調べられないこともない。
調べたことは一度もなかった。
娘を信じているから、ではなかった。
委員が自分の家族の通信記録を開いた。
その一行がどこかの記録に残ることのほうが、
隆之にはずっと具体的に厄介だった。
「筋肉と焼きそばパンの話が多い、
という報告も上がっていますが」
職員が笑いをこらえながら付け足した。
会議室に小さな笑いが起きた。
職員は手首の資料をめくった。
「四月二日には、古い文章の続きを問う書き込みが、
全国の話題の一位になりました。
男子の回答は、かつ丼が八十件ほど」
いちばん端の席で、元館長が顔を上げた。
「続きを言えた子は」
この日、元館長が口を開いたのは、それが最初だった。
「一人だけ、いたそうです」
職員の答えに、元館長は「そうですか」とだけ返し、
杖の握りを指で一度叩いた。
それきり手元の資料の次の頁を開いた。
隆之は手首の上で、その書き込みを開いてみた。
うたかた、という言葉が目に入った。
意味はわからなかった。
ハカリの記録にも、本文は残っていないらしい。
どこかで聞いたような響きだと思ったが、
それが何だったのかは、思い出せなかった。
「子どもたちは、ちゃんと話したがっているんです」
教育者が言った。
「もっと場を広げていけばいい」
「その前に、確かめたいことがあります」
社会学者が手を挙げた。
「掲示板の書き込みも、個別のやりとりも、
すべて検閲を通っていますね」
「広域通信文面改定審査演算機構を通ります」
職員が正式な名前で答えた。
「子どもたちは、別の名前で呼んでいるようですが」
職員が付け足すと、社会学者はうなずいた。
「知っています。男子と女子で呼び名が違う。
どちらも、大人には教えてくれません」
社会学者は職員を見た。
「十六歳の子が、『会いたい』と書く。
それを止めることに、どんな正しさがあるんですか」
「早すぎる約束から守るためです」
医師が言った。
「十八の選定より前に、子どもどうしが相手を決めてしまえば、
本人の将来の選択肢も、選定の公平さも損なわれる。
だから、異性への強い気持ちの表明を、
十八までいったん保留する」
「保留、ですか」
「止めているのは、言葉です。気持ちではない」
「言葉を止めれば、気持ちも行き場をなくします」
社会学者の声に角が立った。
「では、止められた言葉はどこへ行くんですか」
職員が手元の運用規程を開いてから答えた。
「送信されなかった文面は、
運用の改善のために、一定期間保存されます」
「誰が読むんですか」
「人間は、読みません」
「保存期間は運用規程で定めています。
期間の詳細は、非公開の別表になります」
職員の説明はそこで終わった。
保存先の基盤を納めているのは、隆之の会社だった。
人間が中身を開けない仕様にしたのも、
その仕様書に判を押したのも、隆之自身だ。
だから職員の答えが嘘でないことは知っている。
それ以上を知る権限は、隆之が自分で外していた。
「個別のやりとりは、一人一日一通に制限しています」
職員が話を戻すように言った。
「一日一通でも、人は結びつきます」
教育者はすぐに返した。
「寮の子たちを見ていれば、わかります。
一日一通しかないと、その一通を、
一日じゅう考えるようになる」
「その掲示板で」
医師がまた腕を組んだ。
「特定の相手と強く結びついてしまったら、
十八の選定はどうなるんですか」
教育者が医師を見た。
医師は視線を受けたまま続けた。
「十八になって、ハカリが別の相手を選んだら。
本人はそれを受け入れられなくなる。
受け入れられない結婚は、長続きしない。
それこそ、三組に一組が離婚していた時代に戻る」
「それは」
教育者は一呼吸おいてから言った。
「悪いことですか」
医師は腕を組んだまま答えた。
「その評価は、本会議の諮問の範囲外です」
人口学者が手首の資料をめくった。
「三組に一組の時代とは、比べものになりません。
ただ、受け入れられなかった、という区分は、
統計のどこにもありません」
「ないのか、数えていないのか」
社会学者の問いに、職員は「記録の定義によります」と応じた。
隆之は発言の順番が回ってこないことを、
資料の端をそろえながら確かめていた。
由紀子はハカリに選ばれて桐生の家に来た。
それを会議の席で一例にするのは、
どう計算しても、得にならなかった。
散会のあと、隆之は廊下でもう一度だけ書き込みを開いた。
〈その先、言えますか〉
返信は五百件を超え、〈正解者〉の印は一件だけだった。
記録に本文の残っていない文章の続きを、
どこかの十六歳が、そらで言えた。
どこで覚えたのか。
業務上の関心ではない、と自分に断ってから、
隆之は手首を閉じた。
朝食の席の話の種には、ちょうどいい。




