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目立つ子

始業式の次の朝、寮の玄関の通知板に新しい一枚が出た。


〈交流掲示板の利用について〉

〈節度ある利用を心がけましょう〉

〈話題を集める書き込みは、思わぬ誤解を招くことがあります〉


宛先は寮生全員。

名前はどこにも書いていなかった。


書いていなくても、みんな知っていた。

全国の〈今日の話題〉の一位が、

白萩のこの学年の誰かだということを。


通知板の前を通るとき、

何人かがわたしの背中を見た。

見られている背中は、なぜか自分でもわかる。


「気にしすぎ」とサクは言った。


「気にしてない」


「気にしてる顔」


サクの言うことはだいたい当たる。



宮内千尋は、二階のわたしたちの二つ隣の部屋にいる。


同じ学年で、同じ教室で、風紀係だ。

みんなはミヤと呼ぶ。

わたしはなんとなく宮内さんと呼んでいる。

宮内さんも、わたしのことを桐生さんとは呼ばない。

九条さんの友だちという顔で、少し遠くから見ている。


掲示板が開いた日の朝、食堂で、

「ゼロよりかつ丼のほうがいい」と言ったのが、宮内さんだった。

あれから四日たって、宮内さんの返信はまだゼロのままらしい。

本人は言わない。

言わないことが二階の全員に伝わっていた。



その夜、洗面所で宮内さんと並んだ。


六つある蛇口の、真ん中の二つ。

ほかには誰もいなかった。


宮内さんは歯ブラシに歯みがき粉をのせながら、

鏡の中のわたしに言った。


「目立つと、学年ごと見られるんだよ」


声は静かだった。

責める声ではなかった。

説明する声だった。

だからよけいに逃げ場がなかった。


「……もう出さない。個別のやりとりにしたから」


「見えないからいい、って話じゃないの」


宮内さんは蛇口をひねった。

水の音で、次の言葉が少し遅れた。


「うちの叔母さんね、朝霧の単身寮にいるの」


単身寮という言葉を、わたしは知っていた。

十八の日に手首に名前が来なかった人が暮らすところだ。


「叔母さん、学生のとき、いろいろ目立つ人だったんだって。

悪いことはしてないよ。

ただ、目立ったの」


宮内さんは歯ブラシを口に入れて、

しばらく動かしてから出した。


「今でも毎年、誕生日の朝に手首を見るんだって。

来るわけないのに。

来るわけないって、自分がいちばん知ってるのに」


鏡の中で、宮内さんと目が合った。


「目立ったから来なかったのかは、誰も知らない。

でも、そうじゃないって、誰も言ってくれないの」


わたしは何か言おうとした。

父の会社のことが喉まで来た。

来て、そこで止まった。

寮のアヤは、それを知らないことになっている。


「わたしは、ちゃんと選ばれたいの」


宮内さんはコップの水で口をゆすいだ。


「だから、桐生さんみたいな子が近くにいると、こわい」


初めて名字で呼ばれた。

責められたというより、

線を一本引かれたのだと思った。


宮内さんは歯ブラシをケースにしまって、先に出ていった。


わたしは蛇口を止めるのを忘れていた。

水が排水口に細く吸いこまれていった。


※


次の日の昼休み、サクにその話をした。


全部ではない。

叔母さんのことは言わなかった。

言っていいことか、わからなかったからだ。


サクはパンをかじりながら、しばらく考えていた。


「ミヤの言うこと、半分は正しいよ」


「……半分」


「残りの半分は、アヤがばかなの知ってて言ってる」


慰めているのか追い打ちなのか、わからなかった。

たぶん、両方だった。


マルは何も決めなかった。


その日の放課後、マルは新入生のためにまたマフィンを焼いて、

二階の廊下で一人ひとりに配った。

宮内さんの部屋のドアもノックした。


「一個ずつね」


宮内さんは少し驚いた顔で受け取った。

受け取って、「……ありがとう」と言った。


マルはわたしにも一個くれた。

同じ大きさだった。


みんながわたしの味方になるわけではない。

それでいいのだと思った。

いいのだと思うまで、少し時間がかかった。



その夜、消灯の少し前に、廊下で泣き声がした。


階段の横の、窓のところ。

新しい中学一年生の子が、膝を抱えて座っていた。

入寮してまだ一週間もたっていない。


わたしが近づいたのと、

反対側から宮内さんが近づいたのが、ほとんど同時だった。


二人とも止まった。

止まって、それから二人とも、その子の両側に座った。


わたしたちは互いには話さなかった。


その子はしゃくりあげながら、

お母さんの作る卵焼きの話をした。

甘いのかしょっぱいのかを聞いたら、

しょっぱいほう、と言って、また泣いた。


宮内さんはポケットからちり紙を出した。


「はい、ちーん」


慣れた手つきだった。

その子は言われたとおりに鼻をかんだ。


「明日、六時半起床だから」


宮内さんはその子の頭を一回だけなでて、立ち上がった。

わたしのほうは見なかった。

そのまま自分の部屋に戻っていった。


その子を部屋まで送ってから、わたしは自分の部屋に戻った。


仲直りをしたわけではない。

もともと、けんかをしていたわけでもない。

ただ、排水口に引っかかった髪の毛みたいに、

小さなものがひとつ残っていた。



ベッドに入って、手首を開いた。


〈佐藤〉との個別のやりとりの画面は、

ゆうべの一行のあと、まだ何もなかった。


承認を取り消すつもりはなかった。

一度もそう思わなかった自分が、ちょっとこわかった。


今日の一通を書いた。


書き終わって、読み返した。

三行目にこう書いてあった。


  あの答えを、まだ毎晩、読み返しています。


ばあやはたぶん、これを止めない。

止められるような言葉は、どこにもない。


わたしは送信前チェックに触れる前に、

その一行を自分で消した。


消したあとの手紙は、一行ぶん短くて、

そのぶん、よそゆきの顔をしていた。


送信した。


〈送信しました〉


窓ぎわのベッドで、サクの寝息がしていた。

二つ隣の部屋はもう暗かった。


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