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衝撃まで十八秒です

その週の木曜の夜は、衛星の回収日だった。


沢渡の南には川があって、川沿いの埋め立て地に、

衛星の回収場がある。

役目を終えた人工衛星を回収船が軌道から引き下ろしてきて、

最後はパラシュートと逆噴射で、ゆっくりそこへ降ろす。

月に何度かあることで、この街では誰も見上げない。


その夜降りてくるのは、〈かささぎ〉という観測衛星だった。


三十年働いた、と昼の校内放送が言っていた。

三十年前というと、俺の父がまだ本を出していたころだ。


十一時過ぎ、寮の部屋の窓から、南の空に赤いランプが見えた。


点滅しながら、ゆっくり降りてくる。


回収船の青白い噴射の光が、その下で小さく揺れている。


いつもと同じだった。

俺は窓を少し開けて、二月の冷たい空気を顔に当てながら、

なんとなくそれを見ていた。


ランプが、ひとつ増えた。


増えたのではなかった。


ひとつだったものが、ふたつに割れたのだ。


割れたふたつは、それぞれ別の向きに傾いた。

片方はすぐに見えなくなった。

もう片方は、赤い点滅のリズムが急に崩れて、

落ちる速さが変わった。


ゆっくりではなかった。


天井が鳴った。


部屋の照明が赤に変わって、落ち着いた女の声が言った。


「衛星の落下を検知しました。窓から離れてください。衝撃まで、十八秒です」


この街で聞く女の声は、だいたい機械のものだ。


十八秒というのは、思ったより長い。


窓を閉めて、カーテンを引いて、ベッドの陰にしゃがんで、

それでもまだ十秒ある。


隣の部屋で七尾が「え、これ訓練?」と叫んでいた。


訓練ではなかった。


カーテンの向こうが、一瞬、昼みたいに白くなった。


音は、少し遅れて来た。


腹の底を下から殴られるような、低い音だった。

窓ガラスがびりびりと鳴り、机の上のペン立てが倒れ、

本棚から本が一冊だけ落ちた。


父の本だった。


父の本は、一冊しか持っていない。


次の瞬間、照明が消えた。


部屋の赤い光も、廊下の明かりも、窓の外の街灯も、

全部いっぺんに消えた。


暗闇の中で、手首端末だけが青く光っていた。


〈回収場付近で、衛星が送電設備に落下しました〉

〈火災防止のため、沢渡地区の送電を停止しています〉


カーテンをめくると、南の空がオレンジ色ににじんでいた。


炎そのものは見えない。

川の向こうの低い雲が、下から照らされて、

脈を打つように明るくなったり暗くなったりしていた。


空気に、かすかに、焦げたような、

薬品のような匂いが混ざっていた。


非常灯が、廊下の手前から順番についた。


ドアのロックは自動で外れ、

手首の上に寮の見取り図と避難経路が浮かんだ。


誰も走らなかった。

走る理由がなかった。

AIは十八秒前に落下地点を割り出していて、

どの階段が生きているか、どこで靴を履けばいいかまで、

一人ずつ別々に指示してきた。

避難というより、荷物の仕分けに近かった。


点呼のとき、寮監が「けが人はゼロだ」と言った。


寮監は、なぜか泣きそうな顔をしていた。


避難指示が出たのは、それから三十分ほどあとだった。


〈落下した衛星から、有毒な燃料が漏れているおそれがあります〉

〈風下にあたる沢渡地区、白萩地区の住民は、共住区・朝霧へ避難してください〉


白萩は、川の下流にある女子居住区だ。


朝霧は、川を渡った上流側にある。


俺たちは無人のバスに乗せられた。

夜中の一時だった。


バスの中も暗かった。

誰もしゃべらなかった。


窓の外の沢渡には、明かりがひとつもなかった。

信号も、コンビニも、自販機も消えていて、

バスのヘッドライトが照らすところだけが、

白く切り取られて流れていく。


ふだんの夜は街灯のせいでよくわからなかった家々の形が、

黒い影になって並んでいた。


いつもの街が、いつも通り男しかいないまま、真っ暗なまま、

後ろへ遠ざかっていった。


橋を渡るとき、下流のほうに、オレンジ色の光が見えた。


回収場のあたりで、ドローンの群れが、

蛍みたいに小さな光を灯して、炎の上を旋回していた。


朝霧は、俺が十二歳まで住んでいた町だ。


バスが止まったのは、朝霧第二小学校の前だった。


俺の母校だった。



体育館の床には、光の線が引かれていた。


床に埋め込まれた照明で、

ちょうどバスケットコートのセンターラインのあたりを、

白い線がまっすぐ横切っている。

線の上には、腰の高さくらいまで、半透明の光の壁が立っていた。


手を入れるとすり抜ける。

すり抜けると、天井のスピーカーが注意してくる。


「男性の方は東側、女性の方は西側にお進みください」


線の向こうには、白萩から来たバスの人たちがいた。


四年ぶりに見る女子は、光の壁越しだとぼんやり白っぽくて、

水槽の向こうの魚みたいだった。

向こうからも、こっちはそう見えているのだと思う。


体育館は寒かった。


床のワックスと、古い埃と、配られた灰色の毛布の、

乾いた匂いがした。

吐く息が少し白かった。


七尾は毛布をかぶったまま、ずっと西側を見ていた。

誰かを探しているみたいな目だった。


「戸川。女子って、こんなに小さかったっけ」


「俺らがでかくなったんだよ」


「そうか」


七尾は納得したような、しないような顔をして、

毛布の中で膝を抱えた。


父からは、避難所に着いたころに短いメッセージが来た。


〈無事か〉

〈こちらは停電していない〉

〈本が崩れただけだ〉

〈崩れた本の山から、お前が小さいころ落書きした方丈記の文庫が出てきた〉


〈無事。そっち行けない。避難所から出るなって〉


〈知っている。寝ろ〉


父の文章は、本よりもメッセージのほうがうまい。


俺は昔からそう思っている。

宛先が一人に決まっているときだけ、

父の文章は、遠回りをしない。

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