焼きそばパン二個の恋文
読んでいただきありがとうございます。
近未来の恋愛を書いてみました。
長編を予定してますので、ぜひお付き合いください。
昇降口の電光掲示板には、毎朝、世界の人口が出ている。
七十九億六千百二十万四千百十三人。
昨日より少し減っている、はずだ。
どれくらい減ったのかは覚えていない。
毎朝見ているのに、昨日の数字を覚えている奴は、
たぶんこの学校に一人もいない。
数字の下には小さく「目標 四十億」とあって、
そっちは俺が入学してから一度も変わっていない。
靴を履き替えていると、後ろから肩をつかまれた。
「戸川先生。頼む」
金城だった。
柔道部で、首が太い。
朝いちばんに首の太い男に肩をつかまれると、
たいていのことは引き受けてしまう。
それに、こいつが俺を先生と呼ぶのは、
頼みごとがあるときだけだ。
「焼きそばパン」
「二個出す」
「内容による」
金城は左の手首を軽く振った。
手首端末が起きて、手の甲の上に、
便箋の画面が淡く浮かび上がる。
宛先は「九条さくら」。
その下に、小さく「小学校の同級生」とあった。
俺たちは十二歳でこの街に来た。
男子居住区・沢渡。
来た日から、見渡せる範囲に女は一人もいない。
コンビニの店員も、バスの運転手も、保健室の先生も男だ。
保健室の先生は元ラグビー部で、
擦り傷にはだいたい「唾つけとけ」と言う。
だから小学校の同級生は、俺たちにとって、
この世でほとんど唯一の「知り合いの女子」だった。
小学校の同級生にだけは、手紙を送っていいことになっている。
手紙はぜんぶ、検閲を通る。
正式には「広域通信文面改定審査演算機構」というらしいが、
そんな長い名前で呼ぶ奴はいない。
文面を改めるから、アラタメ。
誰が言い出したのかは知らない。
金城の下書きはこうだった。
さくらへ
元気ですか。
俺は元気です。
ずっと会いたいと思っていました。
四年前、卒業式の日に言えなかったことがあります。
俺は
そこで終わっている。
「ここから先が書けない」
「ここまでも無理だよ」
「なんで」
俺は横から指を伸ばして、送信前チェックに触れた。
手首端末が短く震えて、便箋の上に赤い文字が浮いた。
<送信不可>
<理由:不適切な表現>
<判定:告白の前置き>
<対象:会いたい>
<対象:言えなかったこと>
「前置きでもだめなのかよ」
「前置きがいちばんだめなんだよ」
金城は赤い文字を、穴があくほどにらんでいた。
それから「じゃあこれは」と言って、自分で打ち直した。
さくらへ
元気ですか。
俺は元気です。
顔が見たいです。
<送信不可>
<理由:不適切な表現>
<対象:顔が見たい>
「顔もだめなのか」
「顔はだめだろ」
金城は三回打ち直して、三回弾かれた。
四回目に「元気ですか。俺は元気です。」だけで送ろうとしたので、
さすがに止めた。
同じ相手に送れるのは、一日一通までだ。
元気の交換で一通使うのはもったいない。
「貸して」
金城の手首から便箋を自分の端末に移して、
俺は廊下の窓際に寄りかかった。
こういうのは、要するに、言いたいことを言わないで言う作業だ。
言葉を一枚ずつ剥がしていって、
剥がしたあとの形だけで、中身を伝える。
父親の仕事を横で見て育ったから、手順だけは心得ている。
手順を心得ていることと、それで何かが言えることは、
また別の話だが。
父は作家で、ここ十年まともに本が出ていない。
書いたものの半分は出版用のアラタメみたいなものに引っかかり、
残りの半分は、
引っかからないように書いたせいで、
何が言いたいのかわからなくなった。
本人がそう言っていた。
金城と九条さくらの小学校は、俺の母校とは違う。
でも共住区の小学校なんてどこも似たようなもので、
校庭の隅に鉄棒があって、春には桜が咲く。
俺は書いた。
さくらへ
元気ですか。
俺は元気です。
沢渡は、桜がまだです。
小学校の鉄棒のところの桜は、今年も咲くのでしょうか。
あれが咲くと卒業式だったので、俺はいまでも、
あの木を思い出すと何か言い忘れている気がします。
柔道は初段になりました。
チェックに触れる。
端末は震えなかった。
緑の文字が一行だけ浮かんだ。
<送信可能>
「……これ、どういう意味」
「そのまんまの意味」
金城は眉間にしわを寄せて、手の甲の上の文字を、
上から下までもう一度なぞった。
「桜の話しかしてねえじゃん」
「桜の話しかしてないから通るんだよ」
「……俺が書いたとこ、一個も残ってねえな」
「最後の一行は、お前の書き方に寄せてある」
「俺の書き方ってなんだよ」
「初段になりました、で終わる書き方」
金城は、怒ったものか迷っている顔で、首の後ろをかいた。
それから、
小さい声で、
「何か言い忘れている気がします」のところを読み上げた。
首の太い男が、朝の廊下で、桜の手紙を音読している。
「うわ、キンさんが朝からポエム読んでる」
廊下の向こうから、ユウとテツが顔を出した。
結城と鉄村。
いつも二人セットで騒いでいて、
片方だけ見かけることはほとんどない。
キンさんというのは、金城のことだ。
「ポエムじゃねえ」
「首の太いやつのポエムは迫力が違うな」
「首関係ねえだろ」
「キンさん、それ誰宛て? 女? 女だろ?」
「うるせえ、散れ」
金城が手首を胸に抱えこむと、
二人はげらげら笑いながら教室に逃げていった。
逃げながら、テツが「戸川先生、俺にも一通書いて!」と叫んだ。
宛先もいないくせに。
「……これ、伝わるかな」
「それは向こうの読解力による」
金城は真剣な顔でうなずいて、送信した。
報酬は、昼に二個届いた。
一個は潰れていた。
中の焼きそばは、牛こまだ。
豚の焼きそばなんて、正月に実家で食べるくらいだ。
牛のほうが肉も乳も取れて効率がいいから、牛のほうが安い。
小学校の社会の授業でそう習った。
そのときは、豚がかわいそうな気がした。
俺はこの学校で、そういう仕事をしている。
正式な名前はない。
クラスでは代筆屋と呼ばれていて、相場は焼きそばパン一個、
長いものは二個だ。
返事が来るかどうかは、値段に含まれていない。
先月書いた三通のうち、返事が来たのは一通だけだ。
来なかった二人のうち一人は、
それ以来、廊下で俺と目を合わせない。
自分の手紙は書いたことがない。
送りたい相手がいない。
小学校の同級生の女子の顔は、もう半分くらいしか思い出せない。
それに、他人の手紙なら、弾かれても、
弾かれたのは依頼人の言葉で、俺の言葉じゃない。
自分の言葉を弾かれつづけて、
最後には書くのをやめた人を、俺はひとり知っている。
ああはなりたくない、と言葉にすると大げさになるので、
そこは考えないことにしている。




