↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/35

結び目

五晩目に、俺は書くのをやめて、読むほうに回った。


聞き取り票の画面の隅に、

〈事故の公式記録を見る〉というボタンがある。

押すと、AIがまとめた、あの夜の記録が出てくる。


〈二十三時十二分 衛星かささぎ、降下中に分解〉

〈二十三時十二分 沢渡回収場付近の送電設備に落下〉

〈二十三時四十四分 沢渡地区・白萩地区に避難指示〉

〈一時八分 避難者、共住区・朝霧第二小学校に到着〉


分刻みだった。

誰がどのバスに乗ったのか、

何時何分にどの入り口から体育館に入ったのか、

全部記録されている。


俺の名前も、その中にあった。


スクロールしていくと、そこで、記録が途切れた。


〈二時四十一分〜四時三十七分 広域停電〉

〈映像記録:なし〉

〈音声記録:なし〉

〈位置情報:あり〉

〈四時三十七分 送電再開〉


なし、なし。


分刻みの記録の中で、そこだけ、二時間ぶんの穴があいている。

俺は、その穴を、何度も見た。

AIが知らないことがある、というのは、

この街では、ほとんど事件に近い。


AIは、あの夜のほとんどすべてを知っている。

衛星が何時何分に割れたのかも、

燃料が何リットル残っていたのかも、

俺が何時何分にバスを降りたのかも。


でも、あの二時間に、あの暗闇の中で、

誰が誰と何を話したのかは、知らない。


トイレが反対側だったことも。


方丈記の続きのことも。


ジャージの話も。


星も、流れ星も、扉の角も、ハンカチの結び目も。


全部、記録の外にある。


だったら、と思った。


気持ちを書く必要は、ないのかもしれない。


呼びかける必要も、名前を書く必要もない。


ただ、あったことを、そのまま書けばいい。


アラタメには、ただの事故の報告にしか見えない。


でも、あの暗闇にいたもう一人にだけは、それが何のことか、わかる。


事故の記録は、事故にあった人なら誰でも読める。

沢渡の人間も、白萩の人間も、同じものを。


この街にいて、同い年の女子が書いた文章を読める場所なんて、

ほかにない。

たぶん向こうも同じだ。


※


六晩目から、俺は事実だけを書いた。


事実だけ、というのは、思っていたよりずっと厄介だった。


嘘を書かず、気持ちも書かず、それでいて一文ごとに、

裏地を一枚ずつ縫いつけなければならない。

表は、アラタメが読む。

裏は、あの人だけがめくる。


代筆とは、逆だった。


代筆は、依頼人の気持ちを、他人の言葉で包む仕事だ。

今度は、自分の気持ちを、自分の言葉で、包んだまま、

ほどけるように置いておかなければならない。


考えてみれば、差出人が俺で、

宛先がひとりしかいない文章を、

俺はこれまで、一行も書いたことがなかった。

最初の一通が匿名の事故記録になるとは、思わなかった。


ハンカチを、何度も見た。


洗っても取れなかった血の跡が、端のほうに、

地図みたいな形で残っている。


布の真ん中には、うっすらと、しわが残っていた。


あの夜、あの人がきつく結んだ、結び目のあとだった。

手洗いしても、干しても、そのしわだけは、

どうしても伸びなかった。


最初の一文は、すぐに決まった。


トイレのことだ。


あの人にとって、あれは、俺が誰なのかを示す、

たった一つの手がかりになる。

暗闇の中で、俺が最初に言った、いちばん間抜けな言葉。


あれを書けば、【避難者A】でも【避難者B】でもなく、

あのときの「佐藤くん」だとわかる。


問題は、最後の一文だった。


かつ結びて。


あのとき、言えなかった続き。


消した下書きは、手首の履歴に四十いくつ残った。


十二晩目に、ようやく書けた。



提出の前の夜、もう一度だけ、最初から読んだ。


  停電のあいだに、トイレへ行こうとして、

  反対側に行ってしまいました。

  高い窓から、星がたくさん見えました。

  ときどき、衛星のかけらが流れていきました。

  破裂音のあと、体育倉庫の扉で右手を切りました。

  近くにいた人が、布で手当てをしてくれました。

  暗くて、顔は見えませんでした。

  借りた布は、寮で手洗いしました。

  泡が、なかなか消えませんでした。

  結び目のあとは、洗っても取れませんでした。


送信前チェック。


手首は、震えなかった。


<送信可能>


公開時の表示も、確かめた。


どこにも【避難者】は出てこなかった。

誰の名前も書いていないのだから、当たり前だった。


泡が、なかなか消えませんでした。


かつ消え、とあの人は言った。

消えていない、と、俺は書いた。


結び目のあとは、洗っても取れませんでした。


かつ結びて、と、俺は書けなかった。

だから、結び目のほうを書いた。


伝わるかどうかは、書いた側には決められない。


伝わらなければ、ただの洗濯の報告だ。

アラタメも、そう判断したらしい。


送信、に触れた。


〈提出を受け付けました〉

〈匿名化処理ののち、事故記録として公開されます〉


手首の光が消えると、部屋が急に暗くなった。


窓の外の、川のずっと下流に目をやった。

このあいだシッポが見ていたのと、同じ方角だった。


※


記録が公開されたのは、それから十日後だった。


〈衛星回収事故 避難者の記録〉

〈公開件数:三千八百六十二件〉


俺の記録には、〈第二千四百十八号〉という番号がついていた。


前後の記録を、いくつか読んだ。


第二千四百十七号は、

避難所の毛布が薄かったことへの苦情だった。

第二千四百十九号は、

バスの中で飼い猫の写真を何度も見ていた、

という高齢の男性の話だった。


どれも、ただの記録だった。

俺のも、たぶん、そう見える。


三千八百六十二分の一。


あの人が、この中から、たった数行を見つけてくれる確率を、

俺は計算しようとして、やめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。