第82話 駆けつける
王都の大通りは、朝だというのに、騒然としていた。
地面が、断続的に、低く唸る。空を見上げる人々の顔には、隠しきれない不安が浮かんでいた。人混みをかき分けながら、五人は、神殿を目指して走った。
「表門は、絶対に通れない」
先頭を走るガレンが、息を切らしながら言った。
「衛兵の数が、倍以上に増えてる。裏の資材搬入口から回るぞ」
◇
裏路地に入ると、ガレンは、迷いなく足を進めた。積み上げられた木箱の陰、洗濯物が渡された細い隙間。誰も知らないような道筋を、体で覚えているようだった。
「詳しいですね」
ノアが尋ねると、ガレンは、前を見たまま答えた。
「領主の使いで、何度もこの街を歩いてる。……表の顔だけじゃ、生き残れない仕事だからな」
搬入口の前には、見張りが一人。ガレンが、懐から何かを取り出し、短く言葉を交わすと、見張りは、気まずそうに視線を逸らし、道を空けた。
「金か?」
ルカが囁くと、ガレンは、鼻を鳴らした。
「借りだ。……こういうときのために、恩は売っておくものだ」
◇
搬入口を抜けた先、神殿の裏庭に差し掛かったところで、今度は正規の巡回に行く手を阻まれた。
「止まれ。この先は、立ち入り禁止だ」
アルバンが、一歩前に出た。懐から、鑑定官の印章を取り出す。
「中央神殿鑑定官、アルバンだ。異常事態を受け、緊急の確認に向かう」
「しかし、上からは……」
「上の指示より先に、事態が起きている。責任は、私が取る」
アルバンの声には、これまでにない強さがあった。巡回の兵士たちは、顔を見合わせ、やがて、道を空けた。
「……ありがとうございます」
ノアが、小さく礼を言うと、アルバンは、首を振った。
「礼はいい。これは、私自身の意志だ」
◇
「揺れが、強くなってる」
ハンナが、足を止めずに言った。
「ノア、大丈夫かい」
「大丈夫」
ノアは、答えながら、肩の箱を抱え直した。クドウが作った腕輪が、手首でわずかに冷たさを増している気がした。恐怖はまだ消えていない。それでも、足は止まらなかった。
◇
現代の研究室でも、モニターを囲む面々が、息を詰めていた。
「波形、まだ荒れてる」
工藤が、画面から目を離さずに言った。
「谷のタイミング、逃すなよ」
美緒が、拳を握りしめた。柳瀬は、無言のまま、二十五年前のデータと、今の波形を、交互に見比べ続けている。黒川が、静かに、しかしはっきりと言った。
「送れ。今、伝えられることを、全部」
その時、箱の枠に光が灯った。
「聞こえるか」
キョウジュの声が、緊迫した調子で響いた。
「反応の波形に、周期がある。強まる瞬間と、わずかに落ち着く瞬間が、交互に来ている」
「落ち着く瞬間があるんですか」
「ある。……ソラ、詳細を」
「揺らぎの谷は、約二十秒周期で訪れます。完全に安全とは言えませんが、突入するなら、その谷を狙うべきです」
ソラの声が、淡々と、しかし的確に告げた。
◇
同じ頃、アルダの森では、ダグとティナが、境の樹の前に立ち尽くしていた。
「村長には知らせた。……でも、あたしたちに、できることなんて」
ティナの声が、不安に揺れた。
「見てるだけじゃ、ない」
ダグが、樹の幹に手を当てた。
「昔、ノアが言ってた。ここは、繋がってる場所だって。……なら、こっちが落ち着いてることも、きっと、何かの支えになる」
ティナは、その言葉に、小さく頷いた。二人は、揺れる光を見つめながら、遠く離れた友の無事を、ただ、祈り続けた。
◇
裏庭を抜け、聖具の間へ続く回廊に差し掛かったところで、行く手に、複数の人影が現れた。ヴェルナー派の兵だった。
「……ここから先は、俺たちに任せろ」
ガレンが、腰の剣に手をかけた。
「お前と、鑑定官殿とで、時間を稼ぐ。その隙に、ノアとハンナ婆さんを通せ」
「ルカ、頼めるか」
アルバンの問いに、ルカは、にやりと笑った。
「もとより、逃げ足には自信がある。だが、今日は、逃げるためじゃなく、道をこじ開けるために使ってやる」
「お前ら、下がれ!」
兵の一人が、剣を構えたまま怒鳴った。ガレンが、その正面に立ちはだかる。
「領主メルヴィン様の名代として言う。この先、無理に通そうとするなら、後で困るのはお前らの方だぞ」
「はったりを」
「はったりかどうか、確かめてみるか」
ガレンの声に、微塵の揺らぎもなかった。兵たちが、束の間、たじろぐ。
その隙を突き、アルバンが、印章を掲げて前に出た。
「これは、神殿内部の緊急事態だ。鑑定官の権限において、通行を命じる。……妨げるなら、後日、正式に問責する」
「くっ……」
兵の一人が、剣を下ろしかけたその瞬間、奥からさらに数名が駆けつけてくる足音が響いた。
「行け!」
ガレンが、叫んだ。
「ここは、俺たちで持ちこたえる!」
四人が、それぞれの場所へ散っていく。ノアとハンナだけが、回廊の奥へと、まっすぐに走った。
◇
聖具の間に近づくにつれ、空気そのものが、震えているのが分かった。壁の向こうから、耳の奥に直接響くような、低い唸り。境の樹の前に立ったときに感じる、あの感覚に似ていた。ただし、今のそれは、あたたかさではなく、軋むような痛みを伴っていた。
「本物と、偽物の、違いか」
ノアは、震える声で呟いた。
扉の隙間から、白とも金とも言えない光が、不規則に漏れ出していた。中から、押し殺した呻き声のようなものが、微かに聞こえる。
箱の枠に、再び光が灯った。
「そっちの状況は、見えている」
キョウジュの声が、静かに、しかし力強く届いた。
「今、そちらの反応、また谷に近づいてる。……無理はするな。だが、行くと決めたなら、俺たちは、最後まで見届ける」
枠の向こうで、ミオの声が続いた。
「ノア、聞こえてる? 一人じゃないから。ちゃんと、繋がってるから」
その声に、ノアの胸の奥が、じんと熱くなった。恐怖は、消えない。それでも、独りで震えていたときとは、確かに違う何かが、そこにあった。
ハンナが、ノアの手を、強く握った。
「行くよ。あんたの隣で」
ノアは、大きく息を吸い込み、頷いた。
扉の向こうに、何が待っているのか。まだ、分からない。それでも、恐怖より確かなものが、今、ノアの中にあった。
二人は、揺れる扉に、手をかけた。




