第78話 謎の答え
翌日の昼過ぎ、隠れ家の狭い部屋に、五人が輪になって座っていた。ノア、ハンナ、アルバン、ルカ、そして膝の上に置かれた箱――枠の向こうから、キョウジュ、ミオ、ソラの気配が加わっている。
「アルバンさん、ルカさん」
ノアは、二人の顔を、順番に見た。喉の奥が、緊張で強張っていた。
「二人には、まだ話してないことがある。……この箱のこと、ちゃんと話したい」
アルバンとルカが、顔を見合わせた。
◇
「この箱の向こうには、別の世界がある。僕がもともといた村とも、違う場所。そこにいる人たちと、僕は、ずっと話をしてきた」
ノアは、一つ一つ、言葉を選びながら語った。森で箱を見つけたこと。キョウジュ、ミオ、ソラという存在。ずっと隠してきたこと。誰にも――ハンナ以外の誰にも、打ち明けられなかったこと。
アルバンは、しばらく、言葉を失っていた。信じがたいという表情と、同時に、これまでの様々な違和感が繋がっていくような表情が、その顔に交互に浮かんでいた。
「……境の番人という言葉の、本当の意味が、これか」
やがて、絞り出すように、そう言った。
「はい」
「箱の向こうの世界に、お前を助けようとしてくれる人たちが、本当にいるのか」
「います」
枠の向こうから、キョウジュの声が答えた。
「初めまして、と言うべきかな。クドウといいます。ノアの、味方の一人です」
その声に、アルバンは、目を見開いた。
◇
ルカは、しばらく、無言で箱を見つめていた。それから、小さく笑った。
「なるほどな。……だから、あの村の子は、時々、妙に大人びた知識を持ってたわけだ」
怒りでも、拒絶でもなかった。むしろ、長年の謎が解けたときのような、どこか清々しい表情だった。
「怒らないんですか」
ノアが恐る恐る尋ねると、ルカは、肩をすくめた。
「怒る理由がない。お前が、俺を信じて話せなかったのは、それだけの重さがある秘密だったからだろう。今、話してくれた。それで、十分だ」
その言葉に、ノアの目に、また涙が滲んだ。
「ありがとう、ございます」
アルバンも、深く息を吐いてから、静かに頷いた。
「……驚いた。だが、不思議と、恐怖はない。むしろ――ようやく、お前という人間の全部が、少し見えた気がする」
◇
「では、改めて」
キョウジュの声が、枠の向こうから響いた。
「これまで分かったことを、一度、全部並べてみよう。ノア君、そちらで分かったことを、聞かせてくれるか」
ノアは、頷いた。
「元神殿記録官のミレナさんが、境の樹みたいな場所が、世界のあちこちにあるって。そこに強く反応する人を、昔は『境の番人』とか『架け橋の子』って呼んでたって」
「王都の記録保管室では、そういう記録が、意図的に燃やされてました」
アルバンが、後を続けた。
「教会の中でも、特定の勢力が、この現象を独占的に管理しようとしてきた形跡があります。枢機卿ヴェルナー様が、その中心にいるのは、ほぼ間違いありません」
「こちらでも、分かったことがある」
キョウジュが、静かに言った。
「二十五年以上前、私とヤナガセが、正体不明の共鳴信号を追いかけていた。あの信号が、今の試作機研究の出発点だった。……そして、その信号の発生源が、ノア君の母親、エレナさんだった可能性が高いことが、改めて確認できた」
◇
「確認、できたんですか」
ノアの声が、震えた。
「ソラが、当時のデータと、現在の境の樹の反応パターンを、詳細に照合した」
キョウジュが、言葉を選びながら続けた。
「波形の特徴が、ほぼ一致する。断定はできないが、ほぼ間違いない。エレナさんは、二十五年以上前から、無意識のうちに、こちら側にも、微かな信号を送り続けていた」
「母さんは……」
ノアの声が、掠れた。
「知らないうちに、二つの世界を、繋いでたってこと?」
「そういうことになる」
キョウジュの声に、深い感慨が滲んでいた。
「私たちの研究は、最初から、お前たち親子と、繋がっていたんだ」
その声には、隠しきれない感慨があった。二十五年という歳月、正体も分からないまま追いかけ続けてきたものの答えが、こんな形で目の前の少年と結びつくとは、キョウジュ自身、想像したこともなかったのだろう。
「ヤナガセ」
ノアが、そっと呼びかけた。
「あの信号を、ずっと追いかけてくれて、ありがとうございます」
枠の向こうで、ヤナガセが、しばらく沈黙した。
「礼を言うのは、こっちの方だ。……あの頃の俺たちは、ただの好奇心で、あの信号を追いかけてただけだった。それが、まさか、こんな結末に繋がるとはな」
その声は、いつになく、感慨深いものだった。
◇
「では、まとめよう」
ソラの声が、静かに響いた。
「ノアさんの魔力がほぼゼロというのは、正確ではありません。ノアさんは、通常の魔力とは異なる周波数で、世界の継ぎ目と共鳴する、特異な適性を持っています。かつて『境の番人』『架け橋の子』と呼ばれた人々と、同じ種類の力です」
「境の樹は」
ハンナが、静かに口を挟んだ。
「死の予兆じゃ、なかったのかい」
「恐らく、違います」
ソラが、丁寧に答えた。
「境の樹が発する光は、世界の境界に、何かが強く近づこうとするときに反応するものと考えられます。死そのものに反応するわけではありません。エレナさんが亡くなったとき光らなかったのは――」
ソラは、一度、言葉を切った。
「エレナさんが、それよりずっと前から、自ら樹との共鳴を断ち切っていたからです。日記にあった通り、ノアさんを守るために」
◇
「じゃあ、母さんの病気は」
ノアの声が、震えた。
「治癒魔法で治せなかったのは、呪いとかじゃなくて」
「魔法の管轄外だったから、というのが、私たちの見立てです」
ヤナガセの声が、静かに答えた。
「共鳴という能力を、無理に、力ずくで断ち切ろうとする。それは、本来自然に流れるはずの何かを、堰き止めるようなものだ。その反動が、少しずつ、体そのものを蝕んでいった。……治癒魔法が効かなかったのは当然だ。傷や病原体を治す魔法には、そもそも対処のしようがない種類の消耗だったんだ」
部屋に、重い沈黙が落ちた。
ハンナが、両手で顔を覆った。長年、呪いか祟りかと恐れ、村の誰にも詳しく話せずにいた、あの日々。それが今、遠い世界の人々の言葉で、静かに、しかし明確に説明されていく。悲しみと同時に、どこか救われるような感覚が、ハンナの中に広がっていた。
「あたしは、ずっと、悪い病だとばかり……」
「無理もありません」
ヤナガセの声が、労わるように答えた。
「こちらの世界にだって、長い間、説明のつかない現象として扱われてきた病は、たくさんあります。分からないことを、分からないままにしておかなかっただけ、あなた方は、十分に誠実だった」
その言葉に、ハンナは、しばらく、声を出せずにいた。
◇
「母さんは……」
ノアが、震える声で、絞り出した。
「独りで、それと戦って。誰にも、助けを求められなくて。それで――」
言葉が、続かなかった。ハンナが、そっと、ノアの背に手を置いた。
「ノア」
キョウジュの声が、静かに、しかし力強く響いた。
「お前の母さんが辿った道は、辛いものだった。それは、変えられない事実だ。だが――お前は、同じ道を辿らなくていい」
「どうして、そう言えるの」
「お前には、独りで抱え込むな、話せって言ってくれる人が、こんなにいるからだ」
キョウジュの声に、確かな力があった。
「お前の母さんが持てなかったものを、お前は、既に持ってる。……それを、これから、ちゃんと使えばいい」
◇
アルバンが、静かに口を開いた。
「私からも、一つ、言わせてくれ」
「はい」
「私は、教会の人間として、境の番人という存在を、正しく理解している者が、あまりにも少なすぎると感じている。……もし、正しい知識と、支える仲間さえあれば、この力は、危険なものではなく、なりうるのではないか」
その言葉に、枠の向こうで、キョウジュが小さく頷く気配があった。
「その通りだ。エレナさんは、独りだった。だが、ノア君は、違う」
◇
謎は、解けた。ノアの魔力がほぼゼロだったこと。境の樹の正体。母の死の真相。バラバラだった糸が、一本に繋がった瞬間だった。
だが、答えを知ったことは、終わりではなかった。
自分もまた、母と同じ力を抱えている。それを、正しく使うのか、恐れて遠ざけるのか。その選択は、まだ、これからのものだった。
窓の外、王都の空に、夕暮れの色が滲み始めていた。答えの重さを噛みしめながら、ノアは、静かに、次に自分がすべきことを、考え始めていた。




