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異世界少年と謎の物体と研究室の仲間たち〜森で拾った箱の向こうは現代日本でした〜  作者: gachapin2223


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第7話 水を沸かす理由


「ねえ、今日も行くの?」




朝、家を出ようとしたところで、ティナが路地の角から顔を出した。


籠をすでに背負っている。準備万端、という顔だった。




「……待ってたの?」




「うん。早起きしたから」




「何刻から?」




「さあ」




ティナはとぼけた顔で笑って、さっさと歩き出した。




「行こ行こ。ソラに昨日の続き聞きたいんだけど」




「昨日の続きって」




「星の話。あの世界の夜空、どんなか聞こうと思って」


僕は思わず苦笑いした。


昨夜、ソラと話した内容を、ティナにはまだ言っていない。なのに、同じことを考えていた。




「……僕も、聞こうと思ってた」




「でしょ。じゃあ一緒に聞こう」




ティナが振り返って、にっと笑った。


こういうところが、ティナという人間だ。怖がるより先に興味が勝つ。昨日、枠の中のソウタに笑い返したあの五秒と、まったく同じ顔をしている。


森への道が、心なしか、いつもより短く感じた。


◇


「おはようございます、ノア、ティナさん」




箱に触れると、すぐにソラの声が流れた。




「ソラおはよー! ねえ、昨日の夜さ——」




「ティナ、順番」




「え、いいじゃない」





「ミオたちに挨拶してから」




「……はーい」




ティナが渋々と枠に向き直った瞬間、颯太が画面に飛び込んできた。




「ティナ! おはよう! 昨日の炎、もう一回やって!」




「フウタさんおはよー! やるやる!」




「颯太、朝から全開すぎる」




ミオが額に手を当てながら、こちらに笑いかけた。




「ノア、おはよう。ティナも」




「オハヨウ、ミオ」




「オハヨウ!」




二人で声を揃えたら、枠の向こうで颯太がまた何かを叫んだ。クドウが「うるさい」と言いながら、口の端を上げている。


こういう朝が、だんだん当たり前になってきた。


「ソラ、聞いていい?」




しばらくして、ティナが枠に近づいた。




「もちろんです」




「あの世界の夜空って、どんな星が見える?」




「私は視覚を持たないので直接は見えませんが、観測データを参照できます。こちらの世界とは星座の配置が大きく異なることが、センサーの方位データから推測されています」




「違うんだ!」




「はい。同じ星が見えている可能性は低いと思います」




ティナが、僕を向いた。




「ノア、聞いた? 違う星だって」




「聞こえてた」




「すごくない? 同じ夜なのに、全然違う空を見てるんだよ」




「……そうだな」




「なんか、そっちのほうが不思議な感じがする。言葉とか植物とかは少し似てるのに、星は全然違うって」




ティナは腕を組んで、しばらく考える顔をした。


それから、急に表情が切り替わった。




「ま、いいか。じゃあフウタさん、炎見る?」




「見る見る見る!」


◇


その日の午前中は、いつもより賑やかだった。


ティナが魔法を見せるたびに颯太が騒いで、クドウが端末に記録して、ミオが身を乗り出す。ティナはそれが嬉しくて、どんどん調子が上がっていく。




「灯り系なら、色も変えられるんだよ」




そう言って、手のひらの炎を青白く変えた。


枠の向こうで、颯太が崩れ落ちた。




「なんでそんなに簡単に——」




「え、これ普通だよ? 村の子みんなできるよ?」




「俺の物理の教科書、全部ゴミだった……」




「フウタさん、大丈夫?」




ティナが心配そうに枠を覗き込んで、颯太が「大丈夫じゃないです」と答えた。


僕は少し離れたところに座って、その様子を見ていた。


枠の向こうが笑っている。こちらも笑っている。言葉が半分しか通じなくても、笑い声だけは、どこまでも届く。




こういう時間が、あるのだということを——森に来る前は、知らなかった。


◇


昼を過ぎたころ、僕は籠の中身を確かめた。


サルベ草、ツキシロ草、それから今日見つけた苦みのある根——ニガネ草。煮出して飲ませると、腹の調子を整える。




「ねえ、そのニガネ草、何に使うの?」




ティナが覗き込んできた。




「腹下しに効く。子どもに多い」




「あ、そういえば」




ティナが、ふと真顔になった。




「コラルのとこの末っ子、ここ三日ずっとお腹壊してるって聞いたよ。まだ四つだっけ」




「エーラのとこの?」




「そう。お母さん、かなり心配してた」




僕はニガネ草を手に取った。


腹下し。三日。四歳。




「水、だな」




「え?」




「腹を壊すのは、たいてい水が原因だ。井戸水をそのまま飲ませてないか?」




「さあ……どうかな」


ミオが枠の中から首を傾けた。何か聞き取れたらしい。




「ノア、なに? だれか——たいへん?」




「……子ども、おなかが、いたい。三日」




「何歳?」




「よっつ」




ミオが、クドウと何かを話し合った。それから、こちらに向き直った。




「ノア。みず——どうやって、のんでる?」




「井戸。村の」




「そのまま?」




「……たぶん」




「わかった。少し待って」




ミオが椅子を立ち、枠から外れた。颯太とクドウが端末の前で何かを調べ始めた。


ティナが僕の袖を引いた。




「なに調べてるの?」




「わからない。でも——何か、知ってるんだと思う」


◇


「ソラ、井戸水の汚染リスクと症状の関係、ざっくりまとめてくれ」




工藤が端末を叩きながら言った。




「はい。小児の感染性腸炎の原因として最も多いのは経口感染です。井戸水が生活排水や土壌と混じる場合、病原性大腸菌やカンピロバクターのリスクが高まります。三日以上続く下痢は、細菌性の可能性があります」




「つまり水を沸かせばいい?」




「煮沸で大部分の病原菌は死滅します。四歳児なら特に有効です」




美緒が戻ってきて、颯太の隣に座った。




「ノアの村、医療インフラがほぼない状態だよね。治癒魔法頼みで、それ以外の知識が入りにくい」




「衛生観念の問題か」




「そう。悪意じゃなくて——知らないだけ」




工藤は少しの間、黙っていた。




「伝えられるか? 水を沸かすということを」




「やってみる」




美緒はカメラに向き直った。


◇


「ノア。みず——にやす、わかる?」




「煮やす? 沸かす、ってこと?」




「そう。ひを——つかって、みずを、あつく」




「それが——エーラの子どもに関係あるの?」




「ある。みずの中に、小さな——めに、みえない——ものがいる。それが——おなかを、わるくする」




「目に見えないもの?」




「うん。でも、にやすと——しぬ。みずが、きれいになる」




僕は、しばらく考えた。


目に見えないもの。水の中にいる、目に見えない何か。それが腹を下させる原因で、煮沸すれば死ぬ。




「魔法じゃないの?」




「ちがう。ちしき。むこうのせかいの——ちがう、ちから」




違う力。


ミオが前に言っていた言葉が、ここに繋がった。




「わかった。やってみる」




「ノア」




ミオが、真剣な顔で言った。




「はやく。三日は、ながい」


◇


「ティナ」




「うん?」




「火、使える?」




「もちろん。何する?」




「エーラのとこに行く。水を沸かしたい」




ティナが、一秒だけ考えた。




「なんで沸かすの?」




「水の中に、目に見えない悪いものがいるんだって。沸かすと死ぬ」




「……ミオたちが言ったの?」




「うん」




ティナは僕の顔をじっと見た。


それから——籠を担ぎ直して、立ち上がった。




「行こう」




「信じるの?」




「ノアが信じてるんでしょ」




「……うん」




「じゃあいい。それに」




ティナが歩き出しながら、さらりと言った。




「あの人たち、嘘つく顔してないもん」


◇


エーラの家は、村の東の端にある。


扉を叩くと、疲れた顔のエーラが出てきた。三十手前くらいの、線の細い女性だ。抱いている末っ子のコラルが、ぐったりと肩に顔をうずめている。




「ノア? どうしたの」




「コラルの具合、悪いって聞いた。水、沸かして飲ませてる?」




「水を? そのまま飲ませてたけど……何か問題でも?」




「一度、沸かしてみてほしい。試してみるだけでいい」




エーラが、訝しそうな顔をした。当然だと思う。水を沸かして飲ませる、なんて話は村では聞いたことがない。




「それで治るの?」




「……保証はできない。でも、やってみる価値はある」




ティナが横から口を挟んだ。




「エーラさん、損はないじゃないですか。沸かすだけだし。ノアが言うなら、たぶん大丈夫ですよ」




エーラはしばらく僕とティナを交互に見た。




それから、扉を大きく開けた。




「……入って」


◇


竈に火を入れたのは、ティナだった。


魔法で、あっという間に。


エーラが目を丸くしたのは、火の起こし方が早すぎたからだと思う。でも、それより先に鍋の中の水が気になって、そちらに気を取られていた。




「どのくらい沸かせばいい?」




「ひとしきり、ぐらぐらするまで」




「わかった」




ティナが炎の加減を調整しながら、コラルに顔を向けた。




「コラルちゃん、大丈夫?」




コラルがぼんやりとした目でティナを見た。まだ幼い顔が、青ざめている。




「……おなか、いたい」




「もう少ししたら楽になるよ。たぶんね」




「ほんと?」




「うん。ノアがそう言ってるから」




コラルが、今度は僕を見た。


僕は何も言えなくて、ただ頷いた。


嘘をついてほしくなかった。でも——ティナの言い方は、嘘じゃない気がした。たぶん、という一語が、ちゃんとついている。


◇


「効いてるといいですね」




モニターの前で、颯太が静かに言った。


珍しく、声が落ち着いている。




「細菌性なら、煮沸だけで劇的に変わる場合もある。脱水が進んでいなければ、数日で回復するはずだ」




工藤が端末を閉じながら言った。




「でも確認できないな。こっちからは映像が届かない」




「ノアが報告してくれるんじゃないですか」




颯太が言った。




「そうだね」




美緒は、モニターをもう一度見た。


ノアとティナが、エーラの家の竈の前にいた。鍋から湯気が立ちのぼるのを、二人並んで見ている。




「ティナさんが来てから、ノアが変わりましたよね」




颯太がぽつりと言った。




「変わった?」




「なんか、明るいっていうか。動きが早いっていうか。今日だって、コラルちゃんのこと聞いた瞬間に動いたじゃないですか」


美緒は頷いた。




「前は、知識はあっても、踏み出すのをためらってた」




「それが今日は迷わなかった」




「ティナがいるから、かな」




「それだけじゃないと思いますけど」




颯太が笑った。




「俺たちのことも、あると思いますよ」


◇


帰り道、夕暮れの中をティナと並んで歩いた。




「ねえ、効くかな」




「わからない。でも——やれることはやった」




「そうだね」




ティナが空を見上げた。茜色が、西の空に広がっている。




「ノアってさ」




「うん」




「前から、ああいうこと、できたんじゃないの?」




「何が」




「エーラさんとこに行くやつ。水を沸かすとか、薬草持っていくとか」




「……知識はあった」




「じゃあなんで今まで行かなかったの?」




答えるのに、少し時間がかかった。




「言っても、どうせ笑われると思ってた」




ティナが、足を止めた。




「誰が笑うの」




「みんな。魔法も使えない出来損ないが、何を生意気に、って」




「笑わないよ、私は」




「……知ってる」




「ミオたちも笑わない」




「知ってる」




ティナが歩き出した。今度は、僕の少し前を。




「じゃあ、もういいじゃん」




「……そうかもしれない」




「そうだよ」




ティナが振り返らずに、言った。




「ノアの知識でコラルちゃんが元気になったら、それが全部の答えだよ」


僕は、ティナの後ろ姿を見ながら歩いた。


出来損ない。その言葉は、まだ消えていない。ダグの声も、村の視線も、変わっていない。




でも——今日、僕は動いた。




ミオが教えてくれた知識を、自分の足で持っていった。ティナが隣にいて、ソラが背中を押してくれた。




それだけのことが、こんなに違う。




村の灯りが、前に見えてきた。


明日、コラルの様子を確かめに行こう。


それだけを考えながら、僕は歩き続けた。


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