第57話 教会の目
村の入り口に立つ一行を、ノアは遠目に見つめていた。
先頭に立つのは、白い法衣に金の帯を締めた、年老いた男だった。歳の割に背筋が伸び、歩みには一切の迷いがない。両脇には、同じ紋章を胸に付けた供が二人。ガレンの一行とは、まとう空気からして違った。物腰は静かなのに、近づくだけで、肌が粟立つような気配がある。
村長が、震える声を抑えて前に出た。
「……お役目、ご苦労さまでございます。この村に、何用でしょうか」
老人は、村長を見もせずに答えた。
「私は、鑑定官アルバン。中央神殿より遣わされた」
声は穏やかだったが、耳に残る硬さがあった。
「この村に、鑑定の儀で魔力ほぼ無しと診られた者がいながら、幾つもの奇跡を起こしていると聞く。真偽を、確かめに参った」
村長の顔から、さらに血の気が引いた。
「その者に、会わせてもらおう」
村人たちが、遠巻きに、その様子を見守っていた。誰も声を上げない。ただ、白い法衣の一行が広場を横切るたび、道を空けるように、そっと後ずさっていく。
◇
村の集会所に、村長、ハンナ、そしてノアが呼び出された。
アルバンは、椅子に座ることもせず、部屋の中央に立ったまま、ノアをじっと見つめた。値踏みするようなガレンの目とは、また違う視線だった。まるで、初めて見る虫を観察するような、冷たい興味。
「お前が、噂の少年か」
「……はい」
ノアは、喉の奥が、かすかに震えるのを感じた。
「鑑定の儀では、魔力ほぼ無しと出たそうだな」
「そう、言われました」
アルバンは、ゆっくりと頷いた。
「魔法とは、神が定めた秩序だ。魔力の多寡もまた、神が各々に与えたもうた器の大きさに他ならない。……ならば、魔力を持たぬ者が、病を癒し、命を救う。それは、いったい何なのか」
問いは、ノアに向けられているようで、部屋の誰にも向けられていないようでもあった。
「異端の業か。それとも――我らがまだ知らぬ、神の意図の一端か」
ハンナが、たまらず口を挟んだ。
「この子は、ただ、薬草の知識を使って人を助けているだけです。神の教えに背くようなことは、何も」
「薬草の知識、か」
アルバンの視線が、初めて、ハンナへ動いた。
「その知識は、どこで得た」
「わたしが、若い頃に――」
「南の港街で、名もなき薬師に師事した、と。噂には聞いている」
アルバンは、そこで初めて、薄く笑った。
「よく出来た話だ。裏を取ろうにも、確かめる術がない」
心臓が、どくりと跳ねた。ガレンとは違う角度から、同じ場所を突かれている。ノアは、拳を握った。だが、アルバンの目は、すぐにハンナから離れた。まるで、その嘘そのものには、興味がないとでも言うように。
◇
「だが」
アルバンは、話の接ぎ穂を変えるように、続けた。
「私の関心は、その出所にはない。ガレン殿とは、そこが違う」
「……では」
村長が、恐る恐る尋ねた。
「私の関心は、ただ一つ。この少年が起こしていることが、教義に照らして何であるか、それだけだ」
アルバンは、ノアへ向き直った。
「もし、お前が本当に魔力ほぼ無しでありながら、これほどのことを成しているなら――一度目の鑑定は、何かを見落としていたことになる」
「見落とし……?」
「鑑定の儀とは、絶対のものではない。稀に、通常の器では測れない、特異な性質を持つ者がいる。教会の記録には、そうした前例が、わずかながら残されている」
その言葉に、ノアの胸の奥で、何かが小さく波立った。ずっと「出来損ない」と呼ばれてきた自分に、まだ知らない何かがあるかもしれない――そんな予感が、恐ろしくもあり、同時に、拒みきれない引力を持っていた。
母のことが、頭をよぎった。治癒魔法でも治せなかった、あの病。もし自分が、本当に何か特別なものを持っているのだとしたら、あのとき、何か違う結末があったのだろうか。
考えかけて、ノアは、その先を振り払った。今は、目の前のことだけを考えなければならない。
アルバンは、静かに、しかし有無を言わせぬ声で告げた。
「もう一度、鑑定の儀を受けてもらおう。お前の魔力を、改めて、正しく測る」
村長が、何か言いかけたが、アルバンは、それを手で制した。
「これは、頼みではない。神殿の名における、正式な要請だ」
部屋の空気が、冷たく張りつめた。
ノアは、ハンナの手が、自分の肩に置かれるのを感じた。震えていたのは、ハンナの手のほうだった。
それでも、ノアは、頷くしかなかった。
「……わかり、ました」
「明日、日の出とともに。村の御堂で行う。道具はこちらで用意する」
アルバンは、それだけ言うと、踵を返した。供の二人が、無言でそれに続く。
◇
一行が去った後、集会所には、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、村長が、深く息を吐いた。
「……ガレンとは、まるで違う手合いだ。あれは、金や地位を求めているわけじゃない」
「はい」
「あれは――正しさを、確かめに来ている。だからこそ、厄介だ」
ハンナが、ノアの肩に置いた手に、少し力を込めた。
「ノア。怖いかい」
「……少し」
正直に答えると、ハンナは、皺だらけの顔で、小さく笑った。
「怖くて、当たり前だよ。だけどね、ノア。お前がこれまでやってきたことは、何一つ、恥じることじゃない。誰が何と言おうと、それだけは、ばあちゃんが知ってる」
その言葉に、強張っていた胸の奥が、ほんの少しだけ、ほどけた。褒め言葉というより、確かめるような口ぶりだった。だが、それだけに、噓のない重みがあった。
夜、床に就いても、ノアはなかなか寝つけなかった。天井を見つめながら、アルバンの言葉を、何度も思い返す。
――お前がこれほどのことを成しているなら、一度目の鑑定は、何かを見落としていたことになる。
見落とされていたもの。それは、恐怖なのか、それとも――。
答えの出ない問いを抱えたまま、ノアは、隣の寝床で寝返りを打つハンナの気配に、そっと耳を澄ませた。ハンナも、眠れずにいるのかもしれない。
窓の外が白み始めるまで、ノアは、ほとんど眠れなかった。




