↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界少年と謎の物体と研究室の仲間たち〜森で拾った箱の向こうは現代日本でした〜  作者: gachapin2223


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/102

第5話 はじめての贈り物

その日の朝、ハンナばあちゃんは指が痛いと言った。




「雨が来るんだろうね。こういうときは決まって当たるんだよ」




笑いながら言うけれど、関節の腫れが昨日より大きい気がした。




「サルベ草、すり鉢で一緒に——」


「いいよ、ノア。自分でできる。お前は森に行っておいで」




追い払うように手を振られた。でも、その手の動きが、いつもより小さかった。




僕は籠を背負いながら、昨日ミオに話したことを思い出していた。


サルベ草は痛みを和らげる。岩陰に生える。根を残して採る。




あの人たちは、夢中で聞いてくれた。


だとしたら——実物を、見せたらどうだろう。




◇




「おはようございます、ノア」




ソラの声が、枠の奥から聞こえた。


昨日より、発音がなめらかだった。ミオたちの言葉を話しているのに、どこか違う響きがある。人の声に似ているけれど、少し違う——そういう声だ。




「おはよう、ソラ」




返すと、枠の中でソウタが身を乗り出した。




「ノア、ソラと話せるじゃん! やば——」


「ソウタ、朝から声が大きい」




ミオが窘めながら、こちらに向き直った。




「ノア、今日は——はこ、の——よこの、すきま。使っていい?」


「すきま」




僕は箱の側面に目を向けた。あの細長い開口部。ソウタが勝手に黒い棒を出してきた、あの隙間。




「なに、入れる?」


「おくりもの。ノアに」




贈り物。




「……わかった」




◇




「ソラ、誤差はどのくらい?」




工藤が転送モジュールの制御端末を確認しながら言った。




「座標の固定精度は昨日から変わっていません。小型物体なら問題ないかと」


「よし」




美緒はテーブルの上に並べたものを見た。


植物図鑑——子ども向けの、絵の大きいもの。それから、小さなスケッチブック。それから、色鉛筆を数本。




「図鑑は大きすぎないか」




工藤が眉を寄せた。




「転送窓の口径は縦七センチ、横十二センチだぞ」


「じゃあ、薄いやつで」




美緒は図鑑を一冊選んで、ページを開いてみた。写真ではなく、細密な植物画が並んでいる。葉脈まで丁寧に描かれた、大判の絵。




「これなら伝わると思う」


颯太が頷いた。




「言葉が通じなくても、絵ならわかる。ノアが植物に詳しいなら、同じものが描いてあったら気づくんじゃないですか」


「問題は——この世界の植物が、向こうにも同じように存在するかどうかだ」




工藤が腕を組んだ。




「転移した先が、地理的に地球上のどこかなら——気候が近ければ同種か近縁種がいる可能性がある。だが——」


「だとしたら、それだけでも大発見ですよ」




颯太の声が、少し上ずっていた。


美緒は図鑑を折り曲げながら、転送窓の口に合わせてみた。ぎりぎり、入る。




「送ってみよう」




◇




隙間の奥で、かすかな音がした。


何かが、入ってくる気配。




僕はしゃがんで、隙間に指先を近づけた。奥から、薄くて固い何かが、ゆっくりと押し出されてくる。




引き出すと——それは、白くて薄い、束のようなものだった。


村の写本より、ずっとなめらかで、ずっと薄い。表面に絵が並んでいる。


絵が、見えた瞬間、息が止まった。




植物だった。


葉の形。茎の断面。根の広がり方。どの絵も、見たことがないほど細かく、丁寧に描かれている。葉脈の一本一本まで。


ページをめくる手が、震えていた。




「これ——」




枠の中のミオが、僕の顔をじっと見ていた。


「知ってる、の、ある?」




ページをめくりながら、目が動かせなかった。




三ページ目で——見つけた。




銀色の葉。岩陰に生えている絵。葉脈の向きまで、正確だった。


「ツキシロ草!」




思わず立ち上がって、束を箱の前に持っていった。




「これ、ツキシロ草! ばあちゃんの——きず、に使う!」




枠の中で、三人が顔を見合わせた。


それから、ソウタが飛び上がった。




◇




「一致した! 工藤さん、一致しましたよ!」




颯太が画面を指さした。




「落ち着け。確認する」




工藤が端末に向かって素早く何かを打ち込んだ。




「……ノアが言ったツキシロ草の特性——化膿した傷の排膿に使う、葉を三枚まで、根を残す——これとこの植物の既知の薬効成分が一部重なる可能性がある」


「向こうにも同じ植物がある、ってことですか」


「同種か、非常に近い種だろう。だとすれば——」




工藤は眼鏡の奥の目で、モニターを見た。ノアがまだ興奮した様子でページをめくっている。




「あの子の知識は、植物学的に裏付けのある知識だ。経験則だけじゃない」




美緒は静かに頷いた。




「ノアが十三年かけて森で積んできたものだから」




◇




何ページも、めくった。


知っているものが、いくつも出てきた。




ノイバの実——熟す前に食べると腹を下す、あの赤い実。ハゼ蔓——触ると肌がかぶれる、葉のつけ根だけ安全な、あの蔓。母さんが最初に教えてくれた植物のひとつだ。


全部が一致するわけじゃなかった。見たことがない形のものも多い。でも——知っているものが、あちらの世界にも存在する。




「ミオたちのせかい——と、僕の——せかい——おなじ、しょくぶつ、ある」


「そう。すこし、ちがうけど——おなじ、かもしれない」




ミオが頷いた。その目が、静かに輝いていた。




「ノア——おくりたい、もの、ある?」


「おくりたい?」


「すきまで——おくれる。むこうからも」




僕は少し考えて、籠の中を見た。


今日採ってきたサルベ草が、数本入っている。根がついたまま、土ごと包んである。ばあちゃんへの分は、もう分けてある。残りは——




「……これ、送る」




サルベ草を一本、取り出した。




「ばあちゃんの——てが、いたい——に、使う。いっしょに——しらべて、ほしい」




ミオが、静かな顔で受け取った。


いや、受け取ったわけじゃない。でも——受け取ってくれた、という感じがした。




◇




転送窓から出てきたのは、細い草の束だった。




根がついたまま、湿った土にくるまれている。葉は銀がかった灰色で、茎に細かい毛がある。




「サルベ草……」




美緒は、そっと手に取った。




どこかの森で、今朝、この子が採ってきたもの。おばあさんの痛む手のために。




「分析にかけます」




工藤が手袋をはめて、サンプルを受け取った。その手つきが、いつもより、丁寧だった。




「ノア」




美緒はカメラに向き直った。




「ありがとう。たいせつに——しらべる」




ノアが、小さく頷いた。


表情は変わっていない。でも——目の奥が、少し、やわらかくなった気がした。




「ばあちゃん——だいじょうぶ?」


「……まだ、いたそう。でも、わらう」


「そう」




美緒は、それ以上何も言わなかった。




言葉が足りないのは、翻訳のせいだけじゃない気がした。この沈黙の中に、ちゃんと何かが通じている。




◇




帰る前に、もう一度だけ束を開いた。




さっきは興奮して飛ばしてしまったページを、今度はゆっくりめくる。


知らない植物が、たくさんあった。


名前も、性質も、何もかもわからない。でも——絵を見れば、どんな場所に生えるか、だいたい想像がつく。葉の厚さ。茎の形。根の広がり方。長年森を歩いてきた目が、自然と読んでいる。




「ノア」




ミオが呼んだ。




「そのほん——もっていていい。ノアの」


「……いい?」


「うん。ノアに、あげる」




僕は束を胸に抱えた。


こんなに丁寧な絵が並んだものを、もらったことがなかった。村の写本は貴重品で、薬師のハンナばあちゃんでさえ、数えるほどしか持っていない。




「ありがとう、ミオ」


「どういたしまして」


ミオが笑った。




颯太がまた何かを叫んで、クドウに頭を叩かれている。その奥で、目の周りに何かを付けた老人が、静かにこちらを見ていた。




老人と目が合った。


老人は、ゆっくりと頷いた。


なんと呼ばれているのか、まだ知らない。でも——この人が、みんなの中心にいる人なのだろうと、なんとなくわかった。




◇




夕方、ハンナばあちゃんにサルベ草を渡しながら、僕は束のことを考えていた。


あれをどこに隠すか。誰かに見られたら、どこで手に入れたか聞かれる。この村で見たことがないものだから。




でも——隠すのが、少し惜しかった。


ページをめくるたびに、知らない植物が並んでいる。あちらの世界には、僕がまだ名前を知らない草が、どれほどあるのだろう。




「ノア? どうかしたかい」




ばあちゃんが顔を覗き込んできた。




「なんでもない」


「変な顔してたよ。楽しいことでも考えてたのかい」


「……どうかな」


「まあいい」




ばあちゃんは笑って、サルベ草を受け取った。


指の節が、今日は少し、やわらかく見えた。気のせいかもしれない。でも——そう見えた。




「ありがとうよ、ノア。お前は本当に、よく気がつく子だね」


「ばあちゃんが、教えてくれたから」


「お母さんもね」


「うん」




台所の窓の外で、夕風が草を揺らしていた。




明日も、森に行こう。


束に描かれていた、見たことのない植物のことを——ミオに聞いてみよう。あちらの世界では、どんな場所に生えているのか。どんな性質があるのか。




知りたいことが、また増えた。


それは、悪くない感じだった。






_______________________


ノアにとって、あの植物図鑑は生まれて初めてもらった贈り物でした。隙間から差し出された薄い束を、胸に抱えて震えていたあの子に。


もしこの話があなたにとっての小さな贈り物になれたら、フォローという形で、こっそり返してもらえたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。