第46話 領主との対面
ガレンに案内され、ノアと村長は、館の奥へと進んだ。
廊下は村の家がいくつも入るほど長く、壁には見たこともない絵がいくつも掛けられていた。剣を持つ騎士の絵、鹿を狩る絵、静かな湖を描いた絵。ノアは目だけを動かして、それらを追った。床には、赤い布が敷かれていて、歩くたびに、足音が小さく吸い込まれていく。
村の家とは、何もかも違う。天井の高さも、灯りの数も、すべてが、ノアの知っている暮らしとかけ離れていた。
「こちらでございます」
大きな両開きの扉の前で、ガレンが足を止め、恭しく一礼した。それから、静かに扉を開いた。
広間の奥、一段高くなった場所に、一人の男が座っていた。年の頃は村長より少し若いくらいだろうか。豪華だが派手すぎない服を身につけ、静かにこちらを見ていた。それが、領主メルヴィンだった。
「よく来た」
領主が、口を開いた。思っていたよりも、ずっと穏やかな声だった。
「村長、久しいな」
「ご無沙汰しております」
村長が、深く頭を下げた。ノアも、慌ててそれに倣った。
「そちらが、噂の薬師か」
領主の目が、まっすぐノアに向いた。値踏みするような、じっとりとした視線だった。
「ノアと申します」
ノアは、緊張しながら、もう一度頭を下げた。膝がわずかに震えているのを、必死に抑えた。
「うむ」
領主が、椅子から少し身を乗り出した。
「治癒師を呼ぶ間もなく、疫病を収めたと聞いた。それも──ただの薬師見習いが」
「はい」
「どうやった」
矢継ぎ早の問いに、ノアは、慎重に言葉を選びながら答えた。
「祖母から受け継いだ知識と、村の水を調べて、原因を見つけました。それだけです」
「それだけ、か」
領主が、小さく笑った。
「それだけで、街の治癒師にもできないことを、成し遂げたわけだ」
その言葉には、感心と、わずかな警戒の両方が滲んでいた。ノアは、その視線の奥にあるものを、うまく読み取れなかった。
◇
しばらくの間、領主は、ノアの経歴や、村での暮らしについて、いくつか質問を重ねた。
いつから薬草に詳しくなったのか。誰に教わったのか。村の外へ出たことはあるのか。一つ一つの問いに、さりげない探りが混じっているように、ノアには感じられた。
ノアは、決められた通り、慎重に、必要なことだけを答えた。箱のことには、一言も触れなかった。
かたわらのガレンが、時折、何かを紙に書き留めていた。細く整えられた文字は、ノアの答えを一つ残らず記録しているようだった。その仕草にも、ノアはうっすらとした違和感を覚えた。
やがて、領主が、話の方向を変えた。
「単刀直入に言おう」
領主が、姿勢を正した。
「お前を、私の抱える薬師として迎えたい」
村長の肩が、わずかに動いた。
「街に住まいを与える。今よりずっと豊かな暮らしができる。お前の知識を、もっと多くの人のために使う場を、私が用意しよう」
その言葉は、決して脅すようなものではなかった。むしろ、丁寧で、誠実に聞こえさえした。だからこそ、ノアは、どう答えていいかわからなかった。
「あの──」
「急いで答えは出さなくてもいい」
領主が、手を軽く上げた。
「だが、悪い話ではないはずだ」
村長が、静かに口を挟んだ。
「恐れながら、申し上げます」
「なんだ」
「ノアは、村に必要な人間です。祖母のハンナと共に、村の薬師として、これからも村を支える立場にあります」
「わかっている」
領主が、頷いた。
「だが、村のような小さな場所に置いておくのは、惜しいとは思わないか。この子の力は、もっと多くの人を救えるはずだ」
村長は、言葉に詰まった。その理屈は、間違っていなかった。だからこそ、簡単には言い返せなかった。
ノアは、二人のやりとりを、黙って聞いていた。胸の奥に、小さなざわめきが広がっていた。
もっと多くの人を救える。
その言葉は、決して嘘ではないのかもしれない。だが──村を離れることは、ハンナやティナ、ダグ、そして境の樹の箱と、離れることでもある。
森の匂い、ハンナの手の温もり、ソラの声。それらすべてが、遠くなる。
ノアは、そのことを考えるだけで、胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。三年前、母が死んだときのことが、ふと頭をよぎった。あのときも、自分にできることは何もなかった。今度は、違う形で、何かを試されている気がした。
村長が、ちらりと、ノアの様子をうかがった。だが、何も言わなかった。今、ここで口を挟めば、かえってノアの迷いを深めてしまうと、わかっているようだった。
◇
「まあ、今日この場で、決めろとは言わない」
領主が、話を締めくくるように言った。
「ただ、一つだけ、確かめておきたいことがある」
その声の調子が、わずかに変わった。広間の空気が、それまでとは違う重さを帯びた。
「お前の薬が、どれほどのものか、私自身の目で見ておきたい」
ノアは、息を呑んだ。
「ちょうど、都合がいい」
領主が、口の端を、わずかに上げた。
「今、この館に、病に伏せっている者がいる。長らく熱が引かず、街の治癒師も、匙を投げかけている」
領主の視線が、まっすぐ、ノアに向けられた。
「お前の力、見せてもらおうか」
広間に、静けさが落ちた。
ノアの手のひらに、じわりと汗がにじんだ。箱もない。ソラもいない。ヤナガセに相談することもできない。自分の知識だけで、答えを出さなければならない。
村長が、ノアを見た。その目には、心配と、それでも信じているという色が、同時に浮かんでいた。
ノアは、静かに頷いた。
「わかりました」
その声は、震えていなかった。
領主が、満足そうに、小さく頷いた。ガレンが、恭しく一礼し、案内のために一歩、前へ進み出た。
広間を出るとき、ノアは、もう一度、村長の顔を見た。村長も、ノアを見返した。
言葉はなかったが──二人とも、同じことを思っていた。
ここからが、本当の試練だ。
ガレンに導かれ、二人は薄暗い廊下の先へと歩き出した。行く手に、また新しい扉が見えていた。その向こうに、誰が待っているのか、ノアにはまだわからなかった。
領主メルヴィンとの対面、いかがでしたでしょうか。頭ごなしに脅すのではなく、理屈で追い詰めてくる相手として書きたいと思いました。
次話では、ノアが箱もソラもない状態で、初めての試練に挑みます。どうぞお楽しみに。




