第43話 村長の覚悟
# 第43話 村長の覚悟
「なぜ、一緒に来てくれるんですか」
翌朝、井戸端で水を汲みながら、ノアは聞いた。
村長は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「昔の話をしよう」
「昔の話?」
「私が、まだ若かった頃だ」
村長は、桶を置いて、遠くを見た。
「その頃も、今の領主の先代が、この村に目をつけたことがあった。作物の取り立てを、法外に増やそうとしてな」
「それで、どうなったんですか」
「村の者たちは、抗議に行った。私も、その中にいた」
村長の声が、少し低くなった。
「だが、何もできなかった。言葉を選ぶことも、うまく立ち回ることもできず、ただ怒鳴られて帰ってきた。結局、取り立ては増えたままだった」
ノアは、黙って聞いていた。
「あのとき、私は思った。次に同じことが起きたら──今度は、誰かを一人で行かせるようなことは、しない」
村長が、ノアを見た。
「お前を、一人で行かせるつもりはない」
その言葉は、静かだったが、揺るぎなかった。
ノアは、何と答えていいかわからず、ただ頷いた。
◇
家に帰ると、ハンナが、小さな包みをいくつも用意していた。
「これは、傷薬。これは、腹を下したときの薬。あとは──念のための、熱冷ましだ」
「ばあちゃん、そんなに持っていけないよ」
「持っていけるだけ、持っていくんだ」
ハンナが、包みをひとつずつ、丁寧に袋に詰めていった。
「お前が街で何かに困ったとき、これがあれば、少しは安心できるだろう」
その手つきは、いつもより、少しだけ震えていた。
「ばあちゃん」
「なんだい」
「行ってくる」
「ああ」
ハンナが、顔を上げた。
「行っておいで。ちゃんと、帰ってくるんだよ」
◇
ティナが、家の前で待っていた。
「聞いたよ。領主のところに行くんだって」
「うん」
「大丈夫なの?」
ティナの声は、いつになく心配そうだった。
「村長さんも一緒だから」
「それでも、心配だよ」
ティナが、ノアの顔を、じっと見た。
「何かあったら、すぐ帰ってきてね」
「わかった」
そこへ、ダグが駆けてきた。
「おい、聞いたぞ」
「ダグ」
「何かあったら、俺が呼びに走る。街まででも、どこまでだって走る」
ダグの息は、まだ荒かった。
わざわざ、走ってきたらしい。
「ありがとう、ダグ」
「礼はいい。ただ──無事に帰ってこい」
その言葉に、ノアは、少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。
◇
その夜、ノアは境の樹に向かった。
膝の上に箱を置いて、しばらく迷ってから、口を開いた。
「ソラ、聞きたいことがある」
「なんですか」
「箱を持って、街まで行くべきか──それとも、ここに置いていくべきか」
しばらく、間があった。
「クドウさんとも、相談してみましょう」
枠に、クドウの顔が映った。
事情を話すと、クドウは、少し考えてから言った。
「持っていくのは、リスクが高い。街には、人目が多い。もし誰かに見つかれば、それこそ取り返しがつかない」
「じゃあ、置いていく?」
「ああ。短い間なら、ソラに留守を任せた方がいい」
ノアは、箱を見つめた。
箱を持たずに、どこかへ行く。
そんなことは、今まで一度もなかった。
「不安ですか」
ソラが、静かに聞いた。
「うん。少し」
「箱を持たずに行くのは、初めてですね」
「うん」
「でも」
ソラの声が、いつもより、少しだけあたたかく聞こえた。
「ノアは、もう箱がなくても大丈夫です。ここまで学んだことは、全部──ノアの中に、あります」
ノアは、その言葉を、静かに胸に受け止めた。
「ありがとう、ソラ」
「行ってらっしゃい、ノア」
◇
翌朝、夜明け前の薄暗い空の下、ノアと村長は、村の入り口に立っていた。
見送りに来たのは、ハンナと、ティナと、ダグだけだった。
大げさにしないように、と村長が決めたことだった。
「行ってきます」
ノアが言うと、三人が、それぞれに頷いた。
ノアと村長は、荷物を背負い、街へ続く道を歩き出した。
振り返ると、まだ三人が、その場に立って見送っていた。
やがて道が曲がり、村の姿が見えなくなった。
ノアは、前を向いた。
初めて見る、村の外の景色が、少しずつ、目の前に広がり始めていた。
ノアが、初めて村を出ます。村長の過去の話、ハンナの見送り、ティナとダグの言葉──それぞれの「送り出し方」を書きたい回でした。
箱を持っていかない、という選択も、ノアにとって小さな一歩です。
次話から、いよいよ「はじめての街」が始まります。どうぞお楽しみに。




