第40話 アルダの森の変化
「おかしいもの、って何だ」
走りながら、ノアが聞いた。
「見ればわかる。境の樹のあたりだ」
ダグが、息を切らせながら答えた。
「夜明け前、狩りに出てて見た。最初は、火か何かかと思った」
「火?」
「いや——違う。火じゃない。もっと、変な感じの光だった」
二人で、境の樹に向かった。
◇
着いたとき、日はもう高く、何も見えなかった。
「ここだったか」
「ここだ。間違いない」
ダグが、樹の根元を指した。
ノアは、その場所をじっと見た。何も変わったところは、ない。いつもと同じ、土と、根と、苔があるだけだった。
「日中は、何も見えない」
「夜明け前は、確かに光ってた。お前が最初に箱を見つけたとき——こんな感じだったか?」
ノアは、少し考えた。
最初に箱を見つけたときのことは、よく覚えている。もやもやと歪んだ空気。淡く発光していた、あの瞬間。
「似てる気がする」
「やっぱりか」
ダグが、樹を見上げた。
「俺、何かまた、変なものが出てくるんじゃないかと思って——お前に知らせた」
「ありがとう、ダグ」
「礼はいい」
ダグが、いつものように言った。それから、少し心配そうな顔をした。
「今夜、もう一度ここに来てみるか」
「来る」
◇
夕暮れ時、境の樹に戻った。
ダグも一緒だった。
光が見え始めたのは、日が完全に落ちる少し前だった。
樹の根元の土が、うっすらと光っていた。最初に見たときよりは弱い。でも——確かに、光っている。
「これだ」
ダグが、低い声で言った。
ノアは、肩掛け袋から箱を取り出した。
「ソラ、見えるか」
「見えています。これは——」
ソラの声に、わずかな緊張があった。
「通常では測定できない種類の微弱なエネルギー反応があります。試作機が転送されてきたときの残滓に近い波形です」
「クドウを呼んでくれ」
しばらくして、枠が明るくなった。クドウの顔が、真剣だった。
「ノア、その光、もう少し近くで見せてくれ」
ノアは、箱を樹の方に向けた。
クドウが、画面を見ながら、何かを計算しているようだった。
「境の樹が、また反応している」
クドウが、誰にともなく呟いた。
「一時的なものか、継続的なものか、判断できない。データが少なすぎる」
「これから、どうなるんだ」
「わからない。だが——記録を続ける必要がある」
枠の向こうで、別の声が聞こえた。
「クドウ君、私にも見せてくれ」
キョウジュの声だった。
ノアは、もう一度、箱を樹の方へ向けた。
キョウジュが、しばらく無言で見ていた。それから、低く言った。
「記録を続けろ」
その声が、少しだけ、高揚しているように聞こえた。
◇
「キョウジュ、何かわかったのか」
ノアが、聞いた。
「まだ、何もわからない。だが——これは、興味深い現象だ」
キョウジュが、慎重に言葉を選びながら言った。
「試作機が、最初にこの場所に現れたのも、何か理由があったはずだ。境の樹が、その理由と関係しているなら——記録する価値がある」
「危険なことなのか」
「今のところ、危険を示す要素はない。だが——わからないことを、わからないままにしておくのも、危険なことだ」
その言葉が、ノアの胸に、静かに残った。
わからないことを、わからないままにせず、考え続けること。
それは、ノア自身が、少し前に思ったことと、同じだった。
◇
ダグと一緒に村へ帰る道で、ハンナとすれ違った。
こんな時間に、珍しい。
「ばあちゃん、こんな時間に」
「眠れなくてね」
ばあちゃんが、少し笑った。
「ノア、あの樹のことだけど」
ノアの足が、止まった。
「知ってたの?」
「うすうすね」
ばあちゃんが、境の樹の方を見た。
「あの樹は——昔から、人の死に目に光ると言われていたよ」
ダグが、横で息を呑んだ。
「死に目、って——」
「でも」
ばあちゃんが、続けた。
「お前の母さんが死んだときは、光らなかった」
ノアは、息を止めた。
「光ったのは——お前が見つけた、あの日の前だけだ」
その言葉が、ノアの頭の中で、ゆっくりと意味を持っていった。
母が死んだときは、光らなかった。でも、箱が現れたときには、光った。
「ばあちゃん、それって——」
「私にも、わからないよ」
ばあちゃんが、静かに言った。
「ただの言い伝えだ。本当のことかどうかも、わからない。でも——お前が知っておくべきことだと思った」
ノアは、その言葉を、胸の中に、丁寧にしまった。
ダグが、何か言おうとして、結局、何も言わなかった。
三人は、それ以上、何も話さずに、村への道を歩いた。
夜の風が、境の樹を、静かに揺らしていた。




