第39話 使者
領主の使者は、村長が予告してから三日後に、村に現れた。
馬車が一台。御者と、護衛らしき男が二人。それから——馬車から降りてきたのは、四十代くらいの、身なりの整った男だった。
旅の薬師とは、雰囲気が違った。礫儀正しいが、その礫儀の奥に、何かを測っているような目があった。
「リント村の、村長殿でいらっしゃいますか」
「私です」
村長が、広場で応対した。ノアは、少し離れた場所から、その様子を見ていた。村長に、目立つなと言われていた。
「領主様より、例年の巡回として参りました。村の様子を、確認させていただきます」
「ご苦労様です。どうぞ」
村長の声は、いつも通り、落ち着いていた。
◇
「聞くところによると——この村で、疫病が出たそうですね」
使者が、村の様子を見回しながら言った。
「出ました。少し前のことです」
「治癒師なしで、収まったとも聞いています。本当ですか」
「本当です」
村長が、答えた。
「流行り病が少し出ましたが、薬師の対処で、収束しました」
「薬師、とは」
「この村の薬師と——その見習いです」
使者の目が、少し細くなった。
「その見習いに、話を聞けますか」
ノアの心臓が、跳ねた。
村長は、表情を変えずに言った。
「今は、体を休めさせています。疫病の対処で、夜も眠れない日が続きましたので」
「そうですか。それは——大変だったでしょうね」
使者は、それ以上、強くは聞いてこなかった。でも——その視線が、一瞬、ノアのいる方向に向いた気がした。
ノアは、目を逸らさずに、ただ静かに立っていた。
◇
使者は、一泊した。
ティナの母の宿屋に泊まり、夕食のときも、村人にいくつか話を聞いていたらしい。
「村の暮らしぶりは、どうですか」「困っていることはありますか」「最近、変わったことはありましたか」——表向きは、普通の巡回の質問だった。
でも、ティナが後で教えてくれた。
「あの人、最後に、必ず一つ聞いてた。『この村に、不思議な力を持つ者はいるか』って」
「不思議な力」
「うん。みんな、首をかしげてた。魔法のことだと思ったみたいで、『この村は、誰も魔力が強くないので』って答えてた人が多かった」
「それで——」
「使者は、それ以上は聞かなかった。でも——納得してない顔だった」
ノアは、その話を聞いて、胸の中が、少し重くなった。
◇
翌朝、使者は何事もなく、馬車で村を出ていった。
村長が、その背中を見送りながら、ノアに言った。
「今回は——大丈夫だった。だが」
「だが?」
「あの男は、何も確証を得られなかった。だから——また来る可能性がある。別の使者か、もっと立場の高い人間かもしれない」
ノアは、頷いた。
「わかってる」
「お前は、よくやった。緊張していたはずだが、何も悟られなかった」
「村長が、ちゃんと対応してくれたから」
「いや」
村長が、珍しく、少し表情をやわらげた。
「お前が、ただ静かに立っていただけで、十分だった。何かを隠そうと焦る方が、かえって目立つものだ」
その言葉に、ノアは、少しだけ救われた気がした。
◇
森へ向かう道で、箱を開いた。
「ソラ、聞いてたか」
「聞いていました。使者とのやりとり、全部記録しています」
「クドウは?」
「います。今呼びます」
しばらくして、枠が明るくなった。クドウだった。
「使者の話、聞いた。外の世界が、本格的に動き始めたな」
「やっぱり、そう思うか」
「思う。一度目は、何も得られなかった。だが——一度諦めるとは思えない」
ノアは、少し考えた。
「これから、どんどんこういうことが増えるんだろうな」
「増える」
クドウが、はっきりと言った。
「お前の覚悟を、もう一度確認したい」
ノアは、その言葉を、少しの間、受け止めた。
「準備というより——覚悟は、できてる」
「理由は」
「ここが、僕の居場所だから。守りたい」
クドウは、何も言わなかった。ただ、頷いた。
それで、十分だった。
◇
ミオの声が、横から聞こえた。
「ノア、これからどんどんこういうことが増えると思う。準備、できてる?」
「うん。今、クドウにも言った」
「そっか」
ミオが、少し優しい声で言った。
「私たちも、できることを考えてる。すぐには言えないけど——ノアのために、動いてることがある」
「ミオたちにも、大変なことがあるんだな」
「うん」
「そうか。じゃあ——僕も、ちゃんとしないといけないな」
ミオが、少し笑った。
「ちゃんとしてるよ、いつも」
◇
その夜、台所で、箱の前に座っていた。
「ソラ」
「はい」
「一つ伝えてもいいですか」
ソラが、いつもより少し、言葉を選ぶような声で言った。
「美緒さんたちの側でも、色々なことが起きています。でも——みんな、あなたとの繋がりを守りたいと思っています」
ノアは、その言葉を、静かに受け止めた。
「ありがとう、ソラ」
外で、夜風が、木々を揺らしていた。
村は、まだ穏やかだった。でも——その穏やかさが、いつまで続くのか、ノアにはわからなかった。
ただ——わからないことを、わからないままにせず、考え続けること。それが、今、自分にできる、唯一のことだと思った。
翌朝、ダグが、息を切らせて家にやってきた。
「ノア、一緒に来い。森で、おかしいものを見つけた」




