第32話 ダグの選択
「コルソのじいさんが——かなりひどい」
ダグが、息を切らしながら言った。
「熱が、すごく高い。さっき見てきた」
ノアは、薬の包みを握り直した。
「メイより先に、コルソのじいさんが悪くなったのか」
「最初に羊の異変に気づいたのは、じいさんだ。一番早く、羊に触れてたかもしれない」
最初に感染した可能性が高い。それなら——一番、悪化が進んでいてもおかしくない。
「ダグ、僕についてきてくれ」
「もちろん」
ダグが、迷いなく言った。
◇
コルソの家に向かう道で、ダグが言った。
「お前、何か知ってるんだろ」
メルのときと、同じ言葉だった。でも——今度は、目の色が違った。
「知ってる。薬を作った」
「効くのか」
「わからない。でも——確かめなければならない」
ダグが、少し黙ってから言った。
「前は、お前の薬を断った。今は——違う」
「違う?」
「前みたいに、扉を閉めない。俺はお前を信じる。だから、話してくれ」
ノアは、足を止めずに、横にいるダグを見た。
その顔には、迷いがなかった。
「ありがとう、ダグ」
「礼はいい。当然のことだ」
その言い方に、ノアは少し笑った。ばあちゃんも、村長も、ガルドさんも、みんな同じことを言う。
「何がおかしい」
「いや——みんな同じことを言うなと思って」
「それが、この村なんだろ」
ダグが、前を向いたまま言った。
それも、ノアには新しい発見だった。
◇
コルソの家に着くと、じいさんは布団の中で、苦しそうに呼吸していた。汗が、額からこめかみに流れている。
「コルソさん」
ノアが呼んだが、反応が薄かった。
ノアは膝をついて、できる範囲で様子を確認した。発熱、関節の痛み、呼吸の速さ。脚の付け根を見ると、メイと同じ、赤黒い小さな点があった。
「ソラ、聞こえるか」
「聞こえています」
「コルソのじいさんの様子、見えるか」
「見えます。状態を記録しています」
ヤナガセの声が、すぐに来た。
「ノア君、症状の進行が、メイちゃんより速いようだ。先に感染していた分、悪化も早いのかもしれない」
「薬を使っていいか」
「使ってくれ。ただ——量に気をつけて。子どもと大人で、必要な量が違う」
ノアは、薬の包みを開けた。コルソのじいさんの娘——メイの母が、心配そうに見ていた。
「これは、何の薬なの」
「ハンナばあちゃんが、調合した薬です」
嘘ではなかった。ばあちゃんが、実際に調合した。
「効くのかい」
「わからない。でも——今、一番できることだと思う」
メイの母は、しばらくノアの顔を見ていた。それから、頷いた。
「あなたを、信じる。お父さんのこと、お願い」
◇
薬を飲ませて、ダグと二人で、コルソの家に残った。
「俺が、ここに泊まる」
ダグが言った。
「様子を見る。何かあったら、すぐお前に知らせる」
「ダグが?」
「悪いか」
「悪くない。でも——」
「メルのとき、お前がそうしてくれた。お前は、ずっと外で待ってた。誰にも頼まれずに」
ノアは、何も言えなかった。
「今度は、俺がやる」
ダグが、布団の傍に座った。
「お前は、箱のところに戻れ。先生とか、ミオさんとかと、ずっと話してないといけないんだろ」
「うん」
「だったら、行け。俺はここにいる」
立場が、逆になっていた。
メルのとき、ダグはノアの薬を拒んだ。今は——ダグが、ノアの薬を信じて、そばにいることを選んでいる。
「ダグ、ありがとう」
「礼はいい」
ダグが、短く言った。
「当然のことだ」
◇
ノアは家に戻って、箱を台所に置いた。
「ソラ、コルソのじいさんの様子を、見続けてもらえるか」
「はい。ダグさんがそばにいるなら、彼の声も拾えます」
「ダグの声?」
「ダグさんが報告してくれれば、それも記録に残せます」
なるほど、と思った。箱が直接見えなくても、ダグが言葉で伝えてくれれば、それも一つの情報になる。
ヤナガセが言った。
「ノア君、しばらく経過を見よう。体温と呼吸のパターンが、改善するかどうかが、最初の判断材料になる」
「どれくらいで分かる」
「半日から一日。焦らないでくれ」
焦らないでくれ、と言われても、焦らないことは簡単じゃなかった。でも——焦って何かを変えても、状況が良くなるわけではないことも、ノアはもう知っていた。
◇
夕方、ダグから声がかかった。
ソラが、その声を拾って伝えてくれる。
「ノア、聞こえるか」
「聞こえてる。どうだ」
「呼吸が、少し落ち着いてきた気がする。汗も、少し減った」
ノアは、ソラに確認した。
「ソラ、データではどうだ」
「体温が、わずかに下がっています。呼吸のパターンも、改善の傾向があります」
ヤナガセが、すぐに言った。
「いい兆候だ。だが——まだ油断はできない。一晩、様子を見よう」
ノアは、台所の椅子に座って、箱を見つめた。
ミオの声が、静かに聞こえた。
「ノア、今日は本当に、いろんなことがあった日だったね」
「うん」
「ダグくんが、コルソさんのそばにいてくれてる。それも——大きいと思う」
「ダグは、変わったんだと思う」
「ノアも、変わったよ」
ミオが、少しやわらかく言った。
「最初の頃、ノアは一人で全部背負おうとしてた。今は——ダグくんに任せられる部分は任せて、自分は別の役割を持ってる」
「役割って」
「箱の前で、私たちと話す役割。それも、すごく大事な役割だよ」
ノアは、その言葉を考えた。
一人で全部やらなくていい。誰かに任せて、自分にできることをやる。
それが——一緒にやる、ということなのかもしれない。
◇
夜が深くなって、村が静かになった。
ノアは台所の椅子に座ったまま、ソラの声を待っていた。
「ノア」
「なに」
「ダグさんから、報告が来ました」
「どうだった」
「コルソさんが、少し眠れているそうです。呼吸も、安定してきていると」
ノアは、息を吐いた。
まだ、安心はできない。一晩、様子を見なければわからない。でも——少しだけ、肩の力が抜けた。
「ソラ、ありがとう」
「私は、ただ伝えているだけです」
「それでも、ありがとう」
外で、夜の風が、木々を揺らしていた。
ノアは、箱を膝の上に乗せたまま、夜が明けるのを待つことにした。




