第30話 ノアが見たもの
朝、箱を開くとすぐにミオの声がした。
「ノア、おはよう。今日、お願いしたいことがあるの」
「なに」
「楓太が、観察してほしい項目をまとめてくれた。聞いてもらえる?」
「聞く」
枠の向こうに、楓太が来た。手元に何か書いたものを持っている。
「ノア、メイちゃんの病気の原因を絞り込みたい。そのために——森の動物の様子を、もう少し詳しく見てきてほしいんだ」
「昨日も見た。鳥が倒れてた」
「うん、それも大事な情報だった。今日は、もう少し範囲を広げて見てほしい。三つ、お願いしたいことがある」
楓太が、紙を見ながら言った。
「一つ目。森の動物全体——鳥だけじゃなくて、虫や、小さな獣の様子。元気がない、動きが鈍い、そういう個体がどれくらいいるか」
「二つ目。村の家畜——羊だけじゃなくて、鶏や、他の動物にも同じ症状が出ているか」
「三つ目。ネコタビ草が枯れている範囲——森のどのあたりまで広がっているか」
ノアは、頭の中で覚えながら頷いた。
「全部、見てくる」
「無理しないでね」
ミオが、横から言った。
「森の奥までは行かないで。いつもの範囲で十分」
「わかった」
ヤナガセの声が、少し遅れて聞こえた。
「ノア君、もう一つ。もし可能なら——倒れている鳥や動物に、何か共通する特徴がないか見てほしい。例えば、体の特定の場所に、虫に刺されたような跡がないか」
「虫に刺された跡」
「そうだ。動物由来の感染症の中には、虫が運ぶものもある。可能性の一つとして、確認しておきたい」
「わかった。見てくる」
◇
森へ入って、いつもの道を歩いた。
昨日見た鳥は、もう動かなくなっていた。その近くに、もう一羽、新しく倒れているのを見つけた。
膝をついて、近くで見た。羽を広げて、注意深く確かめる。
体の、羽の薄い部分——脚の付け根あたりに、小さな赤い点がいくつかあった。
「ソラ、見えるか」
「見えています。記録しました。これは——」
「虫に刺された跡、かもしれない」
「ヤナガセに伝えます」
しばらく待つと、ヤナガセの声が返ってきた。
「ノア君、その点の大きさと、色を教えてくれ」
「花の種より小さい。赤というより、赤黒い色だ」
「他の倒れている動物にも、同じものがあるか確認してほしい」
森を進みながら、一羽一羽、丁寧に確かめた。
すべての鳥に、同じ赤黒い点があった。
◇
家畜の確認は、コルソのじいさんに頼んだ。
「羊の体を、見せてもらえるか。脚の付け根のあたり」
「いいよ。何を見てる」
「赤黒い点がないか、確認したい」
コルソのじいさんが、羊の脚を持ち上げてくれた。毛をかき分けて見ると——同じ点が、いくつかあった。
「あった」
「これが、病気の原因か」
「まだわからない。でも——手がかりだと思う」
ノアは、近くの鶏小屋も見せてもらった。鶏には、同じ症状は見られなかった。元気に動き回っている。
「鶏には、出てないみたいだ」
「鳥でも、種類によって違うのかね」
「わからない。でも——違いがあるってことも、大事な情報だと思う」
◇
森に戻って、ネコタビ草の範囲を確認した。
最初に見つけた場所から、少し広めに歩いてみる。森の奥に近づくほど、枯れている割合が高くなっていた。村に近い場所では、まだ元気な株も多い。
「ソラ、範囲がわかった。森の奥が一番ひどくて、村に近づくほど軽い」
「記録しました。これは——感染源が森の奥にある可能性を示しているかもしれません」
「森の奥に、何があるんだ」
「わかりません。ノアは、奥の方まで詳しく知っていますか」
「ハンナほどは知らない。でも、ある程度なら」
「無理に奥へ行かなくていいです。今の情報だけでも、十分な手がかりです」
◇
境の樹まで戻って、報告した。
ヤナガセとミオ、クドウ、楓太が、揃って聞いていた。
「赤黒い点。鳥には出ているが、鶏には出ていない。羊にも出ている。ネコタビ草は森の奥ほどひどい」
ヤナガセが、何かを書き留めている様子だった。
「ノア君、ありがとう。これは——非常に重要な情報だ」
「分かったのか」
「断言はまだできない。だが——ある種の虫が媒介する感染症の可能性が、かなり高くなった」
「虫が、病気を運ぶのか」
「そうだ。虫に刺された動物が病気になり、その動物から、別の経路で人にも感染する。これは、世界が違っても、自然界でよく見られるパターンだ」
ミオが、少し驚いた声を出した。
「ノア、すごい。一人で全部確認してくれたんだね」
「楓太が、何を見ればいいか教えてくれたから」
「それでも、実際に見て、判断したのはノアだよ」
クドウが、端末を見ながら言った。
「ハンナさんに、聞いてみてくれないか。この時期に、虫が増えることがあるか」
「今夜、聞いてみる」
◇
夜、台所でばあちゃんに話した。
「赤黒い点のことを話したら、ハンナはどう言うと思う、とソラが聞いている」
ばあちゃんが、少し考えた。
「ソラ、その点の話を、もう少し詳しく教えてくれるか」
ソラが説明した。位置、大きさ、色。
ばあちゃんが、しばらく黙ってから言った。
「昔、ネコタビ草が枯れた年——同じような話を、聞いたことがある気がする」
「どんな話だ」
「森の虫が、いつもより増える年があるって。母から聞いた話だ。その年は、確かに——人も動物も、似たような熱を出した」
「治った、って前に言ってたよな」
「治った。時間はかかったけど」
ソラが、静かに言った。
「ハンナさんの記憶の中に、似たパターンの記録があります。ノアが今日見つけたものと、ほぼ一致しています」
ばあちゃんの記憶と、研究室の知識が、ここで一つにつながった。
ばあちゃんが、少し笑った。
「私の昔話が、役に立つとはね」
「役に立ってる。すごく」
「お前のおかげだよ、ノア。私の話を、ずっと聞いてくれて、記録してくれたから」
ノアは、何も言えなかった。ただ——胸の中が、少し温かくなった。
◇
翌朝、ヤナガセから連絡があった。
「ノア君。今分かっていることを、まとめて伝える」
ノアは、箱の前に座って聞いた。
「動物由来で、虫が媒介する感染症である可能性が高い。ハンナさんの記憶にある『昔の病』とも、症状が一致している。おそらく——これだ」
「治療できるのか」
「対処できる。だが——一つ、問題がある」
ヤナガセの声が、少し低くなった。
「対処に必要なものは、知識だけでは足りない。薬が必要になる」
ノアは、息を呑んだ。
「薬の量は」
「患者の数によって変わる。今はメイちゃん一人だが——同じ条件の人間が、村にどれだけいるか分からない」
クドウの声が、横から聞こえた。
「転送窓で送れる量には、限りがある」
「足りなかったら、どうなる」
「そのときは——別の方法を考える」
ヤナガセが、はっきりと言った。
「だが、まず最初の薬を作ってみよう。ノア君、ハンナさんと一緒に、聞いてもらえるか」
ノアは、頷いた。
森の朝の光が、境の樹の根元に、静かに落ちていた。




